医学ドラマ『済衆院』観た ー①ー
朝鮮初の西洋式病院かつ医学学校である『済衆院』(チェジュンウォン)とそこで研鑽する若い医師たちの物語。主人公は朝鮮の最下級の身分「白丁」出身のソグンゲ、ライバルに名門両班家のペク・ドヤン、ヒロインは中人階級で訳官の娘ユ・ソンナン。
(左・黄丁、中・ソンナン、右・ドヤン 奥・アレン初代院長)
今回は物語そのものについていくつか気になったことを書いてみたい。
1.主人公 黄丁(ファン・ジョン)の流転
朝鮮時代の身分制度下で最下層である《白丁・ペクチョン》階級出身の主人公ソグンゲ(痩せ犬と言う意味)。彼は結核に侵された母親の医療費を捻出するため禁じられていた密屠畜に手を出してしまう。その罪で捕まった彼は、ある人物に人体解剖をするように命じられる。それが後に永遠のライバルとなるペク・ドヤンであった。人体解剖後殺されるはずだったソグンゲは何とか逃げ延びたが、遂に追手の銃弾に倒れてしまう。
ここで奇跡が起こる。瀕死のソグンゲ(身なりは両班に化けてる)は、訳官の娘ソンナンに発見されて彼女の家へと運ばれる。そしてそこに偶然居合わした医師アレンの外科手術によって一命を取留めるのである。
命を救われたことをきっかけにソグンゲ(名前も両班になりすまして〈黄丁・ファンジョン〉と名乗る)は、医師、つまりは西洋医を志すようになる。
甲申政変時に最初に斬られた閔泳翊を治療したのもアレンだった。その功績もあって高宗は朝鮮初の西洋式病院《済衆院》開設を許可する。病院には学校も併設され、黄丁、ドヤン、ソンナンも医学生として学ぶことになる。
学ぶ過程でいろんな出来事・事件が起こるのだが、主人公の黄丁は誠実に、ただ人の命が救いたいからという一途な思いでどんな困難も突破していく。途中「白丁」であることがばれて済衆院から追い出されたり、治療した両班の古風な考えの娘が医療行為を「結婚前に男に蹂躙された」と誤解して自殺し、その罪を背負わされて死刑執行の直前まで行ってしまう。日本への対抗策としてロシアと関係強化しようとしていた高宗の意向で、ロシア公使の眼の手術を成功させることを条件に死刑を免れ、更に白丁から免賎され平民となり「黄正」(発音は同じくファンジョン)という名前まで賜ってしまう!!
しかし、この頃から以前の庶民の命と健康をただひたすらに求めるという「黄丁」らしさが消えてしまう。済衆院での診療はそっちのけで王宮で高宗の相手をすることに時間の大半が費やされるようになってしまうのだ。いつも黄丁のよき理解者であったソンナンでさえも異議を申し立てるようになる・・・
物語全体の前半3分の2と後半3分の1では、ファンジョンのキャラが変化してる。丁度それは「黄丁」から「黄正」に変わる頃である。《一般庶民の味方・黄丁》から《王の側近・黄正》へと性質を一変させてしまうのだ!この事と対になるかのように、かつては傲慢不遜であったペクドヤンがその両班体質を捨てて人間味を醸し出すようになってくる。後半ではドヤンの方が《黄丁》性を帯びてくる。だからこのドラマは、ソグンゲの成長を描くと共に、ぺクドヤンの成長も同時に描くという構成になっている。
更に違和感が募るのは、黄正が抗日義勇軍の隊長に就任するというところである。別に自分が日本人だから日本を悪し様に描写してて違和感があると言っているわけではない。武器を取って殺人に手を染めるなどとは最もファン・ジョンの性質からかけ離れていると言うべきだろう(ドラマでも父親マダンゲをなぶり殺した兵曹判書を手術中に殺そうとして殺さなかったように)。義勇軍の件はファン・ジョンのモデルとなった「朴瑞陽」という実在の人物が抗日運動していたからドラマでもそうしたのであろうが、何かそれまでのファン・ジョンという人物造形からは導かれない行動であると感じられた。
2.日本人の描写について
それから気になったのがドラマに登場する日本人の演出だ。意図的なのか知らないがとても漫画的に描かれている。医師渡辺、看護婦鈴木の「そうです!クロッスムニダ!」なんて、ほとんどギャグみたいになってしまっている。また日本兵もあたかもロボット兵のごとく描かれていて、周りの朝鮮人たち、当時の朝鮮社会のきめ細やかな描写とマッチしてない感じがする。例えるなら、ハイパーリアリズムで描かれた絵の中に蛭子能収のイラストが混じってるような感じがするのだ。ペクドヤンの恋人ナオコだけが辛うじて陰影のある人物として描かれているといえよう。ほかの人物も内面に立ち入って描き込めばもっと深く広がりのある物語になったと思う。
