~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

来年の抱負など 

 このブログはもともと『文藝戯語』というのタイトルでやり始めたのだが、その掲げた名に反して映画やら、音楽やらについて書いても、肝心の「文芸」についてはほとんど書かずにいて、流石に《羊頭狗肉感》ハンパねェーって感じになったので今の『戯語感覚』に変更したのである。

 

 ・・・で、

 

 来年の抱負としては、原点回帰して、いよいよ文学中心に書いていこうと思うております。しかしあくまで、《思い》でありますので、また脱線して別なことを書きつけるかもしれません。興味はいろいろあるんです。例えば、社会主義計算論争とか、確率論の実在論的解釈とか、解析学の代数化の歴史とか・・・こういうのはかつて分析哲学やってた頃の名残というか、埋火というか、焼け木杭というか何かそういうものが自分の内部にまだ生きていて、それらがまた頭を擡げようとするんです!でも、自分もいい歳なんであれもこれもできません。みんな中途半端になりそうです。自分が今一番やりたいこと、今やらねばならないことは何かって考えて、そうりゃやっぱり「文学」だろー!!ってなったわけです。後半の〈今やらねばならない〉というのがミソです。世界で吹き荒れる、ポピュリズム、ヘイト、差別、ちょっと前なら口にするのもためらわれるような言葉が平然と白昼大手を振って闊歩する有様です。まぁそのうち元に戻るだろうと楽観的にいてもいいのですが、今の〈社会〉、それを構成する〈人間たち〉に信頼を置けるか?って自問した時、残念ながら答えはNOと言わざるをえません。戦争への欲望みたいなものも感じさえします。来年1月にはトランプがアメリカ大統領になります。日本は今までの太平の夢から目を覚まさせられるかもしれません。

 

 昔、『きけわだつみのこえ』を読んだとき、学徒たちの、歴史の歯車が一旦動き始めると個人の力ではどうすることもできない、と書いている手記がいくつもあるのが強く印象に残りました。私は、ひょっとすると今現在、新たな歴史の歯車が動き始めようとしているのではないか?、と感じてしまうのです。同じ過ちを繰り返すのは、はっきり言って「馬鹿」です。「一旦動き出した歯車が止まらない」のなら、「動き出す前に止めれば」いいんです!!動き初めなら少数の力で止められます。

 

 まぁ、そんな思いで、戦中でも戦後でもなく「戦前の作家たち」に注目して、彼らが戦争の予感にどう対処したかを調べてみたいなと思ってるわけです(作家たちに炭鉱のカナリアの役割を期待しているんですが…期待に応えてくれるかどうか)。第二次大戦だけでなく、日清日露戦争からはじめてもいいと思ってますが、どうなるかわかりません。

 

 とりあえず、来年のテーマは「文学」です。     

 

 

 

 

                      今のところは・・・(笑)

 

姜尚中『ナショナリズム』レポート➁

 ⑶国体ナショナリズムの生成と変容

 「国体」はいかにして生まれたか?そして時間の流れの中でどのような変成作用を受けてきたかを考えるのが『ナショナリズム』のテーマである。姜は国体の始原を、本居宣長にみる。宣長は幕末に盛んになった海防論による地政学的境界としての神州=日本を確定するより以前に、日本語から漢字を徹底的に排除することによって、本来の日本語=〈やまとことば〉及び〈やまとごころ〉を抽出し、日本を内側から確立した。その意味で宣長は最古の「政治的アルケオロジスト」であると姜は言う。

 また宣長は以後繰り返し現れる美的憧憬としての「国体」の創唱者でもある。この主情主義的な国体は現在でもよく見られる。例えば小泉元首相が靖国神社参拝を行ったとき彼が吐いた「心から平和を願っている。それがなぜ悪いんだ」という言葉は「自分はイノセントな真心(ココロ主義)で動いているのに、外からいろいろ注文するのは政治的で汚れた言説だ」という感覚が込められていると姜は言う。ココロ主義=美的な国体は、絶えず政治的な国体と競合してきた。しかし前者が後者よりも安全なものと考えるのはナイーヴである。美的国体は政治を否定し美学化することで、よりファナティックで激情的な汎政治主義へと反転する可能性を秘めていることに注意しなければならない。

