~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

馬鹿小説 『真夏の夜の夢』

 真夏の夜の夢

 

 夏の宵、どこからか打ち上げ花火の炸裂する音が聞こえてくる。お祭り好きのサトルはその方角を確かめたくなって、開けてはならない網戸を思わず開けてしまった。

 「あっ!」 サトルの背後で、テレビを見ていた同棲相手のサトコが叫んだが、時すでに遅しであった。

 開け放たれた網戸から、蚊が一個大隊、それから蛾、ぶんぶんが五,六匹、カブトムシのメスが二匹、げじげじ、蜘蛛、イモリにヤモリ、タモリにコウモリ、果ては近所のおっさんまで二人の茶の間に集合してしまった。

 最後に入ってきたおっさんに至っては、サトコが飲んでいた缶ビールの残りと枝豆で勝手に晩酌を始めている始末であった。

 呆気にとられていたサトルとサトコは、テレビの前でビールをあおっている名も知らぬおっさんに、「誰だ、あんた?早く出ていけ!」と強く訴えた。当の男は「どうもこんにちは、私はおっさんです。」と慇懃にお辞儀をして自己紹介をした。あまりの丁寧さに二人は顔を見合わせていたが、どう考えても不条理な展開なので、目配せをしてスクラムを組み、突然おっさんにタックルをかましたのだ。

おっさんは「敵ながらあっぱれななやつじゃ!」とのたまって、玄関から雪駄で遁走した。しかし興奮と慣性の法則とで動き出したものは止まれないとばかりに、サトルとサトコは執拗におっさんを追尾しつづけた。でもなかなか追いつけない。意外におっさんは足が速かったし、それに二人は裸足であった。 

 暗い裏道を肩を組んで走っていると、サトコが「うわっ!」と叫んで急に立ち止まった。サトルは「どうした?」と自分一人先走って前のめりになったままで尋ねた。

「何か踏んだ!」とサトコは答えた。返す刀で「何踏んだ?」サトルは訊く。「糞だ。」サトコは短く簡潔に答えた。

 すると暗闇の中から見失ったはずの先程のおっさんが雪駄を頭にのせて現れた。

「うまい!踏んだ、と、糞だの、駄洒落ですな。若いのに感心じゃ!」と二人の傍らに寄り添うように立ち、手に持っていた扇子を広げてサトコとサトルをぱたぱた煽いだ。おまけに紙吹雪まで飛ばしていた。

 二人はそのおっさんの振る舞いに、現代日本人が忘れかけている「粋」を感じた。そして「おじさん、粋ですね!」と一度は言ってみたかったセリフをはいた。おっさんは煽いでいた扇子をぴしっと閉じると「では、行きますか!」と言って頭から雪駄を足元に落としジャンプして空中でそれを履くという離れ業を披露したかと思うと、再び闇の中へと走り去ったのである。

 

 ぽーん!!

 

 暗闇を切り裂くような甲高い音が一つ響き渡った。ぽんぽんぽんぽんぽーん、どうやら鼓の音らしい。サトルとサトコは音源と思われる方向を凝視した。ぽっ、と周辺が明るくなる。UFO(焼きそばじゃないです)か?E.T(エリマキトカゲではありません)か?二人は身構える。しかしそうではない。

松明が揺れているのだ。

 鼓の音が消え、あたりが再び沈黙に包まれる。松明が1/fのゆらぎで揺れている。「おー、おー」男たちの太く低い声が地鳴りのように聞こえてくる。サトコは「あ!おーのおっちゃんだ。」と思い出したように言う。「え?誰それ」とサトルが問おうとしたとき、松明の列が途切れるあたりが光に包まれる。ピーと犬笛のような音がしたかと思うと、二人の眼前に巨大な舞台が突然現れた。そこには先刻逃亡を企てたあのおっさんが、金襴緞子の着物を身に纏って舞扇を右手につかみ、それをスタンハンセンの如く頭上に突き上げていた。おっさんオン・ザ・ステージである。

 「ヘイ、カモーン!太郎冠者、次郎冠者!」

シャウトするおっさん。でっかいウサギのロゴマークの入った肩衣、なにやら細かい模様の袴をはいた二人の若者がおっさんの背後から現れた。二人は各々「風林火山」「おこめ券」と大書された幟を夜風に靡かせながらステージの中央までやって来た。それを見計らったように音楽が流れだした。ジャパニーズ・フォークソングの黒田節だ。

 「♪さーけは飲め飲め飲むならば~♩」おっさんはギンギラギンの懐からさりげなく巨大な盃とワンカップ大関を取り出し、後者を前者に注いだ。そして舐めるようにその盃を飲み干すと、空になったそれをオレンジ色の指サックを着けた右手人差し指の上でくるくると回しだした。

