~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

初期議会  ~日清戦争への道①~

第1回衆議院選挙 (1890年 (明治23年) 7月1日)

 

   山県有朋内閣(1889年(明治22年)12月24日 - 1891年(明治24年)5月6日)

    議席立憲自由党板垣退助)  130議席 民党

       大成会(増田繁幸)     79議席 吏党

       立憲改進党大隈重信)   41議席 民党

       国民自由党          5議席 吏党 (旧自由党後藤派系)

       無所属           45議席 

 

◎第1回帝国議会 (1890年(明治23年)11月29日 - 1891年(明治24年)3月7日)

 

 山県有朋「主権線・利益線演説」

 民党 「政費節減」「民力休養」   予算案で激突⇒解散の危機!

 自由党土佐派(28名)の裏切りで予算成立⇒中江兆民激怒、議員辞職する。

 議会終了後 山県辞職

 

第1次松方正義内閣 (黒幕内閣)

    (1891年(明治24年)5月6日 - 1892年(明治25年)8月8日)

 

◎第2回帝国議会 1891年(明治24年)11月26日 - 1891年(明治24年)12月25日 

 

 軍艦建造費削減⇒樺山海相「蛮勇演説」⇒衆議院解散

 

  伊藤博文 政党結成に動くも、明治天皇や他の元老たちに反対され諦める。

 

第2回衆議院選挙 (1892年(明治25年)2月15日)

 品川弥二郎内相による選挙大干渉(死者25名、重傷者400名)

  議席自由党     94議席 民

     立憲改進党   38議席 民

     中央交渉部   81議席 吏 (旧大成会

     独立倶楽部   31議席 吏

     近畿倶楽部   12議席 吏

     無所属     44議席

◎第3回帝国議会 (1892年(明治25年)5月6日 - 1892年(明治25年)6月14日)

   選挙干渉に対して内閣弾劾上奏案⇒否決⇒内閣問責決議案⇒可決

   品川内相責任を問われ辞職

   政府の選挙干渉を批判して陸奥宗光農商務大臣辞任 

   民党と政府が協力して「鉄道施設法」成立

   品川擁護派と批判派で閣内分裂⇒松方首相辞任

 

第2次伊藤博文内閣 (1892年(明治25年)8月8日 - 1896年(明治29年)9月18日)

 「元勲内閣」 超重量級内閣 首相経験者2人が入閣(黒田・山県)

 

◎第4回帝国議会 (1892年(明治25年)11月29日 - 1893年(明治26年)2月28日)

   軍艦建造費を巡って、内閣と衆議院が衝突⇒明治天皇の「和協の詔勅」⇒政府と民党が妥協⇒自由党の与党化(民力休養から民力養成へ)

 

明治25年11月 千島艦事件発生 ⇒ 対外硬論が台頭してくる

明治26年7月 条約改正交渉再開 外相・陸奥宗光

 

 

 

 

 

 

~核時代のトリックスター~

あさま山荘事件をご存知だろうか?

リアルタイムに知らなくても、よく戦後重大事件史とか、昭和10大事件簿みたいなタイトルでテレビの特番が組まれて、この事件は必ず採り上げられるのでテレビをよく見た世代の人なら知らない人はいないだろう。

 

連合赤軍との銃撃戦で警官が2人殉職されているこの事件なのだが、民間人が一人犠牲になっているのも知っているだろうか?

その民間人は新潟県からやって来た。人質を取っての立て籠もりが4日目を迎えた日、三千人いたという《やじ馬》達の中の一人が、あさま山荘の裏山を登って警備網をすり抜けて、建物の玄関前に躍り出たのである。

 

彼は、この事件を扱った映画やドキュメンタリーでは、軽く触れられてあとは無視されるか、警察の作戦を撹乱する邪魔者の如く扱われている。

しかし、彼(Tさんと言おう)は、もっと大きな存在者だった!

