~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

熊井啓監督「地の群れ」を観た。~希望なき映画に希望をみる~

 

 原作は井上光晴。映画の脚本も井上本人と熊井啓監督の共同執筆。井上光晴三島由紀夫安部公房とほぼ同年齢。後者二人の作品はほとんど読んでいるが、井上の作品はなぜか全く読んでいなかった。ただ昔に原一男監督の『全身小説家』を観て、作品よりも作家自身に興味をそそられたことを思い出す。原作の『地の群れ』も未読である。近々読む所存である。よって、以下の感想も映画『地の群れ』についてのものであって、小説『地の群れ』のものではないことを予め断っておく。

 

 昭和16年、長崎の炭鉱で働いていた少年・宇南親雄は、同じ炭鉱で安全灯婦をしていた朝鮮人の朱宝子を妊娠させてしまう。宝子の姉・宰子に妊娠の責任を追及される宇南少年。これが冒頭のシーンである。

 後になって分かることだが、宝子はお腹の子を流産させようとして坑木置場から飛び降り、あやまって自分も死んでしまう。妊娠させた男について様々な噂が飛び交うが、唯一真相を知る姉の宰子も決して宇波の名前を口にしない。検定試験を控えた宇南少年にとって全てが好都合に運ぶ。しかしこの事が返って宇南の心に「疚しさ」の刻印をいっそう深く刻みこませる。彼は、試験に合格し炭鉱暮らしから抜け出て、その後医師になる。

 

 医師となった宇南は、出血が止まらないという家弓安子の診察に出かける。宇南はすぐに症状が『原爆病」に似ていると告げるが、母の光子はそれを頑なに認めようとしない。自分は原爆投下の日佐賀に疎開していて長崎にはいなかったと。

 

 宇南の患者の一人に津山金代という老婆がいた。その孫の津山信夫は、被差別部落の少女・福地徳子を暴行した疑いで警察にひっぱられる。しかし信夫にはアリバイがあり、しばらくして釈放される。

 ある日、被害者の福地徳子が宇南の診療所に「暴行された証明書」を書いてくれとやって来る。理由もわからず証明書は書けないと断る宇南に彼女は「先生に話してもわからんことです!」と言い放つ。宇南をにらみつける徳子の視線が、かつて彼を弾劾した朱宰子の視線と重なる。

 

 疑われた信夫は、徳子に何故警察に嘘をついたのかを問いただそうとするが、逆に左手と耳にケロイドのある男が信夫の住む海塔新田にいないか問われる。〔海塔新田とは長崎原爆の被害者たちが多く住む地域の事で「ピカドン部落」とも呼ばれている(架空の)場所だ〕。その男こそが徳子に乱暴をはたらいた真犯人なのであった。 

 

 徳子は一人で海塔新田にある真犯人・宮地真の家にのりこむ。しかし彼女と真、その父との間に「やった」「知らない」の口論が始まり、決して事実を認めようとしない。

 その晩、今度は母の松子が海塔新田へ一人でやって来る。再び真の父と言い争いになり、その過程で松子は「あんたは、この海塔新田が世間で何と言われとるか知っとるとね。知らんことはなかろう。あたし達がエタなら、あんた達は血の止まらんエタたいね。あたし達の部落の血はどこも変わらんけど、あんた達の血は中身から腐って、これから何代も何代もつづいていくとよ。ピカドン部落のもんといわれて嫁にも行けん、嫁にもとれん、しまいには、しまいには・・・」と口ばしってしまう。

 家の周囲に潜んでいたらしい海塔新田の人々の投石によって、とうとう松子は命を落としてしまう。 

 

 これがこの作品のざっとしたあらすじである。

 この「地の群れ」は社会派の熊井監督作品の中でも最も重い、暗いと言われた作品だ。

しかしこの映画を「絶望的」「救いがない」と形容することは、結局「何も見たくない」、「何も考えたくない」と言っているのと同じである。

 絶望の中にも希望は兆してるのであって、その幽かな希望、希望の如きものを見出し、ここに記しておきたいと思う。

 