 黒田節から皿まわしへの電光石火の連続技だ。そしてその廻し方はまごうことなく海老一流のもであった。

 「おおー、いつもより余計に廻っている」いつの間にか騒ぎを聞きつけた、流行にさとい諸人がこぞりてやって来ていた。ついでに悪魔も来たりて笛を吹いていたりもしていた。

 あまりにも鮮やか、流れるような展開に、これでS席なら1万円払ってもいいなあとサトルは思った。

 皿まわしの後は一体何なのか?一般大衆の欲望に応えるのがカリスマの逃れられない宿命だとおっさんは思う。着物の左袖から銀縁眼鏡を取り出した。

「えっ!まさか?」一同の視線が釘づけになる。皆がおっさんの一挙手一投足を見守る。おっさんはもう一方の手を反対の袖に突っ込みごそごそしてついに、てりーずてりーのフォークギターを取り出した。「まさか?まさか?」

 「♩お前を嫁にーもらう前にー、言っておきたいー、ことがあーる♪」

 「まっさんだ!」群衆がいっせいにどよめく。サトルは軽い眩暈さえ感じ始めていた。

 いつの間にやらステージ下の脇のほうに審査委員席が設けられていた。陣取るのは立川談志立川流家元)、次いでもう一人が快楽亭ブラックの弟子の快楽亭ブラボーである。

 談志が腕組みしながら、

 「皿まわしからさだまさしかい?芸がないね。あきれてものも言えないね。浅はかにもほどがある。こんなくだらない芸を見せられるくらいなら円楽と一緒にサメ退治へでも行ったほうが、世のため人のためだーね」 

 自慢の赤いバンダナがライトに映えて眩しいほどだ。

 「さすがに談志師匠、芸には厳しいものがあるなぁ。俺も自分の目をもっと肥やさなければ・・・」とサトルは反省しきりである。

 談志の歯に衣着せぬ批評を小耳にはさんでしまったステージ上のきんきらおやじは居たたまれなくなって、彼の指サック上で今なお地球コマのようにしつこく回転している盃を、若干薄くなりつつある頭上に載せると竹コプターの要領で何処かへ飛び去ってしまった。

 あとに残される格好となった太郎、次郎の両冠者や笛・小鼓・大鼓・太鼓の囃子方は、

 「また置いてけぼりだよ。いっつも具合が悪くなるといなくなるんだよ。やってられねーよ!」

 「自分一人スター気取りでいやがんの。俺たちがいなければ、舞台なんか成立しないのにー!」

 「気まぐれすぎるだろう?」

 「ギャラは一体、どーなってんだ?」と囃し立てた。

 次郎冠者は、

 「この前なんかあのおやじ、ギャラの代わりだっておこめ券よこしやがるんだよ!実家が米屋か何だか知らねーけれど、まったく何考えてんだか。」何やら不穏な雰囲気があたりを包みだした。

 一方、サトルとサトコは、せっかくだから記念にと「風林火山」「おこめ券」の幟をそれぞれ手に取り、中央に談志師匠を挟んで、快楽亭ブラボーにスリーショットの写真を撮ってもらっていた。

和やかに写真撮影が終わると、談志が上機嫌に、

「焼き増ししといてくれよ」と声をかけてきた。

するとぱたぱたという音がだんだん近づいてきた。さっき飛び立ったはずのおっさんが再びこの大地に帰還してきた.おっさんは談志に向かって、落ち着いた面持ちで、「やきまし、じゃないです、さらまわしです、師匠!」とのたまった。わざわざつっこむために帰ってきたようである。 

 その様子を横目で眺めていた太郎冠者、次郎冠者はここぞとおっさんに詰め寄り、「やいテメエー、どこ行きさらしとったんじゃ!」「ギャラ払え、労働基準法違反だ!」「ブラック企業だ!!」「ストも辞さないぞ!」「世界同時革命だ!」「プロレタリア万歳!!」と口々に騒ぎ始めた。

 周りを囲まれ、頭上になお律儀にも盃を載せて地上から3センチ浮いて万事休す、四面楚歌状態な黄金色のおっさんは、再び飛び去るということはせず、むんずと両目を固く閉じ、瞑想状態へと突入した。冷静に見れば空中クンバカする近所の馬鹿である。

 サトルとサトコは「あの写真の焼き増しはここに送っといてくれ、頼んだよ!」と談志から名刺をもらっている最中で、おっさんの状態など全く感知していなかった。

「さぁー記念撮影も済んだし帰ろうか?」

とサトルがサトコに言って振り返ると、そこには四囲を若者に包囲されたおっさんが今にも殴られそうになっていた。知らぬふりをしようとしていたサトルに対してサトコが、「おっさんを見捨てるつもり?あなたはなんてチキンハートなの?それほど鳥インフルエンザが怖いの?そんなのバイアグラさえあれば(タミフルと間違えている)心配ないわよ!どうか、おっさんを助けてあげて!!」と言ってきかなっかた。おそらく駄洒落を褒められたことに恩を感じているのだろう。