3.好きなシーン
いろいろ批判してきたからこのドラマが嫌いかといえば、それは全く違う。
むしろかなり気に入っている。その中でも好きなシーンを紹介したい。
このドラマの一番の見どころは何と言ってもファンジョンが「白丁」であることをばらしてしまうシーンだと思う。足の治療に済衆院に来ていた父マダンゲが手術を拒否して帰ろうとして転倒した時、ファンジョンが杜子春よろしく「アボジ!」と言って駆け寄るシーン。この破戒のシーンが一番インパクトあると思うが、私的にはその前のシーンの方が好きである。
それは、ソンナンが腕に深い傷を負い、大量失血で意識を失った後、ファンジョンの血を輸血し、夜二人きりになった時に、意識の戻らないソンナンの手を握りながらファンジョンが語りかけるシーンである。
「私の汚れた卑しい血が、お嬢様まで汚してしまったようで、心配で水も飲めません。息をすることもできません。どうか早く目を覚まして、いつものように生き生きと飛び回って下さい。以前貸していただいた本には教えていただきたいことが山ほどあるし、もう軟膏も無くなってしまいました。お嬢様がいなければ済衆院はたちいきません。白丁だったソグンゲが医学生になれたのも、お嬢様がいたからです。」
静かな、とても静かなシーンですが、一番感動させられました。
実はこの告白を、ソンナンは目覚めていて、聞いていたのだ!!
《本当のこと》を知ったソンナン。
しかし彼女はファンジョンを、以前と変わらず愛し続ける。
あと何故だか気に入っているシーンとしては、自転車でソンナンが意味なく(意味ありげに?)ファンジョンの周りをぐるぐる回るシーンも好きです。
なんか、いいです(笑)。
では、次回につづく。
ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~④
これまでドラマのあらすじを追ってきたが、これは当ドラマの半面でしかない。残る半分とはもちろん、ユンガンとスインのラブストーリーである。歴史の大きな流れの中で、ユンガンとスインの二人が自分を見失わなかったのは、二人の愛があったからだと思う。「国家のため」とか「正義のため」などという大文字の価値にではなく、ユンガンにとっては「スイン」が、スインにとっては「ユンガン」という固有名が価値を持っていた。お互いがそれぞれを羅針盤にして、自らの歩む方向を決めている。
だから、スインがユンガンと最初に別れるときに、《コンパス》を渡したのは象徴的だと思う。開化派なら、コンパスじゃなくて、当時最先端だった懐中時計をわたすべきだったという声もあるが、ここはやっぱりコンパス(羅針盤)じゃないといけない。時間なんて腹時計でも充分だ。何処にいても進む道を教えてくれるというコンパスこそ、この物語にふさわしい。
"받으십시오
길을 찾아주는 물건입니다
도련님이 어디에 계시던 이 나침반이 길을 인도해 줄겁니다
조심하십시오
꼭 살아계십시요
그럼 다시 만날 겁니다
다시 만나면 헤어지지 않을 겁니다"
お受け取りください
道を捜してくれる品物です
ユンガン様がどこにいらっしゃっても
この羅針盤が道を導いてくれるでしょう
お気を付けください
必ず生きていらしてください
ではまたお会いしましょう
また会えれば別れはしないでしょう
この直後にユンガンは銃使いに撃たれてしまうんですがね・・・
また、このコンパスは日本人「長谷川半蔵」が「パク・ユンガン」であることを証明する決定的な証拠にもなります。うすうす分かっていたとはいえ、ユンガンが本当に生きていたことをスインが知るシーンはこのドラマの中で一番好きな場面です。
本当にいい場面です。
おっさんですが感動しました。
コンパスが道を教えてくれたんですね。
あともう一つ好きなシーンがあります。
金玉均に懇願されたスインが女官になる決意をし、王宮に出仕する直前ユンガンが現れる。スインに翻意するように促すが、それを断る彼女の台詞が印象的です。
「より良い世界で
一緒に暮らすためです
そのために
しばし別れるだけです」
スインがいう「より良い世界」とはどんな世界だろうか?