 私が感じる希望とは、医師の宇南親雄という存在である。

彼は共産党員としての活動で同志の命を救えなかった。そればかりか彼の恋人を自分の妻にしてしまった。また、この妻が妊娠を告げるや、密に薬を盛って堕胎させたりした。

これで分かるように宇南という人間は「罪」まみれなのだ。決して尊敬されるような人物ではない。

 妻に「あれからずっと、あなたの裏側ばかりみてしまうようになった」と堕胎させたことについて吐き捨てるように言われると、宇南は「お前は、俺の裸の顔を知っているのか。俺がどんな生き方をしてきたか、本当のことを知っているのか」と答える。妻にではなく、自分に言い聞かせるように。

 

 宇南は、原爆投下直後、爆心地に父を探して彷徨し被爆した。やっと探し当てた、やけどで瀕死の父親に、生き別れた母親について問う。すると彼の母親は被差別部落出身だったことがわかる。つまり宇南は自身が被爆者であり、部落の母を持ち、かつて朝鮮人の娘を死に追いやった人なのである。

 この映画に登場する、被爆者、部落、朝鮮人という決して他者とは共有できないものを持つ者達と、少しずつ共有できるものを持つのが彼、宇南親雄なのだ。

 「他者と共有できないもの」を持つこと、それを持っていない者に決して「伝達できないもの」をもつことを宇南は「ほんとうのこと」と言っているのだ。

 本来ならば、それ一つをとっても過酷なものをあわせ持つ彼こそ、被爆者、部落、朝鮮人を媒介できる存在者なのである。

 事実、彼は「原爆病」と言われるのを拒む家弓光子に「海塔新田がへんな部落なら、日本中そうじゃないですか!」と諭す。母親を失った福地徳子をはげましに行こうとしたり、追われる津山信夫を助けようとしたりする。

 これ以降、彼がどう生きたかはわからないが、私はこんな彼に希望の可能性をみるのである。

 

 

 しかし、気がかりがある。それは劇中たびたび挿入される米軍の存在である。

宇南の頭上を飛び交う米軍戦闘機は、アメリカから見れば日本人なんて皆「イエローモンキー」なんだよ、と言ってるように思える。考えすぎだろうか?

 

 

youtu.be

「祖谷物語ーおくのひとー」を観た

 蔦哲一朗監督の『祖谷物語-おくのひと-』を観ました。 

蔦監督はあの「やまびこ打線」で甲子園全国制覇をなしとげた池田高校野球部の蔦文也監督(どっちも監督!)のお孫さんだそうですが、風貌はまるっきり正反対。おじいさんの豪快な感じとは違って繊細なお顔立ちです。

 しかし!!この映画を全編・35mmのフィルムで撮影し、完成に3年もの時間を費やするなど並々ならぬ情熱と強い意志の持ち主であることがうかがえます。デジタル時代に抗ってフィルムの質感にこだわる、ブラボーです!新人監督〈なのに〉、というか新人監督〈だから〉と言うべきか無茶してます。無茶ですが、初めから小さくまとまって、コストとか手間とかにかまけてる様じゃダメです、大成しません。

 

 物語は徳島の山深い祖谷渓谷を舞台に始まります。

こんな景色以前にも見たことあるな・・・と、そうだ『萌の朱雀』だ!『杣人物語』だ!この感想は映画の後半で意外な形で的中します。

 『祖谷物語』にはあまり説明するようなシーンがない。日本の映画は、観客の事を慮ってか、或は子供扱いしてるのか、やたら説明くさいのが多いですが、その点でこの作品は、視る者に隙間を与えてくれます、想像する余地を残してくれています。そこがいい。 