 「イタリアは作られた、これからはイタリア人をつくらねばならない」これは姜がよく引用する言葉だが、同じ問題が明治の日本でも発生した。江戸時代の農民に自分が「日本人」だという自覚はなかった。その彼らに「日本人」であることを自覚させるためには、グラムシのいう「知的道徳的改革」が必要であった。明治日本においてその役割を果たしたのが「国体」で、より具体的に言うならば「大日本国憲法」と「教育勅語」「軍人勅諭」などのテキストである。

 しかしこの時、国体にとって最大の問題が生まれる。天皇憲法においてどう位置付けるかという問題である。伝統的天皇は、超越的統治者として法を越えた存在である。近代国家として出発した日本は、立憲主義に基づいて天皇を法の内部へと制約しなければならない。この時天皇機関説は未だない。明治の為政者たちは天皇を「現人神」とすることで憲法の内と外を無理矢理接合させたのである。

 宣長によって見出された主情的な国体は「軍人勅諭」の中に生きている。忠節、礼儀、武勇、信義、質素などの軍人の徳行の実践は「誠心(まごころ)」がなければ単なる飾りにすぎないと書かれている。言い換えれば軍人は「誠心」によって天皇と内面的紐帯を持つのである。国体は微分され、個々人の内面へと埋め込まれていったのである。

 先の大戦中「国体」は怪物となって猛威を振るった。。「聖旨」「大御心」「皇恩」「万世一系」等々の国体語が乱れ飛んでいたのだが、それらの中心をなす国体の概念は尚はっきりとしないままだった。むしろその茫漠としたところに何でも注入できる便利な容れ物として国体が威力を発揮したと言えるが。

 天皇機関説を排撃した後の国体明徴運動とそれに続く「国体の本義」は依然として主情的なココロ主義を基調としたものだったが、植民地を獲得した日本は、外部すなわち台湾人や朝鮮人などを自らの内部へと同化しなければならなくなった。同化される天皇の赤子でも弟子でも臣子でもない異邦人をどう国体の中に位置付けるかが問題となる。彼等は異民族臣民として内部化、日本人化されたわけだが、それは一様に起こるのではなく中心ー周縁というハイアラーキーを維持したまま順次行われていったのである。しかし臣民の身分が儀礼的なルーティンによって与えられるということがかえって、国体の空疎さや日本人概念の曖昧さを反照することとなるのである。

 

 日本の近代史における一大事件だった敗戦は、国体を抹殺しただろうか?姜の答えは、「否」である。国体護持が終戦工作の中心命題であったことからもそれはわかる。あの8月15日の玉音放送ですら天皇の超越性の確認に他ならなず、それは天皇制維持の緊急キャンペーンの一環であったのである。

 皆が知るように新憲法の下で天皇制は生き延びた。延命は日米談合による「天皇制民主主義」という形でなされた。このようなことが可能であったのは、そもそも国体が戦争にも平和にも利用できる空虚で茫洋とした概念であったためである。

 この奇妙で、かつ、巧妙に仕組まれた日米談合体制は、勿論、日本のナショナリストたちの言論に影響を与えずにはおかない。姜はその分裂を、和辻哲郎南原繁江藤淳丸山真男の4人の知識人を例に挙げて述べている。詳しく見る前に大まかな区別をしておこう。問題は戦後戦前を通じて国体は繋がっているのか、途切れているのかである。和辻と南原は連続派であり、江藤と丸山は断絶派である。同じ断絶派でも江藤はそれを悲観的にとらえ、丸山は肯定的にとらえているという違いがある。

 和辻にとって敗戦は国体の喪失を意味しない。むしろ国体は試練を潜り抜けることによって「成熟」したと考える。つまり戦中のおどろおどろしい国体語の連呼が代表する架空の観念に基づいた逸脱態の国体から、まともな形態に戻っただけであると。姜は和辻の倫理学を「仲ヨシ」共同体の人間学と名付け、その共同体の全体性を表現するのが天皇であるという。この和辻の考えと、戦後外部から齎された新憲法はほとんど異なるところをもたなかった。それ故かれは喜んで新憲法を受け入れたのである。

 同じ連続派でも南原は国家を重く見る。彼は文化の目的というものは、国家という枠組みがあって初めて意味を持つものと考えた。国家なき文化などというものは脆弱なものと彼の眼には映ったのであろう。彼曰く「およそもろもろの文化の基礎に横たわる人間的自由の理念と、かような政治的国家の理念とを、その根底においていかに結合し、あるいは総合せしめるかの困難な問題がある。そして、それはまさに現代政治哲学の根本問題であると同時に、おそらく哲学永久の課題であるだろう」