作家・大江健三郎は連作小説『河馬に噛まれる』の《「浅間山荘」のトリックスター》で次のように書いている、

ー籠城の四日目だと思う。あなたもテレヴィ中継や新聞報道で大きく扱われたのを見られたと思うけれども、弥次馬の中年男が撃たれました。建物のなかの「左派赤軍」と、包囲をしている機動隊というより、こちら側、テレヴィ画面を見つめている市民の側との、仲裁役、調停役を志願して、彼は撃たれた。いつの間にか建物の玄関口まで近づいて、内部に声をかけていたのでした。新潟のスナック経営者ということだったが。そうです、ご存知でしょう。数日後には死にました。うしろから頭を撃たれていた…僕の小説の構想には、端的にああした人物が欠けていたのです。「浅間山荘」の事件全体を理解するためには、あの仲裁役、調停役を志願して撃たれたスナック経営者のような人物が必要だった。あの無意味な死をとげた不幸な人物を媒介にすれば、自分の小説も、もひとつ高いレヴェルに押しあげて把えることができたのじゃないか、と思ったものです。革命運動というレヴェルを超えて、思想的な文脈のなかに…

 

左派赤軍と警察の間を、越えがたい深淵を架橋する者としてのトリックスター。それが新潟からやってきたTさんなのだ!

 

彼は、山荘の扉を開け(それは意外にもたやすく開いた!)、次のように左派赤軍の若者たちに語ったという。

赤軍さん、赤軍さん、中へ入れて下さい。私も左翼です。あなた方の気持ちはよく分かります。私も警察が憎い。昨日まで留置場に入ってたんです。私は医者です。新潟から来ました。」

しかし、Tさんの言葉は通じなかった。彼は頭部を撃たれ、その場に倒れた。よろよろと立ち上がって「大丈夫だ・・・」と言ったが、数日後亡くなってしまった。

 

この光景を単に、物見遊山で眺めることもできただろう。

実際、当時の日本人がそうであったように。

だが、作家として大江は、「左派赤軍」と「機動隊」の両者の銃器の前に立ち、大きな恐怖を抱いて頭を撃たれたTさんに向けて、その恐怖に釣り合う大きさの《希望の言葉》を我々は探すべきだった、と書いている。

 

「恐怖」につりあう「希望」のことば。

 

それを見出すことは、あさま山荘事件以降、今日においても、いや現在こそ必要とされているのではないだろうか?

世界・社会・共同体に兆している亀裂は、70年代よりもはるかに広く、深いものとなっている。宗教・民族・肌の色・国籍・貧富の差・思想信条によって人々は、互いに分裂対立し、個人は価値の島宇宙を孤独に漂うだけだ。

人間集団は、多数派と少数派に分かれ、多数派は少数を圧殺しようとする。

その時、多数派でもなく、少数派でもない、わけのわからない(帰属集団が不明な)トリックスターが、その対立・緊張を和らげ、かつ、憎悪と不信と恐怖に、充分対抗しうるだけの「希望の言葉」を見出し発することが、再び現実味を帯びてきてしまった現在という核時代に必要とされているのではないかと、私は思うのである。

 

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おちゅーんlive100回記念イベント『笑えない話グランプリ2017』観てきた。

             以前このブログでも書いた 

kurikakio2016.hatenablog.com

ネット配信番組の『おちゅーんLive』がこのたびめでたく100回目の配信となった。それを記念するイベントが、大阪アングラ・サブカルの聖地の一つと言って過言ではない、かの有名な「味園ビル」の2階にある紅鶴で開催された。題して笑えない話GP2017』

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「笑えない話」とは、笑ってしまった自分に対して、「なんで笑ってしまったんだ?バカ!バカ!、自分のバカ野郎~」と思わず自責の念を催させるような、不謹慎、恥知らずな話をいい歳をした大人たちが真剣に話すというおちゅーんの定番キラーコンテンツの一つである。

 

いつもはサイコロで話す担当を決めていたが、今回はトーナメント方式。

1回戦のみ配信、準決勝、決勝は会場に来た者だけが聴けるというやり口(笑)

 

1回戦はA、B、C、Dの4組に分かれて戦われた。

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A組では、絶対王者の田中さんが初戦敗退するという予想外の出来事。劇団主催者・伊藤えん魔さんが「マンゴープリンじゃない、ピカチューの肉だよ」で、準決勝進出。

