~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

2020年さよなら、2021年こんにちは。

2020年今年、最初にして最後のブログ更新。

令和に元号が変わってから、ずっと体調が良くない。

で、更新も停滞してしまった。

段々、回復してきてるが、まだ長時間パソコン使う元気がない。

というわけで、手短に(元気になるであろう)来年の抱負を書いておこうと思う。

ずっと気になってるのは、アナーキストについてである。とくにアジアのアナーキスト達。

ここで重要なのは、気になってるのは「アナーキスト」であって「アナーキズム」ではない、ということだ。どんな思想も最終的に人間によって担わなければならないわけで、そうなるとどんな人間がそれを担うのかが決定的に肝要となる。

金山が『アリランの歌』で、「驚くほど素敵な友人」と書き、柳田国男の良き随伴者だった橋浦泰雄が「たいへんきれいな人におおかったですね、欲がなく、相手のことを尊重し、自分だけが偉いようには思わない」と語ったアナーキストたち。

現在のアナーキストの古参の一人が、アナーキストは組織論が弱い、もっと強靭な全国規模の組織を作り上げるべきだ、というような主旨のことをツイッターに書いていたが、アナーキズムの本質を理解してないんじゃないか?と思った。強い組織?強い組織を作ってそれでどうするのか?その強い組織で、権力を奪取して独裁するつもりなのか?強い組織が権力を持つとどんなことが起こるのかは、NSDAPでもКПССでも中共でも見ればすぐわかる。それなのに、アナーキスト自身がそんなのに憧れてどうする!!この似非アナーキストめ!それならまだあのギロチン社のしょぼい復讐劇の方が清々しいわ。

 

朴烈と金子文子には、ただ単に強権と対決する、それ以上のものを感じる。

何といっても、この二人にはユーモアのセンスを感じてしまう、青筋立てて反権力を声高に叫ぶ運動家よりもっと心揺さぶられる。思想なんてものはこんな素敵な人間によって担われてこそ、永遠の力を持ち続けられるのではないか?

 

というわけで、2021年は主にアジアのアナーキストを調べてみたいと思っております。