~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

来年の抱負など 

 このブログはもともと『文藝戯語』というのタイトルでやり始めたのだが、その掲げた名に反して映画やら、音楽やらについて書いても、肝心の「文芸」についてはほとんど書かずにいて、流石に《羊頭狗肉感》ハンパねェーって感じになったので今の『戯語感覚』に変更したのである。

 

 ・・・で、

 

 来年の抱負としては、原点回帰して、いよいよ文学中心に書いていこうと思うております。しかしあくまで、《思い》でありますので、また脱線して別なことを書きつけるかもしれません。興味はいろいろあるんです。例えば、社会主義計算論争とか、確率論の実在論的解釈とか、解析学の代数化の歴史とか・・・こういうのはかつて分析哲学やってた頃の名残というか、埋火というか、焼け木杭というか何かそういうものが自分の内部にまだ生きていて、それらがまた頭を擡げようとするんです!でも、自分もいい歳なんであれもこれもできません。みんな中途半端になりそうです。自分が今一番やりたいこと、今やらねばならないことは何かって考えて、そうりゃやっぱり「文学」だろー!!ってなったわけです。後半の〈今やらねばならない〉というのがミソです。世界で吹き荒れる、ポピュリズム、ヘイト、差別、ちょっと前なら口にするのもためらわれるような言葉が平然と白昼大手を振って闊歩する有様です。まぁそのうち元に戻るだろうと楽観的にいてもいいのですが、今の〈社会〉、それを構成する〈人間たち〉に信頼を置けるか?って自問した時、残念ながら答えはNOと言わざるをえません。戦争への欲望みたいなものも感じさえします。来年1月にはトランプがアメリカ大統領になります。日本は今までの太平の夢から目を覚まさせられるかもしれません。

 

 昔、『きけわだつみのこえ』を読んだとき、学徒たちの、歴史の歯車が一旦動き始めると個人の力ではどうすることもできない、と書いている手記がいくつもあるのが強く印象に残りました。私は、ひょっとすると今現在、新たな歴史の歯車が動き始めようとしているのではないか?、と感じてしまうのです。同じ過ちを繰り返すのは、はっきり言って「馬鹿」です。「一旦動き出した歯車が止まらない」のなら、「動き出す前に止めれば」いいんです!!動き初めなら少数の力で止められます。

 

 まぁ、そんな思いで、戦中でも戦後でもなく「戦前の作家たち」に注目して、彼らが戦争の予感にどう対処したかを調べてみたいなと思ってるわけです(作家たちに炭鉱のカナリアの役割を期待しているんですが…期待に応えてくれるかどうか)。第二次大戦だけでなく、日清日露戦争からはじめてもいいと思ってますが、どうなるかわかりません。

 

 とりあえず、来年のテーマは「文学」です。     

 

 

 

 

                      今のところは・・・(笑)