 物語では、前半と後半で全く景色が異なります。

祖谷を出た「春菜」は東京で何やら研究の助手みたいなことをしています。しかも男と同棲してるみたいなのです!あの純真な,田舎の素朴な少女はどうなったんだ!?と内心叫んでいました。また研究室の先生役で「河瀨直美」が出演しててビックリさせられます(おー、萌の朱雀、当たってる!)。

 物語構造分析みたいなことを言えば、《死と再生》の物語と言えるんでしょうね。山は《生》、都市は《死》を表して、その間をつなぐのが《トンネル》なのでしょう。一度、山を下りて、都会へ出て(死)、再び山に帰る(再生)。実際、死んだ(らしい)「お爺」は「工藤」として蘇っています。(ちなみに萌の朱雀でもトンネルは登場します。)

  この映画についての他の人の感想を見てると「後半部分が余計」というのが結構多いですが、主人公の春菜が生まれか変わる為にも、都会で一度死ななければならなかったんでしょう。東京の川にマリモを放り投げ、川底までわざわざ下りていくシーンは春菜の《死》を象徴してるんだと思います。そこで発見する故郷の《かかし》は再生の導きであり、横たわる水路の入り口は、子宮だといえます。祖谷のトンネルまでが産道で、そこから出てきたときに、彼女は再生します。旅館を手伝っている友人の赤ちゃんがでてきますが、それは《生まれる》ことの暗喩です。

 あと、祖谷の山道を走る派手な色のボンネットバスは、となりのトトロの「猫バス」を連想させます。

トトロの代わりに春菜はあの《かかし》を連れています。

 細かく分析すればもっと色々、興味深いかもしれませんが、めんどくさいのでやりません。もっともらしい言い訳をすれば、映画を文学にしないためです。映画と文学は違います。文字で表せないところが、映画なのです。どんなにうまく分析しても、実際の映画作品はそれを超えています、というか、はみだしています。

 

 一言も発さない「お爺」役の田中泯さんの存在感がすばらしいです。

 これも映画は文学じゃないことの証明になっている思います。 

 

youtu.be

明治初期の文藝雑誌&出版社

雑誌 

 

 ・『東京新誌』 明治9年 服部撫松

 

 ・『花月新誌』 明治10年 成島柳北 

 

 ・『団々珍聞』 明治10年 野村文夫・石井南橋・田島任天

 

 ・『魯文珍報』 明治10年 仮名垣魯文 

 

出版社&文藝誌

 

 ・金港堂 明治8年 『以良都女』 『都の花』 

 

 ・十字屋 明治10年 キリスト教関係

 

 ・内田老鶴圃 明治11年

 

 ・春陽堂 明治11年 『新小説』 

 

 ・三省堂 明治14年 

 

 ・東洋館 明治16年 →冨山房

 

 ・女学雑誌社 明治18年 『女学雑誌』巌本善治

 

 ・博文館 明治19年 『大和錦』『日本之女学』『太陽』『文藝倶楽部』

 

 ・民友社 明治20年 『国民之友』徳富蘇峰

明治初期の新聞 

大新聞 

 ・横浜毎日新聞 明治3年(島田三郎・仮名垣魯文

  →東京横浜毎日新聞 明治12年 (沼間守一)

 ・東京日日新聞 明治5年(山山亭有人・落合芳幾・岸田吟香・福地桜痴

 ・郵便報知新聞 明治5年(栗本鋤雲・矢野龍渓犬養毅尾崎行雄原敬

 ・朝野新聞 明治7年(成島柳北末広鉄腸

 ・東京曙新聞 明治8年(末広鉄腸・大井憲太郎)

        ・

        ・

 ・自由新聞 明治15年(板垣退助・馬場辰猪・中江兆民末広鉄腸・田口卯吉)

  →自由燈 明治17年(星亨)→燈新聞 明治19年→めさまし新聞 明治20年

  →東京朝日新聞 明治21年(池辺三山・渋川玄耳

 ・時事新報 明治15年(福沢諭吉

 ・日本 明治21年(杉浦重剛陸羯南

 ・国民新聞 明治23年(徳富蘇峰

                         

 現在の『朝日新聞』はもともと自由党の機関紙だった!