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B組は、田中俊行さんとネットラジオ『血液型ZONE』を配信されてる、初登場横山創一さん(ラジオでは「諏訪山よしお」名義)が、アナーキーな無府主義者としての実力を遺憾なく発揮し勝利。準決勝に進出。私が優勝予想した放送作家吉村智樹さんは残念ながら惜敗・・・

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C組は、波乱を巻き起こした。優勝候補の原さん、竹内アニキを差し置いて、レギュラーMCの松原タニシさんが、「刑務所慰問ネタ」で予選突破。本人も予想していなかった勝利に戸惑いを隠せない様子だった。でも、勝ってもいいんじゃない?だってあなたはおちゅーんのメインMCなんですから!!

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D組は、偶然女子ばっかりが集まった組。噂の西野こうみさん(アイドルじゃなくタレント:本人談)が、前評判通りのぶっちゃけトークで予選突破。途中で話を中断するという荒業を披露したが、準決勝ではその続きをせずに全く違う話をしていました!これも花井さんの策謀か(笑)

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マイクに向かって前屈みになる、独特のファイティングポーズでご無体なトークをくりひろげる「こうみ氏」!

 

ここまでの話は、おちゅーんLive!のアーカイブで観れる。予選落ちした話も、120%笑えないので、実際に自分の眼でご覧になる方がおもしろいと思います。

 

youtu.be

 

 配信終了後、準決勝の対戦カードの抽選。

準決勝: 伊藤えん魔VS松原タニシ

     西野こうみVS横山創一

 

対戦の内容は、残念ながら書けません。結果だけ書いとくと、

伊藤えん魔さん、西野こうみさんが各々勝って決勝に進出!

準決の西野こうみさんのネタがこのイベントで一番の、ジャイアンインパクト!だった、ということだけ伝えておきましょう(笑)

 

 決勝は、伊藤えん魔 VS 西野こうみ

準決の勢いそのままにこうみさんが押し切って優勝!

レギュラーの花井さんが、こうみさんの参謀役を買って出ただけのことはあります。

時間が余ったからと付け足した「鹿」のネタはいらんかったと思う(これは書いてもいいでしょう、多分・・・)。

 

優勝おめでとう、西野こうみさん!!

でも、「こうみがおもしろいのは、下ネタじゃないから!」と花井さんが熱弁してたので、もっと他にも引き出しありそう。今後の更なる活躍にも期待しましょう!

 

最後におちゅーんLive! 配信100回おめでとう!

これからも、決してテレビ放送にはない、自由な配信を思いっきり垂れ流してくださいな、期待しております!!

     

 

 

 

 

医学ドラマ『済衆院』観た➁~「人」とは何か?~

前回は物語そのものの感想を書いてみたが、今回はその物語に触発されて(と言いつつ以前からうっすら頭にあったことだけど)考えたことを書いてみようと思う。

 

《白丁・ペクチョン》は「人」ではない、だから殺しても「殺人」にはならない。

 

見事なロジックである。

事実この時代もそれ以前も身分制度が厳格だった儒教原理主義の朝鮮社会で、白丁は人間として扱われていなかったようだ。

町はずれに、白丁だけが住む白丁村を作ってかたまって住まわされいて、町に出ると彼らは腰をかがめて、早足であるくという〈白丁歩き〉をしなければならなかった。通りの端っこを壁や塀に張り付く影のように、存在を消すように歩く。勿論話しかける人もなく、視線を送られることさえない。存在してはいるが、あたかも存在していないかのように扱われる。それが白丁だった。

『済衆院』の主人公はソグンゲと言う名前である。意味は「痩せた犬」。ソグンゲの父の名前はマダンゲで「広場の犬」という意味。ソグンゲの幼馴染みの相棒でインチキ占い師の名前はチャクテ。意味は「棒きれ」。およそ人の名とは思えないような名前をつけられている。この命名にも人間扱いされていなかったことが見て取れる。

 

「人でないものを人のように見做す」、擬人化する能力を人間が持つのと同時に、真逆の、

「人を人でないように見做す」ような能力、脱人化する能力と言うべき能力を人間は持っているのだ!