 ではこの永久問題を南原はどう解こうとしたのか?答えは歴史を重視することだった。ナチスのように「民族」に訴えることを回避した彼が見出した歴史。しかし、この歴史主義が再び国体を召還してしまう。記紀の「国生み」を例にして、皇室はいにしえより政治的だったのであり、これは世界に類を見ないものとして、格好の統一原理へと仕立て上げられるのである。

 文芸批評家江藤淳は前二者とは全く異なる。彼は敗戦後の日本を次のようにとらえている。戦後とは日本人の心理が根底まで改変されその原型をとどめないほどに無惨にも作り替えられてしまった時代だと。終戦直後、日本人の中には「国体」が健在だった。しかしGHQによる武力と言論統制によって我々は自分たちの本当の歴史を忘却させられた。「他人の物語」を生きるのではなく、「自分の物語」を発見することを江藤は求める、これは明らかに昨今話題になった「自虐史観」と同じ言い草である。戦後はアメリカによって強制的に作られたというよりも日米談合による合作であったと姜は批判する。

 最後に丸山を見てみよう。彼は戦前、国体の合理的な立憲主義的側面を拡大して国体の近代化を図ろうとした。彼の考えではナショナリズムはデモクラシーと結合して国民の主体的内面に規範化されねばならなかった。しかし実際起こったことは、全く反対のことだった。ナショナリズムは合理化されるどころか、ますます情念化され神秘化され超国家主義にまで至ってしまった。そのつけが敗戦となってあらわれた。

 丸山は戦後も国体にこだわり続けた。しかし以前のようにナショナリズムとデモクラシーの内的結合を目指すのではなく「永久革命としてのデモクラシー」として達成しようとした。それはどういうことか?彼は近代の理念を、未来への投機ととらえた(彼の師である南原が過去へ遡行していくのとは全く逆方向であることは興味深い)。つまりたとえ「配給された民主主義」であろうが「他人の物語」であろうが、逆に自分からそれを引き受け生きるという決断をすれば良いと彼は考えたのだ。(しかし民主主義の配給元であるアメリカの化けの皮が剥がれてくるにしたがって、丸山は再び進路を変更することになるのだが)。

 

姜尚中『ナショナリズム』レポート ①

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 ナショナリズムとは何か?これを定義するのは難しく骨の折れる仕事である。それは日本語訳としても、国家主義国民主義民族主義国粋主義等々と訳されるし、イメージとしては上記のほか更に、外国人嫌い、排他主義帝国主義愛国主義ポピュリズムなどと分岐し、豊饒化される。翻訳による意味の不確定は何も日本語訳だけに限らない。例えば英語の"nation"(ネイション)とドイツ語の"Nation"(ナチオン)は使用される範囲が異なっている。ドイツ語の"Nation"は、民族的栄光、民族的統一、国旗のような高尚な概念のために用いられるが、英語の"nation"は、ナショナルバター(国民バタ-)のように日用品にさえ用いられる、という風に。

 では一体、この不安定で多様な概念について、姜尚中はどのように接近するのだろうか?彼の『ナショナリズム』と、森巣博との共著『ナショナリズムの克服』に依拠して考えてみよう。『ナショナリズム』の構成はまず第一部でナショナリズムの一般論を展開している。これは世界的にみられるナショナリズムの概論の如きものである。この本の心臓部は第二部にある。ここで「日本のナショナリズム」が俎上に上げられる。姜の見方はとてもはっきりしていて、日本におけるナショナリズムは「国体ナショナリズム」であると宣言している。この本の大部分が国体ナショナリズムの形成と変容についての記述に費やされている、と言ってよい。これより以下でナショナリズムと国体ナショナリズムについて少し詳しく見ていくことにしよう。

 

 ナショナリズムのイメージ

 姜はナショナリズムのイメージを二重の両義性において捉えている。つまり「病い」と「救い」、「作為」と「自然」である。ナショナリズムが近代によって齎されたものであることを踏まえて、各々のイメージについて考えてみよう。なだいなだ、A・ギデンス、E・バリバール、B・アンダーソン、および彼の言葉をしばしば肯定的に引用する姜自身もナショナリズムを「病い」として捉えている。なだやギデンスらはナショナリズムを、人をまとめ上げるための「世俗的宗教」とみなしている。ナショナリズムも宗教も血塗られた悲惨な歴史を共有している点で誰しも思い浮かべるアナロジーであろう。より鮮明にナショナリズムの病いを強調するのがバリバールであり、彼によるとナショナリズムの行きつく先はナチス的な優生学だと言っている。アンダーソンはそれを「社会小児病」だと言っている。