 

小新聞

 ・読売新聞 明治7年(子安峻)

 ・平仮名絵入新聞  明治8年(高畠藍泉・落合芳幾)→東京絵入新聞 明治9年

 ・仮名読新聞 明治8年(仮名垣魯文河鍋暁斎

 ・大阪朝日新聞 明治12年(村山龍平・木村騰)

 ・大阪日報 明治9年(西川甫)→日本立憲政党新聞 明治15年(中島信行・古沢                             滋)→大阪日報 明治18年 →大阪毎日新聞 明治21年(兼松房治郎)

夕刊紙 

 ・今日新聞 明治17年(小西義敬・仮名垣魯文)→みやこ新聞 明治21年

   →都新聞 明治22年(黒岩涙香

 

大衆紙 

 ・万朝報 明治25年(黒岩涙香内村鑑三幸徳秋水堺利彦

 ・二六新報 明治26年(秋山定輔

 

浅田彰 「新国立競技場問題をめぐって」を読んで

この浅田彰新国立競技場問題をめぐって」は『SAPIO』に掲載された記事の元になった談話に加筆されたものであるそうだが、『SAPIO』読んでないのでどこが足されているのかはわからない。「浅田節」健在を印象づける明瞭かつ鋭利な意見であると思う。遅れてきたニューアカ世代の私としては、なんかうれしさがこみ上げてくるのだけれど。

 さて内容であるが、記憶に新しい「新国立競技場問題」から、そもそも論のオリンピックやワールドカップ等のビッグイベント誘致に絡む問題、公共工事に関する政治家・官僚・ゼネコンなどの財政・政治問題、戦後日本の代表的建築家たちへの(浅田自身の)評価、挙句は現在流行している「コミュニティー・デザイン」への批判と短い文章にてんこ盛りにされている。

 これらの中で私が印象に残った二点についてだけ書こうと思う。まずそもそも論である「オリンピック誘致」が間違ってるという点だ。日本は開催地に「選ばれないと思って」手を挙げたら、他の候補地がこけてしまい自分だけ残ってしまう、というダチョウ倶楽部状態で「開催地」に決まってしまった。故に、その消極的な誘致姿勢が予算管理や責任の所在があやふや状態を招くことになった。

 私は今回の件に限らず、オリンピックやワールドカップ、万博などの国際的ビッグイベントを少なくとも先進国で開催する意義がよく理解できないでいる。途上国が自分たちの国威を内外に示す為なら、百歩譲って理解できなくもないが。

 なにしろこれらの国際的ビッグイベント開催地誘致には必ず怪しいお金の流れがある。はっきり言って、私はずっと前からFIFAIOCなんかはタカリ屋か単なるごろつき連であると思ってました。こんな連中に税金使って揉み手しながらペコペコする事になんの意味があるのか、いいかげん気づいてほしい。ゼネコンも政治家も、他のことで儲けるべきだ。

 でも最大の「開催地を辞退」するべき理由は、福島原発の件だ。これについても浅田彰はきっぱりと言っている「現在の日本にとっての急務は4年たっても被災者の生活再建が遅々として進まない状況の打開であって、ほんんとうはオリンピックなど開催してる余裕はない。・・・」と。全くその通りだと思う。オリンピック開催決定を手放しで喜んでる東京の人(の一部)はほんと脳天気だな、と正直思ったりもした。

 日本の、或は世界の科学者の知識・技術を結集して福島原発事故を収束に導くことに全力を傾注するのが現在の日本のあるべき姿であると思う。「オリンピック」は復興再生の邪魔です!浅田が言うように「更地に戻った国立競技場や周辺の地域を草地に」して、白墨で線を引いて跳んだり、走ったりすればいいです。それこそオリンピックの精神です。