 

この「脱人化」は何も千年前、百年前の出来事として起こっただけでなく、今現在も此処日本でリアルタイムで起こっている。ある特定の国籍を持った人たちを「ゴキブリ」呼ばわりしている輩が大手を振って通りを闊歩している!!

 

「人はポリス的動物だ」と言ったのはアリストテレスだが、その「人」概念の中に奴隷は含まれていない。彼にとって奴隷は「物言う道具」であり「二本足の道具」に過ぎなかった。ソクラテスが「ただ生きる」のではなく「善く生きること」を説いたそのアテナイの繁栄を支えていたのは、ラウリオン鉱山から産出される銀であった。鉱山でこき使われていた奴隷たちのことをソクラテスプラトンは一瞬でも考えたことがあったのだろうか?「善く生きる」は言うまでもなく「ただ生きること」でさえも根源的に奪われた人々が存在するということをアテナイの哲学者たちは認識できていたのだろうか?

 

「白丁」が人間と見做されなかったように、鉱山で使役されている奴隷たちも「人」と見做されなかったのかもしれない。このことから分かるように、「人」という概念は自明ではないそれは発見されねばならなかったし、また絶えず再発見・確認されねばならない概念なのである。「人とは~である」とか「人間は全て~である」というような規定や定義が述べられていても、それらの語が本当にすべての人間を指示しているのかは疑って考える必要がある。初めから「人間」の範疇に入れられていない化外の人がいるかもしれないからだ。

 

医学ドラマ『済衆院』観た ー①ー

朝鮮初の西洋式病院かつ医学学校である『済衆院』(チェジュンウォン)とそこで研鑽する若い医師たちの物語。主人公は朝鮮の最下級の身分「白丁」出身のソグンゲ、ライバルに名門両班家のペク・ドヤン、ヒロインは中人階級で訳官の娘ユ・ソンナン。

 

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(左・黄丁、中・ソンナン、右・ドヤン 奥・アレン初代院長)

今回は物語そのものについていくつか気になったことを書いてみたい。

 

1.主人公 黄丁(ファン・ジョン)の流転

朝鮮時代の身分制度下で最下層である《白丁・ペクチョン》階級出身の主人公ソグンゲ(痩せ犬と言う意味)。彼は結核に侵された母親の医療費を捻出するため禁じられていた密屠畜に手を出してしまう。その罪で捕まった彼は、ある人物に人体解剖をするように命じられる。それが後に永遠のライバルとなるペク・ドヤンであった。人体解剖後殺されるはずだったソグンゲは何とか逃げ延びたが、遂に追手の銃弾に倒れてしまう。

 

ここで奇跡が起こる。瀕死のソグンゲ(身なりは両班に化けてる)は、訳官の娘ソンナンに発見されて彼女の家へと運ばれる。そしてそこに偶然居合わした医師アレンの外科手術によって一命を取留めるのである。

 

命を救われたことをきっかけにソグンゲ(名前も両班になりすまして〈黄丁・ファンジョン〉と名乗る)は、医師、つまりは西洋医を志すようになる。

 

甲申政変時に最初に斬られた閔泳翊を治療したのもアレンだった。その功績もあって高宗は朝鮮初の西洋式病院《済衆院》開設を許可する。病院には学校も併設され、黄丁、ドヤン、ソンナンも医学生として学ぶことになる。

 

学ぶ過程でいろんな出来事・事件が起こるのだが、主人公の黄丁は誠実に、ただ人の命が救いたいからという一途な思いでどんな困難も突破していく。途中「白丁」であることがばれて済衆院から追い出されたり、治療した両班の古風な考えの娘が医療行為を「結婚前に男に蹂躙された」と誤解して自殺し、その罪を背負わされて死刑執行の直前まで行ってしまう。日本への対抗策としてロシアと関係強化しようとしていた高宗の意向で、ロシア公使の眼の手術を成功させることを条件に死刑を免れ、更に白丁から免賎され平民となり「黄正」(発音は同じくファンジョン)という名前まで賜ってしまう!!