 一方、ナショナリズムを「救い」として語るバーリンは、それを後進国が近代化していく際の内面的発条として評価しているように思われる。また明治という日本の近代黎明期のナショナリズムを、丸山真男は「処女性」において、司馬遼太郎は若々しいエネルギーの「国民の物語」としてかっているである。しかしこの二人は同時に、日本のナショナリズムが時を経てそのような長所を失ってしまったことを嘆いてもいるのである。それ故彼らにとって明治とは、いつも参照すべき「回想の場所」として特権化される。そして特権化を施す彼らの言説が再びナショナリズムを強化するのである。

 では後者、作為/自然の両義性についてはどうだろうか。小林よしのりが一番わかりやすい例であるが、彼が言う「くに」とは「生まれ育った郷土の山や河」「家族や村の人々」であり、それは橋本文三ナショナリズムと区別したパトリオティズムなのである。このイメージがつまり「自然」の側面を形成するのであり、政治上のイデオロギーとしては「原初主義」となるのである。しかし実際の近代国家は複雑化した契約関係や官僚体制によって維持されているゲゼルシャフトであり、すでに「郷土」という範囲を超えていることが明白なのだ。それを無理やりゲマインシャフトの言葉でイメージするなら、B・アンダーソンの「想像の共同体」ということになろう。小林の言説は、ゲゼルシャフト的国家の作為性(人工性、不自然さ)に着いていけなくなって、精神的退行を起こしていると理解される。

 

 ⑵国体ナショナリズム

 森喜朗という人が良くおしゃべりで、したがって政治家としては馬鹿にみえる日本国元首相の「神の国」発言が、姜尚中をして『ナショナリズム』という本を書かしめる原因となったという。姜は森元首相が「神の国」で言おうとしたのは実は「国体」のことだったのではないかと勘繰っている。

 日本におけるナショナリズムは「国体ナショナリズム」である、これがこの本の最も短い要約であるが、では「国体」とは一体何か?なぜ日本のナショナリズムが「国体」という形をとらねばならなかったのかを考えてみよう。

 姜はこの得体の定かでない国体を眺めるために4つの視座を提供する。

①国体の持つデュアリズム ➁国体の弾力性 ③国体の心象歴史 ④国体論批判

は作為/自然の二項対立と関係している。姜は「国体」を2種類に区別している。一つは体制としての国体であり、政治の論理で動いている。それは《作為》であり、「公(おおやけ)」に関わっている。このタイプの国体を担う知識人とは官僚や官立大学の教員などの制度的知識人たちである。もう一つの国体は文化としての国体であり、美的論理で支えられ《自然》であり「私(わたくし)」の領域に属する。この国体は自由知識人、言葉の本来の意味でのインテリゲンチャによって担われている。橋川文三は後者の例として三島由紀夫を挙げている。このような国体の二重性が、日本のナショナリズムを特異なものとしているのである。

国体は膨張したり収縮したりする。植民地支配は必然、現地人たちをまつろわすために国体を膨張させる。逆に敗戦後は米国との従属関係においていびつな形で収縮したりする。この相反する二つの運動は国体内部の純粋性を保持するためには必要な反応なのである。

国体は無窮だ。国体は読売ジャイアンツのように永遠に不滅なのである。国体の永遠性は天皇万世一系と重なっている。このような国体の心象史はナショナリスト知識人たちによって純化され再流用され、反復される。

国体は批判されてきた。戦前右翼の大物、北一輝の国体批判は有名である。北は国体論を、無智と迷信と奴隷道徳と虚妄の歴史解釈で捏造された土人部落の土偶、と看破している。またこれまでの斉一のナショナルアイデンティティしか認めてこなかった歴史学を批判して登場した複眼的な網野史学も有望である。しかしこれには罠があることに注意しなければならない。現代の脱領域化した〈帝国〉は、ローカルな文化的差異や異種混交性を逆手にとって〈帝国〉内部に文化の順序付ける能力を持っているということを。

 

                   ー次回につづくー

好きな韓国映画 (1)

前回の更新から、幾星霜・・・・・ いや、およそ一ヶ月ぶりになりますな。

今日はまったりと、力を抜いて書きたいと思います。

テーマは《韓国映画

最初に観た韓国映画は巨匠イム・グォンテク監督の『風の丘を越えて/西便制

この映画で〈パンソリ〉という伝統演芸を知った。パンソリは韓国の中でも主に全羅道で演じられていること、〈恨〉も元々全羅道に淵源してることを知ったのはつい最近である。

