~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(4)

 

 前回は、交換様式Bが支配的だった国家の起源及びその力の分析をやったが、今回はいよいよ交換様式Cに触れる。交換様式Cは現在の資本主義社会が基づくもので、その分析は現代社会について大いに示唆を与えるものとなる。

 

 ① 世界貨幣  

 

 Ⅰ:貨幣と国家

 第一回目にも書いて注意を促したが、交換様式A,B,Cは時系列と見做してはならない。それらは同時に、並存しうるのである。商品交換(交換様式C)は太古の昔から存在していたが、それは贈与(交換様式A)に付随する形であったため、見過ごされて存在しないように思われてきた。また、交換様式Bに基づく国家の形成は、「所有権」という商品交換の前提を確立させる。国家の権力・法の下で、私的所有が認められ保護され、それによって初めて「商品」の交換が可能になるのだ。それまでは「献上品・上納品」や「現物交換」はあっても「商品」は存在しなかった。あともう一つ「信用」も国家の後ろ盾があって成立すると柄谷は言う。

「商品交換は共同体や国家によって支えられて存在する。」(P124)

このように交換様式A,B,C,は互いに連動しているのである。

 交換様式Cは、国家によって存在が可能となったわけであるが、しかし同時に国家を存続させるのに欠くことのできないものとなる。それが「貨幣の力」である。貨幣の力によって国家は、人を恐怖ではなく、自発的な契約によって従属させることができるようになるのだ。

 

 Ⅱ:貨幣形態の起源

 次に柄谷は、上記のような力を持つ「貨幣」がいかにして誕生したかを問う。まず、彼は労働価値説を批判する「各商品にあらかじめ価値は内在していない。それは売買(貨幣との交換)がなされたのちに、はじめて存在するといえるのだ。生産物は売れなければ、いかにその生産のために労働が費やされていても、価値をもたないし、のみならず、使用価値さえもたない。つまり、たんに廃棄される。」(P127) 

 では商品はどうやって価値を持つのか?それは他の商品と等置されるとき、他の商品群との関係の中に置かれるときはじめて価値をもつのだという。この考え方はマルクス「価値形態論」に由来しており、処女作『マルクスその可能性の中心』からずっと引き継いだものである。

 具体的に説明しよう。

 亜麻布20エレ=上着1着 

 亜麻布の価値は、上着の使用価値で表現されている。ここで亜麻布は、相対的価値形態であり、上着は等価形態であるといわれる。相対的価値形態は、その価値を一方的に表現され、等価形態は、逆に価値を表現する、と解される。

この等式(単純な価値形態)は、更に一般化・社会化されて

 亜麻布20エレ=上着1着

        =茶10ポンド

        =コーヒー40ポンド

等々と拡大される(拡大された価値形態)。

 そしてここで、突如として転倒が起こる(一般的価値形態)。

 上着1着         

 茶10ポンド                =亜麻布20エレ

 コーヒー40ポンド

 単に右辺と左辺をひっくり返しただけに見えるが、実は重大な変化が起こっているのだ。つまり、相対的価値形態が等価形態へと変化しているのである!上着、茶、コーヒーなどの商品が自ら表現することを諦めて、亜麻布へとその表現能力を譲渡する、これが原初的な貨幣形態の形である。あとは、この亜麻布が金や銀と言った貴金属に置き換われば貨幣形態が完成される。

 拡大された価値形態から一般的価値形態の移行を、柄谷は「商品世界の”社会契約”」と呼んでいる。つまり、「商品たちが、自分が貨幣であろうとする欲望あるいは権利を放棄し、それをいくつかの商品に譲渡した。それゆえ、一般的な等価形態や貨幣形態におかれた商品にのみ、購買する権利が与えられたのである。」(P131)

 この論法は、諸都市国家の契約によって、広域国家が誕生するするという前回の話と同じ構造を持っている。実際柄谷は、

マルクスが『資本論』で貨幣生成に関して述べてたことと、ホッブスが『リヴァイアサン』で主権者の出現について述べていたこととの類似は明らかである。」と書いている。ここで注意しておかなくてはいけないのは、「主権者」や「貨幣」そのものより、それが占める「場所」の方が重要であるということである。

 「場所」というより「項」と言った方が分かりやすいかもしれない。つまりF(x)の(x)のように、そこへ代入が可能な変項なのだ。「主権者」は、そこに「」を代入すれば「絶対王政」になり、「貴族」を代入すれば「貴族制」となり、「人民」を代入すれば「民主制」にもなりうる。それに気づいたのがホッブスで、彼は決して絶対王政の擁護者ではなかったと柄谷は言っている。

 これを貨幣で考えると、一般的等価形態という場所が重要で、どの商品(素材)が貨幣になるかは偶発的なことであることになる。しかし、これは論理的にいえば偶然であって、史実としてみればある種の金属が貨幣となる傾向は確かに存在する。その理由は、金や銀といった貴金属が共同体の外部でも通用する商品であるからである、だからこそ、他の共同体・国家の商品群の関係の中に組み込まれて価値尺度となれるのだ、と柄谷は説明する。

 貨幣を考える場合、対外貨幣から考えるべきなのだ。それが「世界貨幣」と言われるゆえんである。 

         (この項次回につづく)