 

しかし、この頃から以前の庶民の命と健康をただひたすらに求めるという「黄丁」らしさが消えてしまう。済衆院での診療はそっちのけで王宮で高宗の相手をすることに時間の大半が費やされるようになってしまうのだ。いつも黄丁のよき理解者であったソンナンでさえも異議を申し立てるようになる・・・

 

物語全体の前半3分の2と後半3分の1では、ファンジョンのキャラが変化してる。丁度それは「黄丁」から「黄正」に変わる頃である。《一般庶民の味方・黄丁》から《王の側近・黄正》へと性質を一変させてしまうのだ!この事と対になるかのように、かつては傲慢不遜であったペクドヤンがその両班体質を捨てて人間味を醸し出すようになってくる。後半ではドヤンの方が《黄丁》性を帯びてくる。だからこのドラマは、ソグンゲの成長を描くと共に、ぺクドヤンの成長も同時に描くという構成になっている。

 

更に違和感が募るのは、黄正が抗日義勇軍の隊長に就任するというところである。別に自分が日本人だから日本を悪し様に描写してて違和感があると言っているわけではない。武器を取って殺人に手を染めるなどとは最もファン・ジョンの性質からかけ離れていると言うべきだろう(ドラマでも父親マダンゲをなぶり殺した兵曹判書を手術中に殺そうとして殺さなかったように)。義勇軍の件はファン・ジョンのモデルとなった「朴瑞陽」という実在の人物が抗日運動していたからドラマでもそうしたのであろうが、何かそれまでのファン・ジョンという人物造形からは導かれない行動であると感じられた。

 

2.日本人の描写について

それから気になったのがドラマに登場する日本人の演出だ。意図的なのか知らないがとても漫画的に描かれている。医師渡辺、看護婦鈴木の「そうです!クロッスムニダ!」なんて、ほとんどギャグみたいになってしまっている。また日本兵もあたかもロボット兵のごとく描かれていて、周りの朝鮮人たち、当時の朝鮮社会のきめ細やかな描写とマッチしてない感じがする。例えるなら、ハイパーリアリズムで描かれた絵の中に蛭子能収のイラストが混じってるような感じがするのだ。ペクドヤンの恋人ナオコだけが辛うじて陰影のある人物として描かれているといえよう。ほかの人物も内面に立ち入って描き込めばもっと深く広がりのある物語になったと思う。

 

3.好きなシーン

いろいろ批判してきたからこのドラマが嫌いかといえば、それは全く違う。

むしろかなり気に入っている。その中でも好きなシーンを紹介したい。

このドラマの一番の見どころは何と言ってもファンジョンが「白丁」であることをばらしてしまうシーンだと思う。足の治療に済衆院に来ていた父マダンゲが手術を拒否して帰ろうとして転倒した時、ファンジョンが杜子春よろしく「アボジ!」と言って駆け寄るシーン。この破戒のシーンが一番インパクトあると思うが、私的にはその前のシーンの方が好きである。

それは、ソンナンが腕に深い傷を負い、大量失血で意識を失った後、ファンジョンの血を輸血し、夜二人きりになった時に、意識の戻らないソンナンの手を握りながらファンジョンが語りかけるシーンである。

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「私の汚れた卑しい血が、お嬢様まで汚してしまったようで、心配で水も飲めません。息をすることもできません。どうか早く目を覚まして、いつものように生き生きと飛び回って下さい。以前貸していただいた本には教えていただきたいことが山ほどあるし、もう軟膏も無くなってしまいました。お嬢様がいなければ済衆院はたちいきません。白丁だったソグンゲが医学生になれたのも、お嬢様がいたからです。」

静かな、とても静かなシーンですが、一番感動させられました。

実はこの告白を、ソンナンは目覚めていて、聞いていたのだ!!