開化派の師から受け継いだ「万民平等」の世界。
罪のない人間がいわれのない罪を負わされることがない世界。
愛する二人が邪魔されることなく結ばれる世界。
それこそは、(不完全とはいえ)
現在の私たちがふつうに暮らしているこの日常世界ではないだろうか?
ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~③
実行犯だったウォンシンを倒したユンガンは、残った仇の一方である黒幕キムジャヨンを内偵する。
するとクーデターを企んでいることが判明した。その証拠を押さえるためにユンガンはキムジャヨンの屋敷に潜入し、とうとう謀反の揺るがぬ証拠である〈スホゲ〉(守護契)の連判状を手に入れる。それを彼は王高宗の元へ届ける。王はこれで開化を妨げてきた守旧勢力を一掃し、そして念願だったユンガンの父・忠臣パクジナンの名誉を回復できると喜んだ。
喜んだのも束の間、〈スホゲ〉一党を捕縛せよと命じた時すでにクーデターは始まっていたのである。これが《壬午軍乱》である。史実においてこの軍乱は、大院君が開化派と閔氏一派の追い落としを狙ったものであるとされているが、本ドラマではむしろ守旧勢力が自らの悪事が発覚することを怖れ、また開化に向かう高宗を譲位させるのが目的のように描かれている。それにドラマでは当時の主役であるはずの大院君はほんの一シーンに登場するだけであり、閔氏も中立に描かれている。
結局、クーデター《壬午軍乱》は清国の軍が進駐することによって鎮圧される。〈スホゲ〉一派は捕らえられ、裁判にかけられ全員斬首刑にされる。そしてユンガンの父ジナンの名誉も回復される。全てが、終わったのである。
ここで終わればめでたしめでたしであるが、そうはいかない!決していかないのである!!
クーデターを経験した高宗は、人が変わったように開化への情熱を失い王権の強化へとひた走るようになる。
ユンガンが王に呼び出される。彼は王に感謝の言葉を述べる。が、高宗はユンガンにとんでもないことを提案する。もう一人の人物が王の部屋へ呼び入れられる。その人物は、な、なんと死んだはずのチェ・ウォンシンだったのだ。唖然としたユンガンに高宗は追い打ちをかけるように、王権を安定させるためにウォンシンと手を組んだことを伝え、ユンガンも協力し以後お互いの命を狙わないようにせよと命じた。しかしユンガンは納得できない。王を罵倒し、その場から出て行ってしまう。この件でユンガンは完全に高宗を見限る。
斬首刑を言い渡された〈スホゲ〉一派の一員に、閔妃の命を軍乱時に守ったという手柄で刑を免れた者がいた。彼等は、今度は閔氏と手を組み新たな勢道政治を始める。王と手を組んだウォンシンは朝鮮全国の商業を統括する恵商公局を設立し、商業利益を手中に収める。日本人商人「山元」とともに穀物を買い占め、不当な利益を得る。その利益は閔妃をはじめ閔氏一族へもわたる。一部の商人と官僚だけが潤っている一方で、朝鮮の庶民たちは食べることさえままならない状態に陥っている。
見かねたユンガンは、「満月の黒砲手」となって、京幾褓商団の蔵を襲い、飢えた朝鮮庶民たちにコメを開放する。これに激怒した日本人商人「山元」は、ユンガンを殺そうとするが、ここで同じ日本人の「金丸」が、かつて京都でユンガンからうけた恩を返すとして、ボスの山元を裏切ってユンガンの命を救う。しかし、この時ユンガンは大きな間違いを犯してしまった。日本人を殺してしまったのだ。
この事件は外交問題に発展してしまう。せっかく名誉回復され自由の身になったユンガンが、今度は日本人殺害の犯人として追われることになる。
再びウォンシンがユンガンを追い始める。追い詰められたユンガンが山中で脳震盪を起こして危機一髪のところ、朴泳孝の軍に助けられる。そこでユンガンは、開化派によるクーデターの計画を打ち明けられる。飢えに苦しむ庶民たち、虫けらのように扱われる奴婢、無実の人間が罪を負わされる世の中に大きな疑問を抱いていたユンガンはその計画に参加することを決心する。復讐から《新しい世界》をつくるという目的に方向を転換するユンガン。
その頃、ユンガンの恋人スインも女官になって閔氏の動きを探ってくれと金玉均に誘われる。スインの父は訳官で開化を進めていた人物であったが、壬午軍乱で反乱軍に殺されていた。父の遺志を継ぎたいと言う思いと、何より再び追われる身となったユンガンを守るために、彼女は女官になることを決意する。