 

 それからもう一点。建築におけるコンテクスチュアリズムについて興味深いことを浅田は「附記3」で述べている。現在流行りの「コミュニティ・デザイン」における「コミュニティ」の絶対化が「他者の排除」を齎す、というものだ。楳図かずおの赤白ボーダーの家と言えばわかりやすいと思う。ボーダーの家という「異物」はコミュニティには要らないのだ。住民同士の監視によって「異物」が排除されていくというパターン。戦時中の隣組みたいでないか?いや隣組は国家や軍からの強制であったからまだしも、民主的な話し合いで除け者にされるのはより一層悪い状態だと言える。

 こんなことを私が言うのは「Bライフ」という、最近目にするライフスタイルが気になっているからだ。「Bライファ―」の中には、住宅地のただ中で質素すぎる小屋を建てて生活している人もいる。山奥でBライフするよりも、都市の周辺でBライフする方が楽なこともあって、これからますます増えるかもしれない。こういう人たちが、「コミュニティ・デザイン」の名の下に排除されないようにウオッチしていこうと思ってる。

 

 最後に、浅田彰の原文のリンクを貼っておこう。ぜひ、読んで下さい。

http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160104/

馬鹿小説 『真夏の夜の夢』

 真夏の夜の夢

 

 夏の宵、どこからか打ち上げ花火の炸裂する音が聞こえてくる。お祭り好きのサトルはその方角を確かめたくなって、開けてはならない網戸を思わず開けてしまった。

 「あっ!」 サトルの背後で、テレビを見ていた同棲相手のサトコが叫んだが、時すでに遅しであった。

 開け放たれた網戸から、蚊が一個大隊、それから蛾、ぶんぶんが五,六匹、カブトムシのメスが二匹、げじげじ、蜘蛛、イモリにヤモリ、タモリにコウモリ、果ては近所のおっさんまで二人の茶の間に集合してしまった。

 最後に入ってきたおっさんに至っては、サトコが飲んでいた缶ビールの残りと枝豆で勝手に晩酌を始めている始末であった。

 呆気にとられていたサトルとサトコは、テレビの前でビールをあおっている名も知らぬおっさんに、「誰だ、あんた?早く出ていけ!」と強く訴えた。当の男は「どうもこんにちは、私はおっさんです。」と慇懃にお辞儀をして自己紹介をした。あまりの丁寧さに二人は顔を見合わせていたが、どう考えても不条理な展開なので、目配せをしてスクラムを組み、突然おっさんにタックルをかましたのだ。

おっさんは「敵ながらあっぱれななやつじゃ!」とのたまって、玄関から雪駄で遁走した。しかし興奮と慣性の法則とで動き出したものは止まれないとばかりに、サトルとサトコは執拗におっさんを追尾しつづけた。でもなかなか追いつけない。意外におっさんは足が速かったし、それに二人は裸足であった。 

 暗い裏道を肩を組んで走っていると、サトコが「うわっ!」と叫んで急に立ち止まった。サトルは「どうした?」と自分一人先走って前のめりになったままで尋ねた。

「何か踏んだ!」とサトコは答えた。返す刀で「何踏んだ?」サトルは訊く。「糞だ。」サトコは短く簡潔に答えた。

 すると暗闇の中から見失ったはずの先程のおっさんが雪駄を頭にのせて現れた。

「うまい!踏んだ、と、糞だの、駄洒落ですな。若いのに感心じゃ!」と二人の傍らに寄り添うように立ち、手に持っていた扇子を広げてサトコとサトルをぱたぱた煽いだ。おまけに紙吹雪まで飛ばしていた。

 二人はそのおっさんの振る舞いに、現代日本人が忘れかけている「粋」を感じた。そして「おじさん、粋ですね!」と一度は言ってみたかったセリフをはいた。おっさんは煽いでいた扇子をぴしっと閉じると「では、行きますか!」と言って頭から雪駄を足元に落としジャンプして空中でそれを履くという離れ業を披露したかと思うと、再び闇の中へと走り去ったのである。

 

 ぽーん!!

