~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

好きな韓国映画 (1)

前回の更新から、幾星霜・・・・・ いや、およそ一ヶ月ぶりになりますな。

今日はまったりと、力を抜いて書きたいと思います。

テーマは《韓国映画

最初に観た韓国映画は巨匠イム・グォンテク監督の『風の丘を越えて/西便制

この映画で〈パンソリ〉という伝統演芸を知った。パンソリは韓国の中でも主に全羅道で演じられていること、〈恨〉も元々全羅道に淵源してることを知ったのはつい最近である。

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 今まで観た韓国映画で一番好きなのは、何と言っても奇才・鬼才キム・ギドク監督の『受取人不明』である。ストーリーは次のようなものだ(wikiより)

1970年代、米軍基地のある韓国のとある村。黒人の米軍兵との混血児であるチャングクは犬商人の仕事を手伝いながら、母親と二人で暮らしている。母親はアメリカに帰国したチャングクの父親に息子の写真を同封した手紙を出すが、手紙は「受取人不明」の判を押されて返ってくる。おもちゃの銃で右目を失明したウノクは、朝鮮戦争で戦死した父親の年金と母親の内職で生活している。米軍基地内の病院で目を治してもらうため、彼女は高校で英語を勉強している。米軍兵士相手の肖像画専門店を営む父をもつチフムは、父親の家業を手伝うため高校に通っていない。チフムはウノクに想いを寄せているが、アメリカかぶれの不良少年から学校に通っていないことをバカにされている。

  

何か、映画の至る所に熟考に値するテーマが隠されているという感じなのだ。

こういうのを「テクスト」っていうんだろうな、と思う(テキストじゃないけど)。

キムギドク監督の作品には必ず一箇所〈痛い場面〉が出てくる。

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 次はイ・チャンドン監督作品

『ペパーミントキャンディー』や『オアシス』の方が人気があると思うが、私は監督の一作目『グリーンフィッシュ』の方が好きだ。この作品はよく「フィルム・ノワール」と言われるが、「やくざ映画」ではなく、バラバラだった家族が再び一つになる「家族映画」だと思う、ただし主人公は死んでしまっているが。最後に映し出される「柳の木」は印象的だ。

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 次はキム・ジョグオン監督『リメンバーミー』

キムハヌルとユジテ、それからハジウォンが出演してる。

1979年のキムハヌルと2000年のユジテの無線交信。ちょっとSFぽいが、あまり気にはならない。

その期間、韓国は独裁制から民主制へと劇的に変わった。朴正煕大統領暗殺も映画に出てくる。ユジテはキムハヌルにとって、恋敵の子供であることがだんだんわかって来る。それに抗うことなく、静かに運命を運命として受け入れるキムハヌルの姿がせつない。最後、ユジテがキムハヌルに会いに行くという掟破りなシーンがあるが、「幸福そうだった」というわりに、あまりそう見えないところが気になる。

 

youtu.be

 

 同じタイトル・原作で日韓で撮影された作品があるが(リメンバーミーもそう)、総じて、日本の作品は説明くさい。例えて言うなら、韓国映画は韻文で、日本映画は散文だ。

 戦後の歴史が、その激しさの違いが作品にも顕著に表れていると思う。

ユン・ジェギュン監督 映画『国際市場で逢いましょう』観た。~最も平凡な父の最も偉大な物語~

 韓国映画『国際市場で逢いましょう』観た。

この映画は、韓国映画史上2位の観客動員を達成した作品だそうだが、そんなことは全く知らず、独立系の映画かな、などと勝手に思い込んで観てしまった。

ストーリーは、次のようなものだ(公式サイトからの引用)。

物語は現在から、老いた主人公ドクスの回想として描かれる。朝鮮戦争時の興南撤収作戦による混乱の中、父、そして妹のマクスンと離ればなれになったドクス。母と幼い弟妹と共に、避難民として釜山の国際市場で叔母が経営している「コップンの店」に身をよせる。 やがてたくましく成長したドクスは、父親の代わりに家計を支えるため、西ドイツの炭鉱への出稼ぎや、ベトナム戦争で民間技術者として働くなど、幾度となく生死の瀬戸際に立たされる。しかし彼は家族のために、いつも必死に笑顔で激動の時代を生き抜いた。
「今からお前が家長だ。家族を守ってくれ。いつか国際市場で逢おう」
それが最後に交わした父との約束。泣きたくなっても、絶対にひとりでは泣かないで。いつも側には、家族がいるから――。    

  今でこそ韓国は先進国の一員で、一方の北朝鮮は国民が食うや食わずの破綻国家というイメージだが、1960年代までは北の方が豊かだったのだ(だから日本からの帰還者も韓国でなく北へ帰った!)。70年代になってやっと韓国は北と同じ経済水準に達する。それを支えたのが、この映画の主人公である「ドクス」世代の人々なのである。

 