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 今まで観た韓国映画で一番好きなのは、何と言っても奇才・鬼才キム・ギドク監督の『受取人不明』である。ストーリーは次のようなものだ(wikiより)

1970年代、米軍基地のある韓国のとある村。黒人の米軍兵との混血児であるチャングクは犬商人の仕事を手伝いながら、母親と二人で暮らしている。母親はアメリカに帰国したチャングクの父親に息子の写真を同封した手紙を出すが、手紙は「受取人不明」の判を押されて返ってくる。おもちゃの銃で右目を失明したウノクは、朝鮮戦争で戦死した父親の年金と母親の内職で生活している。米軍基地内の病院で目を治してもらうため、彼女は高校で英語を勉強している。米軍兵士相手の肖像画専門店を営む父をもつチフムは、父親の家業を手伝うため高校に通っていない。チフムはウノクに想いを寄せているが、アメリカかぶれの不良少年から学校に通っていないことをバカにされている。

  

何か、映画の至る所に熟考に値するテーマが隠されているという感じなのだ。

こういうのを「テクスト」っていうんだろうな、と思う(テキストじゃないけど)。

キムギドク監督の作品には必ず一箇所〈痛い場面〉が出てくる。

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 次はイ・チャンドン監督作品

『ペパーミントキャンディー』や『オアシス』の方が人気があると思うが、私は監督の一作目『グリーンフィッシュ』の方が好きだ。この作品はよく「フィルム・ノワール」と言われるが、「やくざ映画」ではなく、バラバラだった家族が再び一つになる「家族映画」だと思う、ただし主人公は死んでしまっているが。最後に映し出される「柳の木」は印象的だ。

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 次はキム・ジョグオン監督『リメンバーミー』

キムハヌルとユジテ、それからハジウォンが出演してる。

1979年のキムハヌルと2000年のユジテの無線交信。ちょっとSFぽいが、あまり気にはならない。

その期間、韓国は独裁制から民主制へと劇的に変わった。朴正煕大統領暗殺も映画に出てくる。ユジテはキムハヌルにとって、恋敵の子供であることがだんだんわかって来る。それに抗うことなく、静かに運命を運命として受け入れるキムハヌルの姿がせつない。最後、ユジテがキムハヌルに会いに行くという掟破りなシーンがあるが、「幸福そうだった」というわりに、あまりそう見えないところが気になる。

 

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 同じタイトル・原作で日韓で撮影された作品があるが(リメンバーミーもそう)、総じて、日本の作品は説明くさい。例えて言うなら、韓国映画は韻文で、日本映画は散文だ。

 戦後の歴史が、その激しさの違いが作品にも顕著に表れていると思う。

ユン・ジェギュン監督 映画『国際市場で逢いましょう』観た。~最も平凡な父の最も偉大な物語~

 韓国映画『国際市場で逢いましょう』観た。

この映画は、韓国映画史上2位の観客動員を達成した作品だそうだが、そんなことは全く知らず、独立系の映画かな、などと勝手に思い込んで観てしまった。

ストーリーは、次のようなものだ(公式サイトからの引用)。

物語は現在から、老いた主人公ドクスの回想として描かれる。朝鮮戦争時の興南撤収作戦による混乱の中、父、そして妹のマクスンと離ればなれになったドクス。母と幼い弟妹と共に、避難民として釜山の国際市場で叔母が経営している「コップンの店」に身をよせる。 やがてたくましく成長したドクスは、父親の代わりに家計を支えるため、西ドイツの炭鉱への出稼ぎや、ベトナム戦争で民間技術者として働くなど、幾度となく生死の瀬戸際に立たされる。しかし彼は家族のために、いつも必死に笑顔で激動の時代を生き抜いた。
「今からお前が家長だ。家族を守ってくれ。いつか国際市場で逢おう」
それが最後に交わした父との約束。泣きたくなっても、絶対にひとりでは泣かないで。いつも側には、家族がいるから――。    

  今でこそ韓国は先進国の一員で、一方の北朝鮮は国民が食うや食わずの破綻国家というイメージだが、1960年代までは北の方が豊かだったのだ(だから日本からの帰還者も韓国でなく北へ帰った!)。70年代になってやっと韓国は北と同じ経済水準に達する。それを支えたのが、この映画の主人公である「ドクス」世代の人々なのである。