 

 暗闇を切り裂くような甲高い音が一つ響き渡った。ぽんぽんぽんぽんぽーん、どうやら鼓の音らしい。サトルとサトコは音源と思われる方向を凝視した。ぽっ、と周辺が明るくなる。UFO(焼きそばじゃないです)か?E.T(エリマキトカゲではありません)か?二人は身構える。しかしそうではない。

松明が揺れているのだ。

 鼓の音が消え、あたりが再び沈黙に包まれる。松明が1/fのゆらぎで揺れている。「おー、おー」男たちの太く低い声が地鳴りのように聞こえてくる。サトコは「あ!おーのおっちゃんだ。」と思い出したように言う。「え?誰それ」とサトルが問おうとしたとき、松明の列が途切れるあたりが光に包まれる。ピーと犬笛のような音がしたかと思うと、二人の眼前に巨大な舞台が突然現れた。そこには先刻逃亡を企てたあのおっさんが、金襴緞子の着物を身に纏って舞扇を右手につかみ、それをスタンハンセンの如く頭上に突き上げていた。おっさんオン・ザ・ステージである。

 「ヘイ、カモーン!太郎冠者、次郎冠者!」

シャウトするおっさん。でっかいウサギのロゴマークの入った肩衣、なにやら細かい模様の袴をはいた二人の若者がおっさんの背後から現れた。二人は各々「風林火山」「おこめ券」と大書された幟を夜風に靡かせながらステージの中央までやって来た。それを見計らったように音楽が流れだした。ジャパニーズ・フォークソングの黒田節だ。

 「♪さーけは飲め飲め飲むならば~♩」おっさんはギンギラギンの懐からさりげなく巨大な盃とワンカップ大関を取り出し、後者を前者に注いだ。そして舐めるようにその盃を飲み干すと、空になったそれをオレンジ色の指サックを着けた右手人差し指の上でくるくると回しだした。

 黒田節から皿まわしへの電光石火の連続技だ。そしてその廻し方はまごうことなく海老一流のもであった。

 「おおー、いつもより余計に廻っている」いつの間にか騒ぎを聞きつけた、流行にさとい諸人がこぞりてやって来ていた。ついでに悪魔も来たりて笛を吹いていたりもしていた。

 あまりにも鮮やか、流れるような展開に、これでS席なら1万円払ってもいいなあとサトルは思った。

 皿まわしの後は一体何なのか?一般大衆の欲望に応えるのがカリスマの逃れられない宿命だとおっさんは思う。着物の左袖から銀縁眼鏡を取り出した。

「えっ!まさか?」一同の視線が釘づけになる。皆がおっさんの一挙手一投足を見守る。おっさんはもう一方の手を反対の袖に突っ込みごそごそしてついに、てりーずてりーのフォークギターを取り出した。「まさか?まさか?」

 「♩お前を嫁にーもらう前にー、言っておきたいー、ことがあーる♪」

 「まっさんだ!」群衆がいっせいにどよめく。サトルは軽い眩暈さえ感じ始めていた。

 いつの間にやらステージ下の脇のほうに審査委員席が設けられていた。陣取るのは立川談志立川流家元)、次いでもう一人が快楽亭ブラックの弟子の快楽亭ブラボーである。

 談志が腕組みしながら、

 「皿まわしからさだまさしかい?芸がないね。あきれてものも言えないね。浅はかにもほどがある。こんなくだらない芸を見せられるくらいなら円楽と一緒にサメ退治へでも行ったほうが、世のため人のためだーね」 