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本当のこと》を知ったソンナン。

しかし彼女はファンジョンを、以前と変わらず愛し続ける。

 

あと何故だか気に入っているシーンとしては、自転車でソンナンが意味なく(意味ありげに?)ファンジョンの周りをぐるぐる回るシーンも好きです。

なんか、いいです(笑)。

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               では、次回につづく。

 

 

ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~④

  これまでドラマのあらすじを追ってきたが、これは当ドラマの半面でしかない。残る半分とはもちろん、ユンガンとスインのラブストーリーである。歴史の大きな流れの中で、ユンガンとスインの二人が自分を見失わなかったのは、二人の愛があったからだと思う。「国家のため」とか「正義のため」などという大文字の価値にではなく、ユンガンにとっては「スイン」が、スインにとっては「ユンガン」という固有名が価値を持っていた。お互いがそれぞれを羅針盤にして、自らの歩む方向を決めている。

だから、スインがユンガンと最初に別れるときに、《コンパス》を渡したのは象徴的だと思う。開化派なら、コンパスじゃなくて、当時最先端だった懐中時計をわたすべきだったという声もあるが、ここはやっぱりコンパス(羅針盤)じゃないといけない。時間なんて腹時計でも充分だ。何処にいても進む道を教えてくれるというコンパスこそ、この物語にふさわしい。

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"받으십시오

길을 찾아주는 물건입니다

도련님이 어디에 계시던 이 나침반이 길을 인도해 줄겁니다

 

조심하십시오

꼭 살아계십시요

그럼 다시 만날 겁니다

다시 만나면 헤어지지 않을 겁니다"

 

お受け取りください

道を捜してくれる品物です

ユンガン様がどこにいらっしゃっても

この羅針盤が道を導いてくれるでしょう

 

お気を付けください

必ず生きていらしてください

ではまたお会いしましょう

また会えれば別れはしないでしょう

 

この直後にユンガンは銃使いに撃たれてしまうんですがね・・・

 

また、このコンパスは日本人「長谷川半蔵」が「パク・ユンガン」であることを証明する決定的な証拠にもなります。うすうす分かっていたとはいえ、ユンガンが本当に生きていたことをスインが知るシーンはこのドラマの中で一番好きな場面です。

 

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本当にいい場面です。

おっさんですが感動しました。

コンパスが道を教えてくれたんですね。

 

あともう一つ好きなシーンがあります。

金玉均に懇願されたスインが女官になる決意をし、王宮に出仕する直前ユンガンが現れる。スインに翻意するように促すが、それを断る彼女の台詞が印象的です。

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「より良い世界で

一緒に暮らすためです

そのために

しばし別れるだけです」

 

スインがいう「より良い世界」とはどんな世界だろうか?

開化派の師から受け継いだ「万民平等」の世界。

罪のない人間がいわれのない罪を負わされることがない世界。

愛する二人が邪魔されることなく結ばれる世界。

それこそは、(不完全とはいえ)

現在の私たちがふつうに暮らしているこの日常世界ではないだろうか?

 

 

 

ドラマ『朝鮮ガンマン』観た。~パクユンガンの夢~③

 実行犯だったウォンシンを倒したユンガンは、残った仇の一方である黒幕キムジャヨンを内偵する。

するとクーデターを企んでいることが判明した。その証拠を押さえるためにユンガンはキムジャヨンの屋敷に潜入し、とうとう謀反の揺るがぬ証拠である〈スホゲ〉(守護契)の連判状を手に入れる。それを彼は王高宗の元へ届ける。王はこれで開化を妨げてきた守旧勢力を一掃し、そして念願だったユンガンの父・忠臣パクジナンの名誉を回復できると喜んだ。

 喜んだのも束の間、〈スホゲ〉一党を捕縛せよと命じた時すでにクーデターは始まっていたのである。これが《壬午軍乱》である。史実においてこの軍乱は、大院君が開化派と閔氏一派の追い落としを狙ったものであるとされているが、本ドラマではむしろ守旧勢力が自らの悪事が発覚することを怖れ、また開化に向かう高宗を譲位させるのが目的のように描かれている。それにドラマでは当時の主役であるはずの大院君はほんの一シーンに登場するだけであり、閔氏も中立に描かれている。

 結局、クーデター《壬午軍乱》は清国の軍が進駐することによって鎮圧される。〈スホゲ〉一派は捕らえられ、裁判にかけられ全員斬首刑にされる。そしてユンガンの父ジナンの名誉も回復される。全てが、終わったのである。

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 ここで終わればめでたしめでたしであるが、そうはいかない!決していかないのである!!