スインが女官になることを知ったユンガンは、止めようとするが彼女の意志は堅かった。翻意を迫るユンガンと、それを拒んで自らの意志を貫くスインの会話のシーンはこのドラマの白眉であると思う。涙でスインを見送るユンガンはなぜ彼女が女官になるのかをその時点では理解できないでいた。
ユンガンはスインを危険に巻き込んだ金玉均のもとへ抗議に訪れる。
「なぜ彼女を、よりにもよって女官など? 言ったはずです 私にとって命より大切な人なんです 唯一の望みなんです なのになぜ このようなことを・・・私からスイン殿を奪った たった一つの希望を奪った・・・」
「すまない・・・ 本人が望んだのだ そなたを守るために そなたのために 世を変えたいと言っていた 追われる者のない世にしたいと 彼女は自身のすべてを懸けたのだ そなたを自由にするために 自ら犠牲になった 取り戻す方法は1つしかない 事を成就することだ 2人のための唯一の道だ 同時に我ら皆のためでもある!」
スインの本当の心を知ったユンガンは、開化派の軍事の指導者を引き受ける。しかし
彼はクーデターに日本の援軍を頼むという金玉均の提案に強く反対する。
「日本を頼ってはいけません 絶対に我らの力でやり遂げるべきです 他国を頼れば 主導権を握られかねない 軍乱後の清を見ればおわかりでしょう 朝鮮の民の力を頼るべきです 民の協力あってこそ事は成功します」
「そのとおりだな だが今の民にそのような余裕はない 1食分の食料を手に入れるだけで精一杯だ 今は志あるものだけで動くしかない・・・」
じっさいの歴史にもユンガンのように考える人物がいれば、その後の朝鮮の歴史も変わったかもしれない、と思わざるを得ないが、歴史に「たら・れば」は禁物だ。史実はそうならなかったとを示している。
開化派の不穏な動きを察したウォンシンは、朴泳孝を外務に当たらせ、彼の軍を王宮警護に回させることを提案し、王もそれを認める。猶予が無くなった開化派は事を急ぐ。そしてついに「甲申政変」が始まる。王と王妃を狭い宮に移動させ、閔氏一派との連絡を絶たせて、王に改革の14条の政綱と新内閣の人事を認めさせたまでは良かったが、ドラマでは日本軍が突然「自分たちが責任を持つ」といって王と王妃を広い王宮へと移動させてしまった。そのタイミングで閔妃は清に援軍を頼む密書を渡すことに成功、要請によって清軍が来襲、責任を持つといった日本軍はあっさり撤退してしまう。はしごを外された開化派は、後退を続けついにクーデター失敗を悟って日本へと逃げることになる。
甲申政変はどのような意味をもっているのだろうか?それは単なる日本の朝鮮侵略の片棒を担いだだけの反乱だったのだろうか?私はそうは思わない。朝鮮で少なくとも1000年以上続いた奴隷制度を、形式的にだけにせよ、終わらせたのは他ならぬこの政変であった。1000年の長きにわたって誰もなしえなかったことをやり遂げたという意味で不朽の価値があると思えるがどうだろうか?またこの事件とその後の朝鮮に残された開化派の人々に対する無惨な弾圧は、日本に激しい怒りとナショナリズムを引き起こした。もっとも激しかったのは《時事新報》でその主筆はもちろん福沢諭吉である。その新報と福沢は日清戦争開戦を最も煽る言論を発表し続けることになるのだ。
甲申政変(1884年)で発表された14か条の政綱
1.大院君を早急に帰国させ、清国に対する朝貢虚礼を廃止すること
2.門閥を廃止し、人民平等の権を制定して、才能によって官吏を登用し、官職によって人を選ばないようにすること
3.全国の地租法を改革し、奸吏を根絶し、窮民を救済し、国家財政を充実させること
4.内侍府[王室財政を担当する官庁]を廃止し、そのなかで才能ある者だけを登用すること
5.前後の時期に不正をし、国家に毒害を及ぼした人のなかで、その罪が顕著な者は処罰すること
6.各道の還上米[国家が利子をつけて農民に貸す米]は、永久に回収しないこと
7.奎章閣[王室の図書館]を廃止すること
8.早急に巡査を置き、盗賊を防ぐこと
9.恵商公局[行商人の監督官庁]を廃止すること
10.前後の時期に流配または禁固された罪人を、再調査して釈放すること
11.四営[軍]を合わせて一営とし、営中から壮丁を選んで直ちに近衛隊を設けること。陸軍大将は王世子を任ずる
12.すべての国内財政は戸曹で管轄し、その他いっさいの財務官庁を廃止すること
13.大臣と参賛は日を定めて閤門内の議政府[内閣]で会議をおこない、政令を議定、執行すること