 自慢の赤いバンダナがライトに映えて眩しいほどだ。

 「さすがに談志師匠、芸には厳しいものがあるなぁ。俺も自分の目をもっと肥やさなければ・・・」とサトルは反省しきりである。

 談志の歯に衣着せぬ批評を小耳にはさんでしまったステージ上のきんきらおやじは居たたまれなくなって、彼の指サック上で今なお地球コマのようにしつこく回転している盃を、若干薄くなりつつある頭上に載せると竹コプターの要領で何処かへ飛び去ってしまった。

 あとに残される格好となった太郎、次郎の両冠者や笛・小鼓・大鼓・太鼓の囃子方は、

 「また置いてけぼりだよ。いっつも具合が悪くなるといなくなるんだよ。やってられねーよ!」

 「自分一人スター気取りでいやがんの。俺たちがいなければ、舞台なんか成立しないのにー!」

 「気まぐれすぎるだろう?」

 「ギャラは一体、どーなってんだ?」と囃し立てた。

 次郎冠者は、

 「この前なんかあのおやじ、ギャラの代わりだっておこめ券よこしやがるんだよ!実家が米屋か何だか知らねーけれど、まったく何考えてんだか。」何やら不穏な雰囲気があたりを包みだした。

 一方、サトルとサトコは、せっかくだから記念にと「風林火山」「おこめ券」の幟をそれぞれ手に取り、中央に談志師匠を挟んで、快楽亭ブラボーにスリーショットの写真を撮ってもらっていた。

和やかに写真撮影が終わると、談志が上機嫌に、

「焼き増ししといてくれよ」と声をかけてきた。

するとぱたぱたという音がだんだん近づいてきた。さっき飛び立ったはずのおっさんが再びこの大地に帰還してきた.おっさんは談志に向かって、落ち着いた面持ちで、「やきまし、じゃないです、さらまわしです、師匠!」とのたまった。わざわざつっこむために帰ってきたようである。 

 その様子を横目で眺めていた太郎冠者、次郎冠者はここぞとおっさんに詰め寄り、「やいテメエー、どこ行きさらしとったんじゃ!」「ギャラ払え、労働基準法違反だ!」「ブラック企業だ!!」「ストも辞さないぞ!」「世界同時革命だ!」「プロレタリア万歳!!」と口々に騒ぎ始めた。

 周りを囲まれ、頭上になお律儀にも盃を載せて地上から3センチ浮いて万事休す、四面楚歌状態な黄金色のおっさんは、再び飛び去るということはせず、むんずと両目を固く閉じ、瞑想状態へと突入した。冷静に見れば空中クンバカする近所の馬鹿である。

 サトルとサトコは「あの写真の焼き増しはここに送っといてくれ、頼んだよ!」と談志から名刺をもらっている最中で、おっさんの状態など全く感知していなかった。

「さぁー記念撮影も済んだし帰ろうか?」

とサトルがサトコに言って振り返ると、そこには四囲を若者に包囲されたおっさんが今にも殴られそうになっていた。知らぬふりをしようとしていたサトルに対してサトコが、「おっさんを見捨てるつもり?あなたはなんてチキンハートなの?それほど鳥インフルエンザが怖いの?そんなのバイアグラさえあれば(タミフルと間違えている)心配ないわよ!どうか、おっさんを助けてあげて!!」と言ってきかなっかた。おそらく駄洒落を褒められたことに恩を感じているのだろう。