 

 クーデターを経験した高宗は、人が変わったように開化への情熱を失い王権の強化へとひた走るようになる。

 ユンガンが王に呼び出される。彼は王に感謝の言葉を述べる。が、高宗はユンガンにとんでもないことを提案する。もう一人の人物が王の部屋へ呼び入れられる。その人物は、な、なんと死んだはずのチェ・ウォンシンだったのだ。唖然としたユンガンに高宗は追い打ちをかけるように、王権を安定させるためにウォンシンと手を組んだことを伝え、ユンガンも協力し以後お互いの命を狙わないようにせよと命じた。しかしユンガンは納得できない。王を罵倒し、その場から出て行ってしまう。この件でユンガンは完全に高宗を見限る。

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 斬首刑を言い渡された〈スホゲ〉一派の一員に、閔妃の命を軍乱時に守ったという手柄で刑を免れた者がいた。彼等は、今度は閔氏と手を組み新たな勢道政治を始める。王と手を組んだウォンシンは朝鮮全国の商業を統括する恵商公局を設立し、商業利益を手中に収める。日本人商人「山元」とともに穀物を買い占め、不当な利益を得る。その利益は閔妃をはじめ閔氏一族へもわたる。一部の商人と官僚だけが潤っている一方で、朝鮮の庶民たちは食べることさえままならない状態に陥っている。

 見かねたユンガンは、「満月の黒砲手」となって、京幾褓商団の蔵を襲い、飢えた朝鮮庶民たちにコメを開放する。これに激怒した日本人商人「山元」は、ユンガンを殺そうとするが、ここで同じ日本人の「金丸」が、かつて京都でユンガンからうけた恩を返すとして、ボスの山元を裏切ってユンガンの命を救う。しかし、この時ユンガンは大きな間違いを犯してしまった。日本人を殺してしまったのだ。

 この事件は外交問題に発展してしまう。せっかく名誉回復され自由の身になったユンガンが、今度は日本人殺害の犯人として追われることになる。

 再びウォンシンがユンガンを追い始める。追い詰められたユンガンが山中で脳震盪を起こして危機一髪のところ、朴泳孝の軍に助けられる。そこでユンガンは、開化派によるクーデターの計画を打ち明けられる。飢えに苦しむ庶民たち、虫けらのように扱われる奴婢、無実の人間が罪を負わされる世の中に大きな疑問を抱いていたユンガンはその計画に参加することを決心する。復讐から《新しい世界》をつくるという目的に方向を転換するユンガン。

 その頃、ユンガンの恋人スインも女官になって閔氏の動きを探ってくれと金玉均に誘われる。スインの父は訳官で開化を進めていた人物であったが、壬午軍乱で反乱軍に殺されていた。父の遺志を継ぎたいと言う思いと、何より再び追われる身となったユンガンを守るために、彼女は女官になることを決意する。

 スインが女官になることを知ったユンガンは、止めようとするが彼女の意志は堅かった。翻意を迫るユンガンと、それを拒んで自らの意志を貫くスインの会話のシーンはこのドラマの白眉であると思う。涙でスインを見送るユンガンはなぜ彼女が女官になるのかをその時点では理解できないでいた。

 

 ユンガンはスインを危険に巻き込んだ金玉均のもとへ抗議に訪れる。

「なぜ彼女を、よりにもよって女官など? 言ったはずです 私にとって命より大切な人なんです 唯一の望みなんです なのになぜ このようなことを・・・私からスイン殿を奪った たった一つの希望を奪った・・・」

「すまない・・・ 本人が望んだのだ そなたを守るために そなたのために 世を変えたいと言っていた 追われる者のない世にしたいと 彼女は自身のすべてを懸けたのだ そなたを自由にするために 自ら犠牲になった 取り戻す方法は1つしかない 事を成就することだ 2人のための唯一の道だ 同時に我ら皆のためでもある!」