 妹の〈マクスン〉そして父と別れることになる朝鮮戦争(6・25/ユギオという)。見失った妹を探しに行く際、父は死を覚悟してか、わずか十歳ばかりの長男であるドクスに向かってこう言う、

「よく聞くんだ、俺がいなければ、お前が家長だ。家長はどんな時も家族が優先だ。今からお前が家長だ。家族を守れ。」

 この言葉はこれ以後、ドクスの人生を決定づけるものとなる。

 

 ソウル大学に入った優秀な弟〈スンギュ〉の学費を工面するために、ドクスはやったこともない炭鉱夫に志願し労働力不足だった西ドイツへ派遣され、そこで落盤事故に遭って死にかける。そのとき彼を救ったのが、おなじく韓国からドイツに来ていた派独看護婦だったヨンジャだった。彼女は、まだドクスらが救出されず閉じ込めらている坑道へ行きたいと、制止するドイツ人の管理者に詰め寄る、

  ヨンジャ「まだ、中に人が・・・」

  管理者 「ガスが抜けるまで立ち入り禁止だ!」

  ヨンジャ「残された人は死ねと?会社のために命懸けで働いたのに…地下に閉じ込められた人たちは、貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人よ、救けに行かせて!」

  管理者 「無理だ!生きている保証も・・・」

  ヨンジャ「言葉に気をつけなさい!!たとえ死んでも、仲間の前で死ぬ!」

 ヨンジャの言葉に奮い立ったドクスの同僚たちが、防護冊を蹴破って救助に向かう。

〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人〉はヨンジャ自身でもある。彼女たちもまたドイツ人が嫌がる死体拭きの仕事などをしていた。韓国から西ドイツに派遣された鉱夫、看護師たちの給料を担保に政府は融資を受けていたのだという。

 しかしその後、豊かになった韓国で育った現代の子供たちは、そのことを忘れてしまったようだ。作品中でも釜山の高校生とおぼしき一団が、コーヒーを飲んでいるスリランカ人カップルをひやかす場面がある。「一人前にコーヒー?笑っちゃう。怠け者の国は貧乏で当然。」「あいつらがコーヒー飲める立場か?貧乏な国から出稼ぎに来て!」

 それをたまたま耳にした現在の年老いたドクスは激昂する。(ドクスもドイツで同じ目にあっていたのだ。ー「出稼ぎに来てるんなら仕事しろよな、コーヒーなんか飲みやがって」「あいつら韓国人カップルのようだな、何をしてやがるんだキムチでも食ってろよ!」ー)

「何を飲もうと自由だろ!貴様が口出しするな!出稼ぎに来た奴はコーヒーも飲めんのか!!」 かつて〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人〉だったドクスの怒りも、もっともだ。当然、これは韓国だけの話ではない。日本はどうか?同じくかつて〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな〉日本人はどうなのか?出稼ぎに来ている外国人に対して日本人はどんな態度なのか?

 ドイツからの帰国後、ドクスとヨンジャは結婚する。しかし苦労は終わらない。

一番下の妹の〈クッスン〉が結婚式を挙げたいという。また叔母も亡くなり〈コップンの店〉も売りに出されるという。ドクスにとってその店はただの店ではない、生き別れた父と落ち合うはずの「約束の地」であったから。彼は自分でその店を買い取ることにする。その費用も捻出しなければならない。ドクスはベトナム行きを決意するが、ヨンジャは猛反対する。

 ドクス 「長男や家長は家族を養う責任がある」

 ヨンジャ「もう十分でしょう、まだ足りないの?いつもあなただけが犠牲に」

 ドクス 「やめろ!・・・女は黙ってろ!俺も好きで行くわけじゃない、これが俺の運命なんだ!仕方ないだろう!」

 ヨンジャ「運命ですって?これからは自分のために生きてちょうだい!あなたの人生でしょう、主役は誰なの?」 

 ドクスのいう運命とは、あの父親の最後の言葉「家族を守れ」によって方向づけられたものだ。しかし父親の言葉だけではないだろう、自分が妹のマクスンの手を放してしまったという負い目が彼に過酷な運命を受け入れさせている。それは一種の自己処罰の感覚とも言えるだろう。

 反対を押し切ってベトナムへ軍人ではなく、民間人技術者として赴く。そしてベトナムで彼はまた、死にかける。自爆テロでふっ飛ばされながら、妻ヨンジャへの手紙の中身を回想する、

『・・・僕は思うんだ、つらい時代に生まれ、この苦しみを味わったのが子供たちじゃなく僕たちで本当に良かったと…。ヨンジャ、こう考えてみないか、あの悲惨な朝鮮戦争を僕らの子供が体験したら?ドイツのあの地獄のような作業場で僕らの子が働いたら?ベトナム、この戦場に子供たちが出稼ぎに来たとしたら…?何も起こらないことがもちろん一番いいだろう、でも、その苦痛を味わったのが子供たちでなく僕たちで本当によかったと思う。』

