~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

二つの言葉  ~映画『金子文子と朴烈』観た~

 

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今から93年前の1926年の2月26日

一人の女性が、市ヶ谷刑務所の独房で次の文章を書き上げた(長いので最後の部分だけ引用する)。

 

「・・・私は朴を知って居る。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める。そして外の仲間に対しては云はふ。私は此の事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。──と。」

 

いわゆる「二十六日夜半」と題されたこの文章を書いたのは、金子文子である。

次の日の27日、大逆罪を問う大審院法廷で文子はこの手記を読み上げたと言われる。

彼女の傍らには、不逞社の同志であり、文子が「私の求めているものをあなたの中に見出した」という朴烈がいた。

 

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映画『金子文子と朴烈』より

この文子の言葉と、もう一つ対になる言葉がある。

映画『金子文子と朴烈』でも扱われているが、

1923年9月1日に発生した関東大震災で起こった惨劇朝鮮人虐殺事件」で使われた言葉「十五円五十銭」である。

この言葉は、語頭を濁音で発音しない朝鮮語の特徴を悪用した日本人と朝鮮人(当時、不逞鮮人といわれた)を区別する意図で使われたのであろう。

当時、朴烈や金子文子と同じアナーキストだった壷井繁治が「十五円五十銭」という詩を書いている(これも長いので一部を抜粋)、

 

一九二三年九月一日
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

・・・・・

この火事がまだおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ
-横浜方面から鮮人が群をなして押しよせてくる!
-目黒競馬場附近に三、四百もの「不逞鮮人」があつまって
  何か不穏な気勢をあげている!
-鮮人が家々の井戸に毒物を投げこんでいるから、飲み水に気をつけろ!
社会主義者が暴動を起そうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった
僕が友だちの安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕は壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは戒厳令であった
銃剣をもって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から
音羽へ通ずる橋の手前に設けられた戒厳屯所を通りすぎると
-こらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚ろいて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が
-貴様! 鮮人だろう?
と詰めよってきた
僕はその時、長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体であった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
-いいえ、日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

・・・・

突然、僕の隣りにしゃがんでいる印袢天の男を指して怒鳴った
-十五円五十銭いってみろ!
指されたその男は
兵隊の訊問があまりに奇妙で、突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
-ジュウゴエンゴジッセン
-よし!
剣付鉄砲のたちさった後で
僕は隣りの男の顔を横目で見ながら
-ジュウゴエンゴジッセン
ジュウゴエンゴジッセン
と、何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
「チュウコエンコチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ

あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ土となっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に

君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知っている
「ザブトン」という日本語を
「サフトン」としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺ろされた朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば
君たちに代って語る者に語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代りに
奪いかえした
親譲りの
純粋の朝鮮語

 

もう一度書く、ここに二つの言葉がある。

すなわち、「朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。」という言葉、

もう一つ、「十五円五十銭」という言葉。

前者は異質なものを欠点と誤謬を越えて受入れようとするが、

後者は自分と異なるものを少しの寛容さ無しに排除しようとするものである。

 

あれから、約百年の時間が流れた。

しかし現在、まさにこのいま、私たち日本人はこの二つの言葉のどちらを選ぼうとしているのだろうか?

また百年前に戻ってしまうのか?

昨今の日本の世論をみていると少し不安になる。

今の日本人は昔の日本人よりマシになっていると信じたいのだけれど・・・

このタイミングで『金子文子と朴烈』という映画が日本で公開されたというのは思いがけず大きな意味を持つのではないかと思う。

少なくても、金子文子という人間がいたということ、彼女が大事な言葉を残してくれたという事をぼくら日本人に思い起こさせてくれたという意味でも。