~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(10)

アソシエーショニズム 

 普遍宗教は共同体、部族、国家を越えた地点で初めて存立可能となる。共同体から切り離された個々人が、普遍宗教の「神の力」によって再び結びつく。しかし、例えばキリスト教は、国家の枠組みを越えた存在となったが、結局ローマ帝国の支配構造に組み込まれてしまった。普遍宗教によって示された交換様式Dは正統派の宗教ではなく、むしろ「異端」と呼ばれた人々の社会運動として、歴史上に現れた。

 

 (ⅰ)世界共和国

 

 初期の近代市民革命は、宗教との結びつきが色濃い。最初の市民革命が「ピューリタン革命」と呼ばれるように。名誉革命フランス革命、そして1848年の革命まではまだ、社会主義運動(貧困問題を解決しようとする運動)は宗教とのかかわりを持っていた。しかしそれ以後、キリスト教社会主義の関係は無くなった、と柄谷は指摘する。その理由は①産業資本が社会構造を根本的に変えたこと、➁1840年代にプルードンマルクスが現れたことの二点を挙げている。後者は、つまり、社会主義を宗教に基づかせる必要が無くなった、代わりに経済学を用いればよいということを意味している。

 宗教である限り社会主義運動は必ず国家に回収されてしまう。それを回避するためには宗教を捨てなければならない、しかし宗教が担っていた「倫理」をどう代替するのか?柄谷はここでカントを導入する。カントこそ宗教を批判しつつ、そこから倫理を救い出した人物なのだ。そして、その倫理とは

「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率で表されるもである。これは自分が自由な存在であることが、他者を手段にしてしまうことであってはならないこと、すなわち「自由の相互性(互酬性)」を意味している。

 これを資本主義に適用すると、資本家は労働者を単なる手段(労働力商品)として扱っている。ゆえにカントの道徳律に照らすならば、賃労働そのもの、資本制的生産関係そのものを揚棄しなければならいことになる。更に柄谷は、資本のみならず国家も揚棄されねばならないという。資本=国家は一体で考えられねばならない、柄谷のこの本でずっと繰り返される持論である、と同時にカントも「世界市民的な道徳共同体」すなわち「世界共和国」を構想した、とする。

 ホッブズ一国内での平和状態を考えたのに対して、カントは国家間の平和状態を創設しようとした。

『「世界共和国」とは、諸国家が揚棄された社会を意味するのである。そして、そのことは、たんに政治的次元だけですむはずがない。国家と国家の間に経済的な「不平等」がある限り、平和はありえない。永遠平和は、一国内だけでなく多数の国において「交換的正義」が実現されることによってのみ実現される。したがって、「世界共和国」は国家と資本が揚棄された社会を意味するのである。国家と資本、そのどちらかを無視してたてられる論は空疎であるほかない。』(P349)

 そしてここで、構成的理念統制的理念を区別する。前者は、歴史上で言うならば、ジャコバン主義による理性にもとづく社会の暴力的改革である。後者は、無限に遠いものであっても、人がそれに近づこうと努めるような場合のことである。

 カントにとって「世界共和国」は統制的理念であって、決して構成的理念ではないのである。ここで注意しなければならないのは、「世界共和国」が「世界政府」ではないということだ。それならば単なる世界帝国にすぎない。「世界共和国」とは「諸国家の連邦なのである。

 

(ⅱ)二つの社会主義

 

 社会主義には2つのタイプがあると、柄谷は言う。

国家社会主義ジャコバン派、サン=シモン派、ラサール派、ルソー、

➁国家を拒否する社会主義(アソシエーショニズム)プルードンマルクス

 

 この区別は「自由」と「平等」のどちらを重視するかで、明らかになる。

平等を優先すると、それは国家による再分配機能を強めることになり、結局国家そのものの強化になってしまう。ルソーの「一般意志」も個々人の意志を国家に従属させることと同じだという。

逆に、プルードンは自由を平等に優先させた。しかし彼は平等を軽視したのではない。

国家が主体の「分配的正義」に反対し、共同体から一度絶縁した人々からなるアソシエーションによる「交換的正義」を唱えたのだと。

 

(ⅲ)労働組合と協同組合

 

 プルードンは流通過程において資本主義と対抗しようとしたが、マルクスはそれを批判した。マルクスはむしろ生産過程における対抗を重視した。それはプルードン後進国フランスをモデルに、マルクスが産業先進国イギリスをモデルに考えていたことからくる。イギリスではリカード左派による、企業の全利益が生産手段の所有者ではなく、労働にじっさい従事した者に対して分配されるべきだという「労働全収権」の主張がすでに存在していた。そして、この「労働全収権論」から二つの運動が出現する。労働組合「協同組合」である。労働組合とは、資本が労働者を結合して働かせて得る剰余を取り戻す闘争であり、協同組合とは、労働者自身が労働を連合(associate)するものである。これら二つの対抗運動は、質的に異なると柄谷は言う。前者は資本制内部での闘いであり、後者はその外部に超出しようする運動である、と説明する。プルードンは後者を指向し、マルクスはそれを批判した。しかしイギリスにおける労働組合運動が、労働力商品の揚棄にではなく、たんに労働力の商品価値を高めるだけの運動になってしまっているのを見て、協同組合を評価するようにった。〈この協同組合工場の内部では、資本と労働の対立は止揚されている〉とマルクスは言っている。

 

(ⅳ)株式会社と国有化 

 

 マルクスは協同組合を評価するようになったが、それが資本制社会の競争の下では生き残っていけないであろうことも見抜いていた。ではどうすればいいのか? 彼が見出した答え、それは「株式会社」にある。「株式会社」において資本と経営は分離されている、株主は生産手段に対する所有権を持たない。株式会社を「共産主義に飛び移るための」「もっとも完成された形態」とマルクスはみなした。で、結論としては株式会社を協同組合化するのである。株主の多数決支配下にある株式会社を、協同組合のロッチデール原則によって、株主を含む全従業員が一人一票の投票権で議決するようなシステムを導入するのだ。

 しかしこれを実際導入しようとするやいなや、資本の激しい抵抗に遭うのは、火を見るより明らかである。であるから、マルクスは国家権力を握って、一挙にこれを成し遂げようとしたのだ。しかし、そこには国家による協同組合の育成という罠がある。事実、歴史は巨大な株式会社を、「国有化」することによって社会主義としてしまった。国有化は、ただ官僚の力を肥大化させるだけだった。