  歴史というのは残酷なものだとつくづく思う。すこしの時間差で、天国と地獄の違いだ。それは、韓国も日本も同じだろう。僕らが生まれ育った時代は、高度成長期にバブル経済だった、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だった。その少し前は、安保運動だったし、その前は戦後の物のない時代、そして戦争の時代。たまたまその時代に生まれなかっただけなのに、えらい違いだ。愕然とする。自分が、戦時中に生まれたなら、果たしてドクスのように考えられたか? 思考実験だけではよくわからないが、実際に戦争を体験したいとは全く思わない。それに最近の「場合によっては戦争もするぞ」的な空気は警戒感を持ってる。のど元過ぎれば熱さ忘れる、とはよくいったものだ。戦争体験者が少なくなると、途端に勇ましい輩が跋扈する。歴史が繰り返されるわけだとヘンに納得する。どれだけの犠牲の上に今の日本があるのか、もう一度、先人たちの生き方(そして死に様)に思いを致すべきだと思う。

 映画は戦後韓国の(政治ではなく)風俗をなぞる。離散家族の公開捜査で生き別れた妹のマクスンが見つかる。これでドクスの一つの重荷がとれたわけだ、しかし父親の行方は知れないままだ。

 終わりの、死んだドクスの母親の法事の場面は印象的だ。子供や孫たちは居間で宴会気分で飲み食い、そして歌ってる。ひとり自分の部屋へ引っ込んだ今や老人となったドクスが父親の写真に語りかける、

 「父さん、約束は果たしたよ。マクスンも見つけた。十分頑張っただろう。でも…本当に、つらかった・・・」子供が親の犠牲になるのは当然であった過去と、親が子供のために犠牲になるのが当たり前になった現在と、そのはざまで価値観のしわ寄せを一身にひき受けた世代が、高度成長期に働き手であった世代なのだ。

 ベランダから外へ出たカメラが、ドクスの部屋と子供・孫たちの居間を一緒に写す。

そこには、現在と過去が同時に映し出されている。〈貧しかった昔〉と〈豊かな今〉が。それは明らかに矛盾である。逆に言えば、矛盾を解消するために時間・歴史が存在してるようにさえ思える。しかし、人間の記憶には、それら矛盾するものが同時に存在できるのも、また事実なのだ。

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(12・結)

 まとめと感想

 

 「世界史の構造」について書き始めたのが、4月の中頃。

8月ギリギリの前回でやっと終わって約4ヶ月・・・

最初のほうはもう忘れかけてる・・・・・ ので、ここで他のことは忘れてもこのことは忘れないでください!という論点を、備忘録として記しておくことにします。

 

①:国家と資本を一体としてとらえなければならない!!

 これは言い換えると、政治と経済を同時に視野に入れて思考せよ、ということです。伝統的マルクス主義者は、国家を軽く見ていた、それを経済の従属物のように捉えていた。ゆえに社会主義国家はナショナリズムの陥穽に捕まることになった。この事と関連して、

②:生産過程ではなく流通過程で闘え!!

 これもまた、マルクス主義者の失敗の反省から導かれた結論である。従来の労働者の資本との闘争が、生産過程すなわち労働組合運動に偏っていたことへの反省。むしろ流通過程、消費者=生産者協同組合で闘え、という示唆。労働は強制できても、消費は強制できない。

③:国は内側から見れば、「政府」に見えるが、外部から見れば「国家」に見える

 市民革命後の国民国家は内側から見れば、個々人の社会契約によって作られた「政府」のように見える。しかし、その政府も外部から見れば、侵略もするし、戦争もする立派な「国家」なのである。ゆえにボトムアップ式のゆるやかな民主主義を唱える者は、国を単純に内側からしか見ていない。外から見ればそれは何をするのか分からない危険な存在者なのだ。この外側から見るということは、世界共和国の実現にとっても大事な視点である!

④:「自由」と「平等」なら、「自由」を優先せよ!!

 平等を優先すると、再分配機能を高めなければならなくなり、そのことは必然的に国家を強化してしまう。また優先される「自由」は、己だけのものであってはならない。自分が自由であることが、他者を手段とすることで達成されてはならない。自由は相互性(互酬性)を持たなければならない。

⑤:株式会社を協同組合化せよ!!

 これは、チョー具体的な提案である。協同組合は産業資本制の競争下では生き残れない事を見越した提案。流通過程での闘いの一環ともいえる。

⑥:世界政府ではなく諸国家連邦を!!

 世界政府とは、結局覇権国家のことである。覇権国家の軍事力の下での平和は、永遠平和とは言えない。

⑦:国連の改革と各国での対抗運動を同時並行せよ!!