14.政府六曹のほか、すべて不要な官庁は廃止し、大臣と参賛をして審議処理させること
ー続くー
ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~➁
ユンガンはついに父を殺した銃使いがチェ・ウォンシンであることを突き止め、仇を討つためにウォンシンの館にのりこみ、彼を殺す間際まで追い込む。しかしいざ止めを刺そうとした瞬間、ウォンシンの娘・ヘウォンが父にしがみついて「父を撃つなら、私を先に撃て!」と言う。
ユンガンは、「二人とも撃つ!」と怒鳴ったが、結局撃てなかった・・・ユンガンはヘウォンの自分に対する好意を知っていたのだろう。ユンガンは事前に彼女が館から離れるような細工をしていたから。
撃ち殺して仇を討つことを諦めた彼は、ウォンシンを役所に突き出す。後はそこで事の真相をを自白すればすべてが解決する、するはずだった・・・
だが、そうすんなりとはいかなかった。
ウォンシンは、事件のことなど全く知らないと白を切った。自白は銃で脅されたもので事実ではないという。そればかりか、逆に「ユンガンを大逆罪で捕まえろ!」と抵抗する。ここでも守旧派の秘密結社〈スホゲ〉(守護契)が裏工作し、ユンガンは逮捕されてしまう。
王の法廷にウォンシンとユンガンの二人が立たされ、証人尋問が行われる。
最初の証人は自白の現場を目撃していたヘウォン。彼女は父親と愛する男の間で揺れ動く。しかし結局ヘウォンは父を取る。自白は銃で脅迫されたものだと証言してしまう。他の証人もスホゲの脅迫で偽証してしまう。王はうろたえる。しかし守旧派の官僚たちは「秩序を守るべきだ」と王に言い寄る。
その圧力に屈し、ついに王高宗はウォンシンを無罪放免にしユンガンには「斬首刑」を宣告してしまう。
刑が執行される当日、刑場へと送られるユンガンの護送車が何者かに襲われる。そしてユンガンは救け出される。彼を救出したのは他ならぬ彼に死刑を言い渡した高宗自身だった。高宗は、ユンガンをこのような形でしか救けられなかったことを詫び、「共に行動してほしい」と言う。しかしユンガンの中で王に対するかつての忠義心はもう消え去っていた。
「父を殺した銃使いが悠々と義禁府から出ていき、私が斬首刑を宣告された時、もう希望は捨てました。王様と国法に懸けた最後の望みまですべて」
王のもとを去り再びユンガンは、父を陥れた黒幕が誰であるかを捜索する。大臣を拉致し問い詰めついに黒幕がスホゲの首領・キムジャヨン大提学であることを知る。
キム大提学を捕まえる前に、宿敵ウォンシンを崖に追い込み撃ち殺し復讐のひとつを果たすのであるが、ユンガンの心は満たされなかった。あれほど強く願っていた復讐だが、いざ果たしてみると虚しさだけが残るのだ。
それに父ウォンシンを失った娘ヘウォンが、今度は自分が親の仇を討つ番だと、ユンガンを殺すと迫ってくる。
ユンガンは復讐は復讐を呼んでしまうことに気づく。復讐に対するユンガンの考えが徐々に変わってくる。
同時にこの頃、「奴婢」という存在に彼は目を向けるようになる。当時「奴婢」は両班の所有物であり、物言う道具であった。彼らは家畜のように扱われ、売買され、土地と並ぶ財産となってなっていた。
きっかけは、妹のヨナが彼の不在の3年間奴婢として扱われ、清に売られそうになったことや、家女で逃げ奴婢だったジェミが元所有者の両班に連れ戻されて虐待を受けているのを目の当たりにしたことである。そのジェミを救出するためにユンガンは銃を持つ。大臣宅にのりこみ虐待されていた奴婢を全員解放する。縛られた強欲な大臣は「たかが奴婢のためにつまらぬことはよせ!こいつらは恩も知らない動物なのだ。無知な獣たち!!」と言って憚らない。
それを聞いたユンガンは
「黙れ!人を物や動物のように扱うお前こそ、大臣だと思うと恥ずかしい限りだ」と一喝し、奴婢証文を焼いてしまう。
(奴婢たちを私刑する両班の大臣 私刑は罰せられなかった。)
ユンガンは復讐のために使われる銃よりも、困っている人々のために使われる銃の方が喜びが多いことに気づく。この発見は後に、両班が支配している世界を変えていくという金玉均の構想と響き合うこととなるのである。
-次回に続くー
ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~①
いや~TVドラマなんか最後まできっちり見るのは何年ぶりであろうか?
