初期議会 ~日清戦争への道➁~
◎第5回帝国議会 ( 1893年(明治26年)11月28日 - 1893年(明治26年)12月30日)
与党化した自由党VS野党硬六派の対決
(硬六派:立憲改進党 自由党との民党連合がうまくいかなかったため対外硬派に転向
大日本協会 元「内地雑居講究会」安部井磐根
同盟倶楽部 元吏党
条約励行建議案提出⇒進行中の条約改正の阻害になるため議会を停会⇒解散
大日本協会解散命じる
政府与党が抑制的で野党の方が好戦的
第3回衆議院議員総選挙 1894年(明治27年)3月1日
国民協会 35議席
同志倶楽部 24議席
大日本協会 9議席
同盟倶楽部 18議席
無所属 34議席
国民協会に対する選挙干渉、議席数半減
◎第6回帝国議会 (1894年(明治27年)5月15日 - 1894年(明治27年)6月2日)
貴族院 近衛篤麿らを中心に伊藤内閣を批判
全国の新聞雑誌記者が連合して対外硬を支持⇐マスコミも好戦的
1ヶ月にもならない6月2日に解散
陸奥・青木による条約改正が山場⇒7月16日、日英通商航海条約締結(領事裁判権の撤廃)⇒実質的に朝鮮半島の侵略をイギリスが認めたことを意味する(対露政策の一環)
8月1日 日清戦争
第4回衆議院議員総選挙 1894年(明治27年)9月1日
硬六派
立憲改進党 49議席
立憲革新党 39議席
国民協会 32議席
帝国財政革新会 5議席
中国進歩党 4議席
無所属 64議席
◎第7回帝国議会 (1894年(明治27年)10月18日 - 1894年(明治27年)10月21日 )
挙国一致体制