 国連トランスナショナルな部分を、軍事、経済の部分に拡大させること、それと共に各国内部で、協同組合、地域通貨などの非資本主義的な経済圏を創ること。この2つが揃わなければ、世界共和国、諸国家連邦は実現できない。

 

 まあ、他にもいろいろあると思うが、とりあえず私が大事だと思った論点を列挙してみた。

 

 この本を読みながらいろいろ考えさせられた。

政府と国家の区別はなるほどと思った。我々は「政府」を批判したり、政権交代させることもできるので、それを何か「自分たちのもの」という感覚で接している。いや、そういう感覚すらないかもしれない。しかし、外国との諍いが起こったらどうだろう?例えば尖閣諸島で中国との間に、いざこざが発生したら?我々はその時、自分たちの政府が「国家」として立ち現われるのを目の当たりにするだろう。「国家」はもはや国民の意志とは乖離した、独立した存在者となっている。それは相手も同じことである。国家は国家と対峙する。そのとき、ナショナリズムの何たるかを知ることになる。

 それから、読みながら、坂口恭平が同じことを書いてたなと思っていた。『独立国家の作り方』で彼は「態度経済」について次のように述べている「そうやって経済について考えて行った結果、見えてきたのは、経済自体にもレイヤーが存在することである。そして、今、僕たちが信じこんでしまっている貨幣経済というものは、それらの経済の一つにすぎないということだ。…」(P103) ここで坂口がいうレイヤー(層)は、柄谷の交換様式A,B、C、Dのことに近い。各交換様式は、同時並行的に存在する。ただそのなかのどの様式が支配的になっているかでその時代が特徴づけられる。現在は、坂口が言うように貨幣経済が、つまり交換様式Cがドミナントになっているのだ。しかし、同時に交換様式AもBも存在してるのである。かれが唱える「態度経済」は、交換様式Aではないか?それを現在の資本制下で復活させようとするならば、ひょっとすると交換様式Dかもしれない。彼がヒントを得た、ホームレスとは、いったん共同体から離れた人々であるから、ますます交換様式Dの条件に合致してくる。

 現在の経済体制の下にも複数の経済が共存している、それは間違いない。ヒントはいくらでもあるだろう、シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」、ノイラートの「実物経済」、地域通貨LETS」「Q」、自主管理労組、参与型経済などなど、勿論、Bライフもその中に入れられるべき可能性の一つにはちがいない。

 

 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(11)

 世界共和国へ

 

 (ⅰ)資本と国家への対抗運動

 これまでの資本との闘争には二つの欠陥があったと、柄谷は指摘する。

 

 ① 資本を国家によって抑えようとしたが、それはむしろ国家を強化するだけであった。

 ➁ 闘争の場が、生産過程に偏っていた。

 

 ①はそのまま20世紀の社会主義国が辿った足跡を見れば一目瞭然だろう。少数の例外を除いて、社会主義国は堅牢な国家主義によって武装してしまった。

 ②について、19世紀の社会主義運動はオーウェンプルードンのように、むしろ流通過程を重視したものであった。それが1871年のパリコミューンの敗北以来、生産過程中心の社会主義運動に転化していってしまった。しかし生産過程にもとづく運動(労働組合)はどうしても困難に直面してしまう。労働組合運動が、苛烈な政治闘争の末合法化されると、それは単なる賃金や労働条件闘争という経済的なものに限定されるようになる。その時点で「賃労働そのものの廃棄」という革命運動は忘れ去られてしまう。これに対して、レーニンは「外部注入論」などで対抗しようとしたが、そもそもの「階級闘争」という概念が、交換様式Cが優勢な産業資本社会では機能しなくなっているので、通用しないのだ。では、どうすればいいのか?

 それは資本と労働者の接点を見ればわかる。その接点は柄谷によると3つある。

 ① 労働者が、労働力を(資本に)売る場面

 ➁(労働者が)雇用されて労働する時

 ③ 労働者が自ら生産したものを、消費者として買う時

 これまでは➁の場面で対抗運動を展開してきたが、その地点では、外国資本との競争によって会社が倒産しないようにするために、労働者と資本は同じ立場に立ちやすくなってしまう。ゆえに異なる場面で運動を展開しなければならない。そこが、③の場面である。

『労働者は個々の生産過程では隷属するとしても、消費者としてはそうではない。流通過程においては、逆に、資本は消費者としての労働者に対して「隷属関係」におかれる。とすれば、労働者が資本に対抗するとき、それが困難であるような場所ではなく、資本に対して労働者が優位にあるような場所でおこなえばよい。』(P438)

『働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力はないからだ。流通過程におけるプロレタリアの闘争とは、いわばボイコットである。そして、そのような非暴力で合法的な闘争に対しては、資本は対抗できないのである。』(P440)

  流通過程における資本への対抗は、商品を買わないことと、労働力商品を売らないことである。しかし、この2つのボイコットが可能になるためには、消費者=生産者協同組合や地域通貨・信用システムなどの非資本制的な経済圏を作っておかなければならないことを、柄谷は付け加えることを忘れてはいない。

 