しかも韓流ドラマである。うちの母親が朝から晩まで熱心に見ているが、まさか自分が見ることになろうとは思いもしなかった。映画なら長くても3~4時間くらいだが連続ドラマとなると何倍もの時間を取られる。だから敬遠していたのだがBSで放送してるのがチラッと目に入り、韓流ドラマなのに「長谷川」とか「山元」とか言っているので、面白そうだなと思ってタイトルだけ覚えていた。それが『朝鮮ガンマン』である。
ストーリーを簡単に説明すると、開化を進める王の忠実な家臣であったパクジナン(主人公パク・ユンガンの父)が守旧派の奸計によって殺され、さらに大逆罪の汚名を着せられてしまう。息子であるユンガン自身も斬首刑、妹のヨナは奴婢にせよという王命が発せられる。追手から逃れるために舟に乗ろうとしているときユンガンは、父を殺した同じ銃使いに撃たれてしまう。水中に沈むユンガン。しかし、、、彼は死ななかった。偶然日本へ向かう途中の金玉均(キム・オッキュン)一行の舟に拾い上げられたのだ。それに思いを寄せる女性スインから別れ際にもらったコンパス!!が彼を銃弾から守っていたのだ。
それから3年後、パクユンガンは「長谷川半蔵」と名前を変え日本人商人として朝鮮へ帰って来る。もちろんパクユンガンであることは隠して。彼は奴婢にされた妹を探す。その間ユンガンはスインに再会してしまう。しかし彼女を巻き込みたくないユンガンはあくまで日本人の半蔵だとシラを切りつづける。厳しい言葉をスインに浴びせたりするが、言葉とは裏腹に思いの方は伝わってしまう。
このへんは観ていてもどかしい。誰が見ても「半蔵」は「ユンガン」なのに!そのもどかしさの分だけ、半蔵が自分は「ユンガンだ」とはっきりさせた時のすっきり感は一入である。
奴婢にされた妹ヨナ、父を殺した銃使い、それにパク親子を大逆罪に陥れた黒幕の正体を暴くために、昼は商人「半蔵」として夜は「ユンガン」として活動する。その中で、妹を見つけ救出し、銃使いが商談相手の京畿褓商団長のチェ・ウォンシンだと突き止める。この二人は、腐れ縁というかなんというか、事あるごとに再会してしまうのである!
(表の顔は京畿褓商団長、裏の顔は守旧派一派「スホゲ」の殺し屋チェウォンシン)
ー次回につづくー
来年の抱負など
このブログはもともと『文藝戯語』というのタイトルでやり始めたのだが、その掲げた名に反して映画やら、音楽やらについて書いても、肝心の「文芸」についてはほとんど書かずにいて、流石に《羊頭狗肉感》ハンパねェーって感じになったので今の『戯語感覚』に変更したのである。
・・・で、
来年の抱負としては、原点回帰して、いよいよ文学中心に書いていこうと思うております。しかしあくまで、《思い》でありますので、また脱線して別なことを書きつけるかもしれません。興味はいろいろあるんです。例えば、社会主義計算論争とか、確率論の実在論的解釈とか、解析学の代数化の歴史とか・・・こういうのはかつて分析哲学やってた頃の名残というか、埋火というか、焼け木杭というか何かそういうものが自分の内部にまだ生きていて、それらがまた頭を擡げようとするんです!でも、自分もいい歳なんであれもこれもできません。みんな中途半端になりそうです。自分が今一番やりたいこと、今やらねばならないことは何かって考えて、そうりゃやっぱり「文学」だろー!!ってなったわけです。後半の〈今やらねばならない〉というのがミソです。世界で吹き荒れる、ポピュリズム、ヘイト、差別、ちょっと前なら口にするのもためらわれるような言葉が平然と白昼大手を振って闊歩する有様です。まぁそのうち元に戻るだろうと楽観的にいてもいいのですが、今の〈社会〉、それを構成する〈人間たち〉に信頼を置けるか?って自問した時、残念ながら答えはNOと言わざるをえません。戦争への欲望みたいなものも感じさえします。来年1月にはトランプがアメリカ大統領になります。日本は今までの太平の夢から目を覚まさせられるかもしれません。
昔、『きけわだつみのこえ』を読んだとき、学徒たちの、歴史の歯車が一旦動き始めると個人の力ではどうすることもできない、と書いている手記がいくつもあるのが強く印象に残りました。私は、ひょっとすると今現在、新たな歴史の歯車が動き始めようとしているのではないか?、と感じてしまうのです。同じ過ちを繰り返すのは、はっきり言って「馬鹿」です。「一旦動き出した歯車が止まらない」のなら、「動き出す前に止めれば」いいんです!!動き初めなら少数の力で止められます。
