~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(7)

近代国家 

 柄谷は近代国家を、国民国家から考えずに、絶対主義王権から考える。国民国家から考えると幾つかの本質的な問題が曖昧にされてしまうからだ。

  

 (ⅰ)絶対主義王権

 東ローマ帝国イスラム帝国の周辺に位置していた西ヨーロッパでは、皇帝のような普遍的勢力が不在で様々な勢力が聖俗両界にわたって併存していたが、やがてその中から絶対主義王権が生まれた。典型的にはイギリスにおいてばら戦争で有力貴族が没落し淘汰され、英国国教会の樹立によってローマ教会からも自由になった権力が生まれた。絶対主義王権は、皇帝とは違う。前者は、他の絶対王権を容認する。つまり帝国であることを放棄するのだ。よって複数の絶対王権国家が並び立つことになるが、しかし後者は決してそれを許さない。

 この絶対王権から「主権」という概念が生まれる。それをなしたのが16世紀の思想家ジャン・ボダンである。主権には、神聖ローマ帝国皇帝やローマ教皇などの普遍的権威に対する自立という対外的な側面と、領域内のすべての人々を、身分、地域、言語、宗教を越えて統合的に支配するという対内的な側面がある。

 また主権は、それに服従する臣民という意味で「国民」という概念を創出する。

柄谷は言う、「つまり、国民という主体は、絶対的な主権者に服従する臣民として形成されるのだ。国民主権は絶対王権から派生したものであり、それと切り離せない。」(P253)

 

 (ⅱ)国民国家

 絶対王権が市民革命を経て、国民が主権者の位置に立つときその国家は「国民国家」になる。主権者が「王」であるか「国民」であるかは大きな違いのように見る。しかしそれは国家を内側からしか見ないからである。内側から見れば国民国家は、個々の国民の社会契約によって作られた「政府」のように見える。そこでは国民の意志と国家の意志は一致している。しかし、外側からみればそれは国民の意志とは全く異なった運動をする「国家」となる。 植民地をもった国民国家は、それ以前の絶対王政に比べて、植民地に対して寛容だったか?国民国家は戦争をしなかったか?答えはいづれもノーである。「国家」や「主権」は対外的に考えるべきものであって、決して内部だけで考えてはならないのである。

 また国民国家は、国家と資本の本質的つながりも隠ぺいしてしまう。それは政治と経済を別のものと考えられるようにし、資本は国家とは切り離されてしまう。

 柄谷は国家と資本の結びつきは、「国債の発行」と「保護主義的政策」、そして何よりも重要なものとして「産業プロレタリアの育成」だと述べている。具体的に言えば、教育制度と軍隊制度である。これによって国民は規律をもった勤勉な賃労働者となる。賃労働者は自らの労働で得た賃金で生産物を買う消費者ともなる。

 絶対王政における官僚は、国家機構として前面にあらわれていたが、国民国家における官僚は「公僕」と見做され、隠れた影のような存在になるが実態はそうではない。

むしろその力は強化されており、立法府である議会すらも超えている。

「いいかえれば、議会は、人々の意見によって国家の政策を決めていく場所ではなく、官吏たちによる判断を人々に知らせ、まるで彼ら自身が決めたことであるかのように思わせる場なのである。」(P257)

 官僚について柄谷は更に「近代においては、官僚制が国家機構だけでなく、私企業においても存在するということである。近代官僚制はむしろ資本主義的な経営状態(分業と協業)にもとづいて形成されたのである。」(P267)と書いている。

ゆえに、ネオリベラリスト(リバタリアン)のように、民営化によって官僚制を解消できると言うのは欺瞞だ、私企業そのものが官僚制的なのだから、と批判している。