 柄谷は、資本は必ず国家と一緒に考えられねばならない、と本書で執拗に繰り返している。であるならば、資本への対抗運動は同時に国家への対抗運動でなければならない。

 資本主義経済は海外との交易で成ったている。一国における、資本主義の放棄は他国に影響をもたらすのは明らかである。資本=国家の揚棄は必ず外国の干渉や制裁を受けずにはいない。であるから、社会主義革命は一国革命ではなく、「世界同時革命」でなければならなかったのだ。では、その世界同時革命は可能なのか?過去を振り返ってみよう。第一インターナショナルは、マルクス派とバクーニン派の対立で破綻した。第二インターナショナルは、一次世界大戦勃発による各国支部のナショナリズムへの傾倒によって瓦解した。第三インターナショナルは、ソ連共産党の傀儡であり、各国の共産党労働組合ソ連のそれらに従属したに過ぎない。第四インターナショナルは単に無力である。毛沢東による第三世界の革命も、イスラム圏、中国、インドなどの多数の広域国家に分解されただけに終わった。

トランスナショナルな運動は、いかに緊密に連携していても、国家間の対立によって分断されてしまうことになる』(P446)

 しかし、柄谷は、「世界同時革命」のヴィジョンを決してあきらめない。そこで、担ぎ出されたのが、カントである!

 

 (ⅱ)永遠平和と世界共和国

 

 カントは一国内だけで「完全な意味での公民的組織」を設定するするとき、諸外国の干渉を受けざるを得ないと考えた。それを避けるために「諸国家連邦」を構想した。しかし、カントは外国の干渉を避けるためだけに、それを考えたわけではなかった。「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳律が実現された社会を、カントは「目的の国」と呼んだ。それは一国だけでは考えられない。何故なら、自国における完全な公民組織の実現が、他国を単に手段として扱う(収奪)ことによって成立することであってはならないからである。

『ゆえに、「目的の国」が実現されるとき、それは必然的に「世界共和国」でなければならない。』(P449) 

 そうでなければ、革命は、ナポレオン戦争のように世界戦争を引き起こすだけになってしまうだろう。

 このようなカントの「諸国家連邦」の構想を、ヘーゲルは、諸国家連邦では、国際法に対する違反を咎めるすべがない理想論だと批判した。ヘーゲルでは、諸国家を束ねる覇権国家がなければそれは不可能だということになる。しかし、カントは決して単なるナイーブな「理想家」ではないと柄谷は言う。むしろカントにはヘーゲルのリアリズム以上の残酷な「リアリズム」があると。

 カントは、覇権国家なしにどうやって諸国家連合を可能ならしめるのか?

それは人間の持つ「反社会的社会性によってであると。「反社会的的社会性」とは、すなわち戦争をしでかす人間の能力のことである。国家間戦争による膨大な死者・損害を目の当たりにすることによって、人間は国家を越えた組織を創り出そうとするようになったというのだ。確かに実際の歴史を見ればそうである。一次世界大戦後に国際連盟ができ、二次大戦後には国際連合が形成された。それは人間の理性が生んだというよりも、確かに人間の反社会的社会性が齎したものだといえる。

 

 (ⅲ)世界システムとしての諸国家連邦

 

 国連は人類の大変な犠牲の上に成立したシステムであり、たとえ不完全でも、それを活用しない手はないと柄谷は言う。

 現在の国連は、①軍事に関する領域、②経済に関する領域,③医療・文化・環境等に関する領域の3つの部分からなっている。

 柄谷は、①と②を、③のようなネーションをこえたシステムにするべきだと提案する。国連を新たな世界システムにするためには、各国における国家と資本への対抗運動が不可欠である。各国の変化のみが国連を変えるのである。と同時に、逆のことがいえる。国連の改革こそが、各国の対抗運動の連合を可能にする、と。』(P464)

世界同時革命は通常、各国の対抗運動を一斉におこなう蜂起のイメージで語られる。しかし、それはありえないし、ある必要もない。国連を軸にするかぎり、各国におけるどんな対抗運動も、知らぬ間に他と結びつき、漸進的な世界同時的な革命運動として存在することになる。』(P469)

  各国での対抗運動がなければ、国連が無視され、世界戦争が起こる。しかしその世界戦争は、カントによれば、また次のより高度な諸国家連邦を創ることになる。

 諸国家連邦がその第一歩となる「世界共和国」の実現は、容易ではない。しかし、人間が存在する限り、人間と人間の交換関係は存続する。交換様式A,B,C,が存在する限り、交換様式Dもまた執拗に存在するのだ。

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(10)

アソシエーショニズム 

 普遍宗教は共同体、部族、国家を越えた地点で初めて存立可能となる。共同体から切り離された個々人が、普遍宗教の「神の力」によって再び結びつく。しかし、例えばキリスト教は、国家の枠組みを越えた存在となったが、結局ローマ帝国の支配構造に組み込まれてしまった。普遍宗教によって示された交換様式Dは正統派の宗教ではなく、むしろ「異端」と呼ばれた人々の社会運動として、歴史上に現れた。