まぁ、そんな思いで、戦中でも戦後でもなく「戦前の作家たち」に注目して、彼らが戦争の予感にどう対処したかを調べてみたいなと思ってるわけです(作家たちに炭鉱のカナリアの役割を期待しているんですが…期待に応えてくれるかどうか)。第二次大戦だけでなく、日清日露戦争からはじめてもいいと思ってますが、どうなるかわかりません。
とりあえず、来年のテーマは「文学」です。
今のところは・・・(笑)
姜尚中『ナショナリズム』レポート➁
⑶国体ナショナリズムの生成と変容
「国体」はいかにして生まれたか?そして時間の流れの中でどのような変成作用を受けてきたかを考えるのが『ナショナリズム』のテーマである。姜は国体の始原を、本居宣長にみる。宣長は幕末に盛んになった海防論による地政学的境界としての神州=日本を確定するより以前に、日本語から漢字を徹底的に排除することによって、本来の日本語=〈やまとことば〉及び〈やまとごころ〉を抽出し、日本を内側から確立した。その意味で宣長は最古の「政治的アルケオロジスト」であると姜は言う。
また宣長は以後繰り返し現れる美的憧憬としての「国体」の創唱者でもある。この主情主義的な国体は現在でもよく見られる。例えば小泉元首相が靖国神社参拝を行ったとき彼が吐いた「心から平和を願っている。それがなぜ悪いんだ」という言葉は「自分はイノセントな真心(ココロ主義)で動いているのに、外からいろいろ注文するのは政治的で汚れた言説だ」という感覚が込められていると姜は言う。ココロ主義=美的な国体は、絶えず政治的な国体と競合してきた。しかし前者が後者よりも安全なものと考えるのはナイーヴである。美的国体は政治を否定し美学化することで、よりファナティックで激情的な汎政治主義へと反転する可能性を秘めていることに注意しなければならない。
「イタリアは作られた、これからはイタリア人をつくらねばならない」これは姜がよく引用する言葉だが、同じ問題が明治の日本でも発生した。江戸時代の農民に自分が「日本人」だという自覚はなかった。その彼らに「日本人」であることを自覚させるためには、グラムシのいう「知的道徳的改革」が必要であった。明治日本においてその役割を果たしたのが「国体」で、より具体的に言うならば「大日本国憲法」と「教育勅語」「軍人勅諭」などのテキストである。
しかしこの時、国体にとって最大の問題が生まれる。天皇を憲法においてどう位置付けるかという問題である。伝統的天皇は、超越的統治者として法を越えた存在である。近代国家として出発した日本は、立憲主義に基づいて天皇を法の内部へと制約しなければならない。この時天皇機関説は未だない。明治の為政者たちは天皇を「現人神」とすることで憲法の内と外を無理矢理接合させたのである。
宣長によって見出された主情的な国体は「軍人勅諭」の中に生きている。忠節、礼儀、武勇、信義、質素などの軍人の徳行の実践は「誠心(まごころ)」がなければ単なる飾りにすぎないと書かれている。言い換えれば軍人は「誠心」によって天皇と内面的紐帯を持つのである。国体は微分され、個々人の内面へと埋め込まれていったのである。
先の大戦中「国体」は怪物となって猛威を振るった。。「聖旨」「大御心」「皇恩」「万世一系」等々の国体語が乱れ飛んでいたのだが、それらの中心をなす国体の概念は尚はっきりとしないままだった。むしろその茫漠としたところに何でも注入できる便利な容れ物として国体が威力を発揮したと言えるが。
天皇機関説を排撃した後の国体明徴運動とそれに続く「国体の本義」は依然として主情的なココロ主義を基調としたものだったが、植民地を獲得した日本は、外部すなわち台湾人や朝鮮人などを自らの内部へと同化しなければならなくなった。同化される天皇の赤子でも弟子でも臣子でもない異邦人をどう国体の中に位置付けるかが問題となる。彼等は異民族臣民として内部化、日本人化されたわけだが、それは一様に起こるのではなく中心ー周縁というハイアラーキーを維持したまま順次行われていったのである。しかし臣民の身分が儀礼的なルーティンによって与えられるということがかえって、国体の空疎さや日本人概念の曖昧さを反照することとなるのである。
