~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

~核時代のトリックスター~

あさま山荘事件をご存知だろうか?

リアルタイムに知らなくても、よく戦後重大事件史とか、昭和10大事件簿みたいなタイトルでテレビの特番が組まれて、この事件は必ず採り上げられるのでテレビをよく見た世代の人なら知らない人はいないだろう。

 

連合赤軍との銃撃戦で警官が2人殉職されているこの事件なのだが、民間人が一人犠牲になっているのも知っているだろうか?

その民間人は新潟県からやって来た。人質を取っての立て籠もりが4日目を迎えた日、三千人いたという《やじ馬》達の中の一人が、あさま山荘の裏山を登って警備網をすり抜けて、建物の玄関前に躍り出たのである。

 

彼は、この事件を扱った映画やドキュメンタリーでは、軽く触れられてあとは無視されるか、警察の作戦を撹乱する邪魔者の如く扱われている。

しかし、彼(Tさんと言おう)は、もっと大きな存在者だった!

作家・大江健三郎は連作小説『河馬に噛まれる』の《「浅間山荘」のトリックスター》で次のように書いている、

ー籠城の四日目だと思う。あなたもテレヴィ中継や新聞報道で大きく扱われたのを見られたと思うけれども、弥次馬の中年男が撃たれました。建物のなかの「左派赤軍」と、包囲をしている機動隊というより、こちら側、テレヴィ画面を見つめている市民の側との、仲裁役、調停役を志願して、彼は撃たれた。いつの間にか建物の玄関口まで近づいて、内部に声をかけていたのでした。新潟のスナック経営者ということだったが。そうです、ご存知でしょう。数日後には死にました。うしろから頭を撃たれていた…僕の小説の構想には、端的にああした人物が欠けていたのです。「浅間山荘」の事件全体を理解するためには、あの仲裁役、調停役を志願して撃たれたスナック経営者のような人物が必要だった。あの無意味な死をとげた不幸な人物を媒介にすれば、自分の小説も、もひとつ高いレヴェルに押しあげて把えることができたのじゃないか、と思ったものです。革命運動というレヴェルを超えて、思想的な文脈のなかに…

 

左派赤軍と警察の間を、越えがたい深淵を架橋する者としてのトリックスター。それが新潟からやってきたTさんなのだ!

 

彼は、山荘の扉を開け(それは意外にもたやすく開いた!)、次のように左派赤軍の若者たちに語ったという。

赤軍さん、赤軍さん、中へ入れて下さい。私も左翼です。あなた方の気持ちはよく分かります。私も警察が憎い。昨日まで留置場に入ってたんです。私は医者です。新潟から来ました。」

しかし、Tさんの言葉は通じなかった。彼は頭部を撃たれ、その場に倒れた。よろよろと立ち上がって「大丈夫だ・・・」と言ったが、数日後亡くなってしまった。

 

この光景を単に、物見遊山で眺めることもできただろう。

実際、当時の日本人がそうであったように。

だが、作家として大江は、「左派赤軍」と「機動隊」の両者の銃器の前に立ち、大きな恐怖を抱いて頭を撃たれたTさんに向けて、その恐怖に釣り合う大きさの《希望の言葉》を我々は探すべきだった、と書いている。

 

「恐怖」につりあう「希望」のことば。

 

それを見出すことは、あさま山荘事件以降、今日においても、いや現在こそ必要とされているのではないだろうか?

世界・社会・共同体に兆している亀裂は、70年代よりもはるかに広く、深いものとなっている。宗教・民族・肌の色・国籍・貧富の差・思想信条によって人々は、互いに分裂対立し、個人は価値の島宇宙を孤独に漂うだけだ。

人間集団は、多数派と少数派に分かれ、多数派は少数を圧殺しようとする。

その時、多数派でもなく、少数派でもない、わけのわからない(帰属集団が不明な)トリックスターが、その対立・緊張を和らげ、かつ、憎悪と不信と恐怖に、充分対抗しうるだけの「希望の言葉」を見出し発することが、再び現実味を帯びてきてしまった現在という核時代に必要とされているのではないかと、私は思うのである。

 

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