 

 (ⅰ)世界共和国

 

 初期の近代市民革命は、宗教との結びつきが色濃い。最初の市民革命が「ピューリタン革命」と呼ばれるように。名誉革命フランス革命、そして1848年の革命まではまだ、社会主義運動(貧困問題を解決しようとする運動)は宗教とのかかわりを持っていた。しかしそれ以後、キリスト教社会主義の関係は無くなった、と柄谷は指摘する。その理由は①産業資本が社会構造を根本的に変えたこと、➁1840年代にプルードンマルクスが現れたことの二点を挙げている。後者は、つまり、社会主義を宗教に基づかせる必要が無くなった、代わりに経済学を用いればよいということを意味している。

 宗教である限り社会主義運動は必ず国家に回収されてしまう。それを回避するためには宗教を捨てなければならない、しかし宗教が担っていた「倫理」をどう代替するのか?柄谷はここでカントを導入する。カントこそ宗教を批判しつつ、そこから倫理を救い出した人物なのだ。そして、その倫理とは

「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率で表されるもである。これは自分が自由な存在であることが、他者を手段にしてしまうことであってはならないこと、すなわち「自由の相互性(互酬性)」を意味している。

 これを資本主義に適用すると、資本家は労働者を単なる手段(労働力商品)として扱っている。ゆえにカントの道徳律に照らすならば、賃労働そのもの、資本制的生産関係そのものを揚棄しなければならいことになる。更に柄谷は、資本のみならず国家も揚棄されねばならないという。資本=国家は一体で考えられねばならない、柄谷のこの本でずっと繰り返される持論である、と同時にカントも「世界市民的な道徳共同体」すなわち「世界共和国」を構想した、とする。

 ホッブズ一国内での平和状態を考えたのに対して、カントは国家間の平和状態を創設しようとした。

『「世界共和国」とは、諸国家が揚棄された社会を意味するのである。そして、そのことは、たんに政治的次元だけですむはずがない。国家と国家の間に経済的な「不平等」がある限り、平和はありえない。永遠平和は、一国内だけでなく多数の国において「交換的正義」が実現されることによってのみ実現される。したがって、「世界共和国」は国家と資本が揚棄された社会を意味するのである。国家と資本、そのどちらかを無視してたてられる論は空疎であるほかない。』(P349)

 そしてここで、構成的理念統制的理念を区別する。前者は、歴史上で言うならば、ジャコバン主義による理性にもとづく社会の暴力的改革である。後者は、無限に遠いものであっても、人がそれに近づこうと努めるような場合のことである。

 カントにとって「世界共和国」は統制的理念であって、決して構成的理念ではないのである。ここで注意しなければならないのは、「世界共和国」が「世界政府」ではないということだ。それならば単なる世界帝国にすぎない。「世界共和国」とは「諸国家の連邦なのである。

 

(ⅱ)二つの社会主義

 

 社会主義には2つのタイプがあると、柄谷は言う。

国家社会主義ジャコバン派、サン=シモン派、ラサール派、ルソー、

➁国家を拒否する社会主義(アソシエーショニズム)プルードンマルクス

 

 この区別は「自由」と「平等」のどちらを重視するかで、明らかになる。

平等を優先すると、それは国家による再分配機能を強めることになり、結局国家そのものの強化になってしまう。ルソーの「一般意志」も個々人の意志を国家に従属させることと同じだという。

逆に、プルードンは自由を平等に優先させた。しかし彼は平等を軽視したのではない。

国家が主体の「分配的正義」に反対し、共同体から一度絶縁した人々からなるアソシエーションによる「交換的正義」を唱えたのだと。

 

(ⅲ)労働組合と協同組合

 

 プルードンは流通過程において資本主義と対抗しようとしたが、マルクスはそれを批判した。マルクスはむしろ生産過程における対抗を重視した。それはプルードン後進国フランスをモデルに、マルクスが産業先進国イギリスをモデルに考えていたことからくる。イギリスではリカード左派による、企業の全利益が生産手段の所有者ではなく、労働にじっさい従事した者に対して分配されるべきだという「労働全収権」の主張がすでに存在していた。そして、この「労働全収権論」から二つの運動が出現する。労働組合「協同組合」である。労働組合とは、資本が労働者を結合して働かせて得る剰余を取り戻す闘争であり、協同組合とは、労働者自身が労働を連合(associate)するものである。これら二つの対抗運動は、質的に異なると柄谷は言う。前者は資本制内部での闘いであり、後者はその外部に超出しようする運動である、と説明する。プルードンは後者を指向し、マルクスはそれを批判した。しかしイギリスにおける労働組合運動が、労働力商品の揚棄にではなく、たんに労働力の商品価値を高めるだけの運動になってしまっているのを見て、協同組合を評価するようにった。〈この協同組合工場の内部では、資本と労働の対立は止揚されている〉とマルクスは言っている。

 

(ⅳ)株式会社と国有化 

 