日本の近代史における一大事件だった敗戦は、国体を抹殺しただろうか?姜の答えは、「否」である。国体護持が終戦工作の中心命題であったことからもそれはわかる。あの8月15日の玉音放送ですら天皇の超越性の確認に他ならなず、それは天皇制維持の緊急キャンペーンの一環であったのである。
皆が知るように新憲法の下で天皇制は生き延びた。延命は日米談合による「天皇制民主主義」という形でなされた。このようなことが可能であったのは、そもそも国体が戦争にも平和にも利用できる空虚で茫洋とした概念であったためである。
この奇妙で、かつ、巧妙に仕組まれた日米談合体制は、勿論、日本のナショナリストたちの言論に影響を与えずにはおかない。姜はその分裂を、和辻哲郎、南原繁、江藤淳、丸山真男の4人の知識人を例に挙げて述べている。詳しく見る前に大まかな区別をしておこう。問題は戦後戦前を通じて国体は繋がっているのか、途切れているのかである。和辻と南原は連続派であり、江藤と丸山は断絶派である。同じ断絶派でも江藤はそれを悲観的にとらえ、丸山は肯定的にとらえているという違いがある。
和辻にとって敗戦は国体の喪失を意味しない。むしろ国体は試練を潜り抜けることによって「成熟」したと考える。つまり戦中のおどろおどろしい国体語の連呼が代表する架空の観念に基づいた逸脱態の国体から、まともな形態に戻っただけであると。姜は和辻の倫理学を「仲ヨシ」共同体の人間学と名付け、その共同体の全体性を表現するのが天皇であるという。この和辻の考えと、戦後外部から齎された新憲法はほとんど異なるところをもたなかった。それ故かれは喜んで新憲法を受け入れたのである。
同じ連続派でも南原は国家を重く見る。彼は文化の目的というものは、国家という枠組みがあって初めて意味を持つものと考えた。国家なき文化などというものは脆弱なものと彼の眼には映ったのであろう。彼曰く「およそもろもろの文化の基礎に横たわる人間的自由の理念と、かような政治的国家の理念とを、その根底においていかに結合し、あるいは総合せしめるかの困難な問題がある。そして、それはまさに現代政治哲学の根本問題であると同時に、おそらく哲学永久の課題であるだろう」
ではこの永久問題を南原はどう解こうとしたのか?答えは歴史を重視することだった。ナチスのように「民族」に訴えることを回避した彼が見出した歴史。しかし、この歴史主義が再び国体を召還してしまう。記紀の「国生み」を例にして、皇室はいにしえより政治的だったのであり、これは世界に類を見ないものとして、格好の統一原理へと仕立て上げられるのである。
文芸批評家江藤淳は前二者とは全く異なる。彼は敗戦後の日本を次のようにとらえている。戦後とは日本人の心理が根底まで改変されその原型をとどめないほどに無惨にも作り替えられてしまった時代だと。終戦直後、日本人の中には「国体」が健在だった。しかしGHQによる武力と言論統制によって我々は自分たちの本当の歴史を忘却させられた。「他人の物語」を生きるのではなく、「自分の物語」を発見することを江藤は求める、これは明らかに昨今話題になった「自虐史観」と同じ言い草である。戦後はアメリカによって強制的に作られたというよりも日米談合による合作であったと姜は批判する。
最後に丸山を見てみよう。彼は戦前、国体の合理的な立憲主義的側面を拡大して国体の近代化を図ろうとした。彼の考えではナショナリズムはデモクラシーと結合して国民の主体的内面に規範化されねばならなかった。しかし実際起こったことは、全く反対のことだった。ナショナリズムは合理化されるどころか、ますます情念化され神秘化され超国家主義にまで至ってしまった。そのつけが敗戦となってあらわれた。
丸山は戦後も国体にこだわり続けた。しかし以前のようにナショナリズムとデモクラシーの内的結合を目指すのではなく「永久革命としてのデモクラシー」として達成しようとした。それはどういうことか?彼は近代の理念を、未来への投機ととらえた(彼の師である南原が過去へ遡行していくのとは全く逆方向であることは興味深い)。つまりたとえ「配給された民主主義」であろうが「他人の物語」であろうが、逆に自分からそれを引き受け生きるという決断をすれば良いと彼は考えたのだ。(しかし民主主義の配給元であるアメリカの化けの皮が剥がれてくるにしたがって、丸山は再び進路を変更することになるのだが)。