 スインの本当の心を知ったユンガンは、開化派の軍事の指導者を引き受ける。しかし

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彼はクーデターに日本の援軍を頼むという金玉均の提案に強く反対する。

「日本を頼ってはいけません 絶対に我らの力でやり遂げるべきです 他国を頼れば 主導権を握られかねない 軍乱後の清を見ればおわかりでしょう 朝鮮の民の力を頼るべきです 民の協力あってこそ事は成功します」

「そのとおりだな だが今の民にそのような余裕はない 1食分の食料を手に入れるだけで精一杯だ 今は志あるものだけで動くしかない・・・」

じっさいの歴史にもユンガンのように考える人物がいれば、その後の朝鮮の歴史も変わったかもしれない、と思わざるを得ないが、歴史に「たら・れば」は禁物だ。史実はそうならなかったとを示している。

 

 開化派の不穏な動きを察したウォンシンは、朴泳孝を外務に当たらせ、彼の軍を王宮警護に回させることを提案し、王もそれを認める。猶予が無くなった開化派は事を急ぐ。そしてついに「甲申政変」が始まる。王と王妃を狭い宮に移動させ、閔氏一派との連絡を絶たせて、王に改革の14条の政綱と新内閣の人事を認めさせたまでは良かったが、ドラマでは日本軍が突然「自分たちが責任を持つ」といって王と王妃を広い王宮へと移動させてしまった。そのタイミングで閔妃は清に援軍を頼む密書を渡すことに成功、要請によって清軍が来襲、責任を持つといった日本軍はあっさり撤退してしまう。はしごを外された開化派は、後退を続けついにクーデター失敗を悟って日本へと逃げることになる。

 

 甲申政変はどのような意味をもっているのだろうか?それは単なる日本の朝鮮侵略の片棒を担いだだけの反乱だったのだろうか?私はそうは思わない。朝鮮で少なくとも1000年以上続いた奴隷制度を、形式的にだけにせよ、終わらせたのは他ならぬこの政変であった。1000年の長きにわたって誰もなしえなかったことをやり遂げたという意味で不朽の価値があると思えるがどうだろうか?またこの事件とその後の朝鮮に残された開化派の人々に対する無惨な弾圧は、日本に激しい怒りとナショナリズムを引き起こした。もっとも激しかったのは《時事新報》でその主筆はもちろん福沢諭吉である。その新報と福沢は日清戦争開戦を最も煽る言論を発表し続けることになるのだ。

 

甲申政変(1884年)で発表された14か条の政綱

1.大院君を早急に帰国させ、清国に対する朝貢虚礼を廃止すること 
2.門閥を廃止し、人民平等の権を制定して、才能によって官吏を登用し、官職によって人を選ばないようにすること 
3.全国の地租法を改革し、奸吏を根絶し、窮民を救済し、国家財政を充実させること 
4.内侍府[王室財政を担当する官庁]を廃止し、そのなかで才能ある者だけを登用すること 
5.前後の時期に不正をし、国家に毒害を及ぼした人のなかで、その罪が顕著な者は処罰すること 
6.各道の還上米[国家が利子をつけて農民に貸す米]は、永久に回収しないこと 
7.奎章閣[王室の図書館]を廃止すること
8.早急に巡査を置き、盗賊を防ぐこと
9.恵商公局[行商人の監督官庁]を廃止すること 
10.前後の時期に流配または禁固された罪人を、再調査して釈放すること 
11.四営[軍]を合わせて一営とし、営中から壮丁を選んで直ちに近衛隊を設けること。陸軍大将は王世子を任ずる 
12.すべての国内財政は戸曹で管轄し、その他いっさいの財務官庁を廃止すること 
13.大臣と参賛は日を定めて閤門内の議政府[内閣]で会議をおこない、政令を議定、執行すること 
14.政府六曹のほか、すべて不要な官庁は廃止し、大臣と参賛をして審議処理させること

 

                ー続くー