 マルクスは協同組合を評価するようになったが、それが資本制社会の競争の下では生き残っていけないであろうことも見抜いていた。ではどうすればいいのか? 彼が見出した答え、それは「株式会社」にある。「株式会社」において資本と経営は分離されている、株主は生産手段に対する所有権を持たない。株式会社を「共産主義に飛び移るための」「もっとも完成された形態」とマルクスはみなした。で、結論としては株式会社を協同組合化するのである。株主の多数決支配下にある株式会社を、協同組合のロッチデール原則によって、株主を含む全従業員が一人一票の投票権で議決するようなシステムを導入するのだ。

 しかしこれを実際導入しようとするやいなや、資本の激しい抵抗に遭うのは、火を見るより明らかである。であるから、マルクスは国家権力を握って、一挙にこれを成し遂げようとしたのだ。しかし、そこには国家による協同組合の育成という罠がある。事実、歴史は巨大な株式会社を、「国有化」することによって社会主義としてしまった。国有化は、ただ官僚の力を肥大化させるだけだった。

 

 

 

 

 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(9)

ネーション(国民)

 国家は略取と再分配という交換様式Bに基づき、産業資本は商品交換という交換様式Cに基づいている。近代国家はネーション=ステートと形容されるが、それはネーション(国民)とステート(国家)という異質なものの結合体なのである。国民国家は、絶対王権に先行されなければ成立しない。絶対王権によって、主権という概念が生まれ、それに服従する臣民が誕生する。主権者たる王が市民革命によって倒されれば、今度は市民が主権者となる。これが国民国家である。しかし国民国家において国家=資本の本質的な結びつきは見えにくくなる。何故か?それにはネーションの成り立ちが関係している。

「ネーションとは、社会構成体の中で、資本=国家の支配の下で解体されつつあった共同体あるいは交換様式Aを、想像的に回復するかたちであらわれたものである。」(P312)

 

(ⅰ)国家と資本から見たネーション形成

 

 絶対王権はまず内において中間勢力を圧倒し、王が並ぶ者のない唯一の者となる。王以外の者は、臣下として同一の地位に置かれる。次に外に対しては普遍的な権力を否定するようになる。例えば西ヨーロッパにおいては、ローマ教会や自然法、ラテン語などの権威が否定されて、国教会や世俗法、俗語などが使われるようになる。

 産業資本から見ると、ネーションは中世の徒弟制度とは違った新しい産業社会に適した労働力の育成に伴って作られたものとなる。すなわち、新たな技術に対応し、時間を厳守し、見知らぬ他人と協働する、読み書き、計算能力、労働慣習などが教育制度によって与えられねばならないのだ。更に言えば、与えられたこの共通の言語や文化がナショナリズムの基層となる。つまり、これは『ナショナリズムを育成する事と「労働力商品」を育成することが切り離せないものだということを意味している。』

 

(ⅱ)想像の共同体、ボロメオの環

 

 しかしネーションは、単に資本=国家の受動的な産物ではない、と柄谷は言う。ネーションには、資本=国家への反撥・対抗があるのだと。その反撥は感情にもとづく。もう少し詳しく言えば「連帯の感情」である。それは「家族や部族共同体の中での愛とは別の、むしろそのような関係から離脱した人々の間に生まれる、新たな連帯の感情である。」(P317)

 ベネディクト・アンダーソンはネーションを「想像の共同体」と呼んだ。アンダーソンはネーションを(普遍)宗教の代替物と考えたが、柄谷はそれを共同体の代補と見做している。

 

 ネーションが成立する18世紀に、哲学史において「想像力」の地位が上昇した。カントが感性と悟性を媒介するものとして想像力(構想力ともいう)を、ロマン派の詩人が「空想」と区別された「想像力」を、またスコットランドのハチソンが「道徳感情」について論じ、彼の弟子であるアダムスミスは共感にもとづく倫理学を作り上げた。

 後のドイツ観念論の哲学者たちは、感性と悟性を一元化しようとしたが、カントはその二者の区別にこだわった。カントにとって道徳とは、ハチソンのように感情にもとづくものではなく、あくまで理性的なものであった。感性と悟性は想像力によって綜合されねばならないのだ。柄谷はこれをネーションへと(図式的に!)当てはめる。「ネーションおいて現実の資本主義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が、想像的に補填され解消されている。」「それ(ネーション=ステート)は、資本主義経済(感性)と国家(理性)がネーション(想像力)によって結ばれているということである。これらいわばボロメオの環をなす。」(P330)

 

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 (ボロメオの環とは、そのどれか一つをとると壊れてしまうような環のこと。)

 

(ⅲ)ネーションステート帝国主義

 

 かつての帝国が「帝国の原理」によって他民族の自主性を重んじ寛容に支配したのに対して、国民国家が外へ向かって拡大する場合、同質性を強要する「帝国主義」となってしまう。そしてこの同質性の強要が、征服された人々にナショナリズムを惹起する。「帝国の支配からは部族の反乱が生じただけなのに、帝国主義的支配からは、ナショナリズムが生じる。」(P339)