 泣きじゃくるサトコの肩を抱いたサトルは、談志の名刺を大事そうにパンツにしまってから、

「わかったよサトコ、もう涙はいらない、♪涙君さよならー、さようなら涙君、またあーう日までー♪」と自分でもほれぼれするような名セリフをはいた。

「本当?あのおっさんをヘルプできる?」つぶなら瞳で問うサトコに対し、

「ああ、何を心配しているんだ!見損なうなよ、俺がヘルパー2級の資格を持っているのを君は知っているはずじゃないか?」自信満々にサトルは答えた。

 おっさんは、両冠者、四人の囃子方に囲まれて罵声を浴びせられていた。そして次の瞬間、囃子方の一人が横笛をぶんぶん振り回し始めた。

「いかん!リンチが始まる。」

 サトルとサトコは再びスクラムを組んだ。お互い見つめあう二人の愛は本物だ。この世に怖いものなんて何もない。♪二人のたーめー世界はーあるのー♪

 サトルが「じゃ、いくよー!」と鬨の声をあげた。サトコは「はい、くるよ!」と応えた。サトコのギャグセンスはおそらく東洋一だと、この時サトルは確信した。しかしこのサトコの短い一言は、危機に瀕した金ぴかおやじに劇的な変化をもたらした。瞑想に入っていたおっさんが、お目覚めになったのである。

 おっさんは「いくよー!くるよー!」と叫んだかと思うと、次に「どやさー、どやさー!」と両手を交互に前へ伸ばして、掌をぴらぴらとこれまた順繰りに表裏させた。それを見ていた太郎冠者や次郎冠者、およびおっさん楽団一行は身悶えして笑い出した。

 それを見逃すサトルとサトコではなかった。サトルはサトコの肩に力を入れて「いまだ!」と言った。東洋一のサトコもすかさず応える「ひがしの!」と。「二人合わせてWコージーだ、君と僕とでWコージーだ、小さなものから大きなものまで動かす力だー♪」二人は合唱しながら、笑い転げているおっさん楽団員たちへ体当たりをくらわした。太郎冠者や次郎冠者はもんどりうって倒れた。囃子方は持っていた笛や鼓で頭をしたたか打ちつけて気絶してしまった。ついに二人は「どやさー!どやさー!」と一人で狂喜乱舞しているおっさんを無事救出したのである。

 サトルとサトコはこの上ない充実感を感じていた。二人の短い人生において、かくも他人の役に立ったことは今まで一度もなかったから。二人は「どやさー!どやさー!」と憑りつかれたように乱舞しているおっさんの腕をつかんで「もういいですよ、助かりましたよ。誰も攻めてきませんから。」と静かな口調で伝えた。

 おっさんの金襴緞子の着物は下のほうがボロボロになっていたし、雪駄はいつの間にやら脱げていて足は土で汚れていた。

 我に返ったおっさんは「見事な呼吸じゃ、天晴れな若者たちよ!弟子にしてやる!」と高らかに宣言した。おもむろに、気絶してのびている不逞の輩どもに近寄ると、太郎冠者、次郎冠者の身ぐるみをすべて剥ぎ取ってしまった。そしてその着物をサトルとサトコに弟子の証として与えたのである。「今日から君たちが、太郎冠者、次郎冠者じゃ、よいな。ついてまいれ!」と顔に幽かな笑みを浮かべて言った。

 サトコは嬉しそうに次郎冠者の袴を穿いて、「短大の卒業式以来よねー」とはしゃいでいたが、サトルは躊躇っていた。それに気づいたおっさんは、

「どうしたんじゃ?」と首をエクソシストのように回転させて尋ねた。

「あのー、写真の焼き増しを談志師匠のところへ送らないと・・・」悩める内心を吐露した。

「心配無用じゃ!次のリサイタルは江戸で行う故、その時に持参するがよかろう」今や師匠になったおっさんがやさしくのたまった。

「本当ですか?なんだー次は江戸かー、それを早く言ってくださいよ。燈台下暗しだなぁー」と、ことわざを無理やり入れて答えた。

 サトルとサトコの二人はお互いに装束を見せ合いながら、「やっぱ、髪型はちょんまげかなー」

などと言いながら「風林火山」「おこめ券」の二本の幟を手にして、金ぴか師匠の後方に従ったのであった。そして三人は江戸へと旅立って行ったのである。

 めでたし、めでたし・・・・。

                      

                         《完》