 泣きじゃくるサトコの肩を抱いたサトルは、談志の名刺を大事そうにパンツにしまってから、

「わかったよサトコ、もう涙はいらない、♪涙君さよならー、さようなら涙君、またあーう日までー♪」と自分でもほれぼれするような名セリフをはいた。

「本当?あのおっさんをヘルプできる?」つぶなら瞳で問うサトコに対し、

「ああ、何を心配しているんだ!見損なうなよ、俺がヘルパー2級の資格を持っているのを君は知っているはずじゃないか?」自信満々にサトルは答えた。

 おっさんは、両冠者、四人の囃子方に囲まれて罵声を浴びせられていた。そして次の瞬間、囃子方の一人が横笛をぶんぶん振り回し始めた。

「いかん!リンチが始まる。」

 サトルとサトコは再びスクラムを組んだ。お互い見つめあう二人の愛は本物だ。この世に怖いものなんて何もない。♪二人のたーめー世界はーあるのー♪

 サトルが「じゃ、いくよー!」と鬨の声をあげた。サトコは「はい、くるよ!」と応えた。サトコのギャグセンスはおそらく東洋一だと、この時サトルは確信した。しかしこのサトコの短い一言は、危機に瀕した金ぴかおやじに劇的な変化をもたらした。瞑想に入っていたおっさんが、お目覚めになったのである。

 おっさんは「いくよー!くるよー!」と叫んだかと思うと、次に「どやさー、どやさー!」と両手を交互に前へ伸ばして、掌をぴらぴらとこれまた順繰りに表裏させた。それを見ていた太郎冠者や次郎冠者、およびおっさん楽団一行は身悶えして笑い出した。

 それを見逃すサトルとサトコではなかった。サトルはサトコの肩に力を入れて「いまだ!」と言った。東洋一のサトコもすかさず応える「ひがしの!」と。「二人合わせてWコージーだ、君と僕とでWコージーだ、小さなものから大きなものまで動かす力だー♪」二人は合唱しながら、笑い転げているおっさん楽団員たちへ体当たりをくらわした。太郎冠者や次郎冠者はもんどりうって倒れた。囃子方は持っていた笛や鼓で頭をしたたか打ちつけて気絶してしまった。ついに二人は「どやさー!どやさー!」と一人で狂喜乱舞しているおっさんを無事救出したのである。

 サトルとサトコはこの上ない充実感を感じていた。二人の短い人生において、かくも他人の役に立ったことは今まで一度もなかったから。二人は「どやさー!どやさー!」と憑りつかれたように乱舞しているおっさんの腕をつかんで「もういいですよ、助かりましたよ。誰も攻めてきませんから。」と静かな口調で伝えた。

 おっさんの金襴緞子の着物は下のほうがボロボロになっていたし、雪駄はいつの間にやら脱げていて足は土で汚れていた。

 我に返ったおっさんは「見事な呼吸じゃ、天晴れな若者たちよ!弟子にしてやる!」と高らかに宣言した。おもむろに、気絶してのびている不逞の輩どもに近寄ると、太郎冠者、次郎冠者の身ぐるみをすべて剥ぎ取ってしまった。そしてその着物をサトルとサトコに弟子の証として与えたのである。「今日から君たちが、太郎冠者、次郎冠者じゃ、よいな。ついてまいれ!」と顔に幽かな笑みを浮かべて言った。

 サトコは嬉しそうに次郎冠者の袴を穿いて、「短大の卒業式以来よねー」とはしゃいでいたが、サトルは躊躇っていた。それに気づいたおっさんは、

「どうしたんじゃ?」と首をエクソシストのように回転させて尋ねた。

「あのー、写真の焼き増しを談志師匠のところへ送らないと・・・」悩める内心を吐露した。

「心配無用じゃ!次のリサイタルは江戸で行う故、その時に持参するがよかろう」今や師匠になったおっさんがやさしくのたまった。

「本当ですか?なんだー次は江戸かー、それを早く言ってくださいよ。燈台下暗しだなぁー」と、ことわざを無理やり入れて答えた。

 サトルとサトコの二人はお互いに装束を見せ合いながら、「やっぱ、髪型はちょんまげかなー」

などと言いながら「風林火山」「おこめ券」の二本の幟を手にして、金ぴか師匠の後方に従ったのであった。そして三人は江戸へと旅立って行ったのである。

 めでたし、めでたし・・・・。

                      

                         《完》