帝国主義は、意図せず、他の国民国家を創り出してしまうのだ。

また、清帝国オスマン帝国などの元々の帝国(多民族国家)が近代化する際に、民族より階級を優先させるマルクス主義を採用したのは偶然ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(8)

 交換様式Cが支配的な社会構成体は産業資本主義とともに初めて歴史上に現れた。これは、氏族社会、国家の出現と並んで画期的なことなのである。

 

 産業資本

 

 (ⅰ)産業資本と産業プロレタリア

 

 一般に商人資本は流通から利潤を得(安く仕入れて高く売る)、産業資本は生産過程から利潤を得るものとみなされている。しかしそれだけで商人資本と産業資本を区別することはできない。何故なら、商業資本も単に仲介するだけでなくマニュファクチャーを組織し物作りをするし(実際イタリアの物作りは今も一大ブランドである)、産業資本も安い原材料・労働力を求めて「遠隔地」へ赴く。では産業資本はどこが商人資本と違っているのか? 

 産業資本も流通過程から利潤を得るM--C--M'(M+⊿M)(お金--商品‐‐お金)、それは商人資本と変らない。しかし産業資本は、労働力という商品を発見した。労働力商品はそれを買うことが、すなわち生産過程になるという極めて特殊な商品なのである!

 勿論、賃労働者は昔から存在したが、産業資本が見出したそれは「二重の意味で自由な」労働者なのである。それを柄谷は「産業プロレタリア」と呼んでいる。二重の意味で自由とは①封建的身分拘束から自由であり(奴隷や農奴ではない)、➁労働力以外に売るものもたない(土地を所有していない)、すなわち生産手段からの自由の二点にある。

 柄谷が強調する「産業プロレタリア」とそれ以前の賃労働者との本質的な違いは、前者が自分の作ったものを買うものであるということにある。

『商人資本によるマニュファクチャーの下で生産する賃労働者は、それらの生産物を買うことはない。それは概して、海外ないし富裕層に向けられた奢侈品だからだ。しかるに、産業資本を支えるのは、生産したものを自ら買い戻すような労働者である。また、その生産物は労働者が必要とする日用品が主である。』(P278)

 『産業資本の画期性は、労働力という商品が生産した商品を、さらに労働者が自らの労働力を再生産するために買うという、オートポイエーシス的なシステムを形成した点にある。』(P280)

 

(ⅱ)貨幣の商品化・労働力の商品化

 

 商人資本から産業資本への推移を見てきたが、これとは反対の過程も生じていたのである。商人資本・金貸し資本が逆に、産業資本を包摂するようになったのである。産業資本は物を生産するに不変資本への投資が必要となるが、それは資本にとってリスクにもなりうる。純粋に利潤を追求するならば避ける方がよい。なので、産業資本は可能であれば商業や金融で儲けようとする。実際17世紀のオランダがそうであったように、また現代のマネーゲームがそうであるように。

 産業資本が不変資本への投資リスクを避けるために再登場したのが「株式会社」である。「株式会社、すなわち、資本の商品化」によって資本自体が市場で売買されることになった。これは産業資本が商人資本に転化したともいえる。

 さらにリスクを避けようとすればそれは金融資本に行きつく。金融資本は、産業資本のような自由な価格競争にさらされることなく、市場や資源を独占できるからだ。

 

 産業資本主義は「労働力」という打ち出の小槌的商品を見出したのであるが、それにはしかし致命的な欠陥が存在した。労働力という商品には市場の自己調整システムが機能しないのだ。つまり、需要がないからといって廃棄できないし、不足したからといって急遽増産することもできない。そして『労働力商品に固有なこうした特異性のために、景気循環が不可避になる。』しかし資本主義にとって恐慌は、それを崩壊させるものではなく、むしろ資本蓄積のために不可欠なものとなる。

 

 (ⅲ)産業資本主義の限界

 

 産業資本のオートポイエーシス的システムは、なかなかうまいシステムであるが、労働力という商品の性質にもとづく限界も持っている。

①たえまない技術革新が求められる。

➁たえず安価な労働者=新たな消費者を必要とする。

この2点が解決されないと資本主義は終わってしまう。

①についてはこれまで資本主義は世界商品のシフトによってしのいできた。しかしそれもそろそろ限界に近づいている。

➁について、先進国は後進国の労働力・資源を「等価交換」によって自国に吸い上げる。(一見「不等価交換」に見えるかもしれないが、柄谷は同じ価値体系において安く買って高く売ることは不等価交換であるが、異なる価値体系間では等価交換と見做せると考えている。)先進国の労働者は、後進国の労働者を搾取することによって、一定の生活水準を維持することができる。経済は、一国内で考えられるのではなく、いつも世界=経済として考えねばならないのはこれが理由である。