 

 妹の〈マクスン〉そして父と別れることになる朝鮮戦争(6・25/ユギオという)。見失った妹を探しに行く際、父は死を覚悟してか、わずか十歳ばかりの長男であるドクスに向かってこう言う、

「よく聞くんだ、俺がいなければ、お前が家長だ。家長はどんな時も家族が優先だ。今からお前が家長だ。家族を守れ。」

 この言葉はこれ以後、ドクスの人生を決定づけるものとなる。

 

 ソウル大学に入った優秀な弟〈スンギュ〉の学費を工面するために、ドクスはやったこともない炭鉱夫に志願し労働力不足だった西ドイツへ派遣され、そこで落盤事故に遭って死にかける。そのとき彼を救ったのが、おなじく韓国からドイツに来ていた派独看護婦だったヨンジャだった。彼女は、まだドクスらが救出されず閉じ込めらている坑道へ行きたいと、制止するドイツ人の管理者に詰め寄る、

  ヨンジャ「まだ、中に人が・・・」

  管理者 「ガスが抜けるまで立ち入り禁止だ!」

  ヨンジャ「残された人は死ねと?会社のために命懸けで働いたのに…地下に閉じ込められた人たちは、貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人よ、救けに行かせて!」

  管理者 「無理だ!生きている保証も・・・」

  ヨンジャ「言葉に気をつけなさい!!たとえ死んでも、仲間の前で死ぬ!」

 ヨンジャの言葉に奮い立ったドクスの同僚たちが、防護冊を蹴破って救助に向かう。

〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人〉はヨンジャ自身でもある。彼女たちもまたドイツ人が嫌がる死体拭きの仕事などをしていた。韓国から西ドイツに派遣された鉱夫、看護師たちの給料を担保に政府は融資を受けていたのだという。

 しかしその後、豊かになった韓国で育った現代の子供たちは、そのことを忘れてしまったようだ。作品中でも釜山の高校生とおぼしき一団が、コーヒーを飲んでいるスリランカ人カップルをひやかす場面がある。「一人前にコーヒー?笑っちゃう。怠け者の国は貧乏で当然。」「あいつらがコーヒー飲める立場か?貧乏な国から出稼ぎに来て!」

 それをたまたま耳にした現在の年老いたドクスは激昂する。(ドクスもドイツで同じ目にあっていたのだ。ー「出稼ぎに来てるんなら仕事しろよな、コーヒーなんか飲みやがって」「あいつら韓国人カップルのようだな、何をしてやがるんだキムチでも食ってろよ!」ー)

「何を飲もうと自由だろ!貴様が口出しするな!出稼ぎに来た奴はコーヒーも飲めんのか!!」 かつて〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな韓国人〉だったドクスの怒りも、もっともだ。当然、これは韓国だけの話ではない。日本はどうか?同じくかつて〈貧困の中、遠い国まで出稼ぎに来た哀れな〉日本人はどうなのか?出稼ぎに来ている外国人に対して日本人はどんな態度なのか?

 ドイツからの帰国後、ドクスとヨンジャは結婚する。しかし苦労は終わらない。

一番下の妹の〈クッスン〉が結婚式を挙げたいという。また叔母も亡くなり〈コップンの店〉も売りに出されるという。ドクスにとってその店はただの店ではない、生き別れた父と落ち合うはずの「約束の地」であったから。彼は自分でその店を買い取ることにする。その費用も捻出しなければならない。ドクスはベトナム行きを決意するが、ヨンジャは猛反対する。

 ドクス 「長男や家長は家族を養う責任がある」

 ヨンジャ「もう十分でしょう、まだ足りないの?いつもあなただけが犠牲に」

 ドクス 「やめろ!・・・女は黙ってろ!俺も好きで行くわけじゃない、これが俺の運命なんだ!仕方ないだろう!」

 ヨンジャ「運命ですって?これからは自分のために生きてちょうだい!あなたの人生でしょう、主役は誰なの?」 

 ドクスのいう運命とは、あの父親の最後の言葉「家族を守れ」によって方向づけられたものだ。しかし父親の言葉だけではないだろう、自分が妹のマクスンの手を放してしまったという負い目が彼に過酷な運命を受け入れさせている。それは一種の自己処罰の感覚とも言えるだろう。

 反対を押し切ってベトナムへ軍人ではなく、民間人技術者として赴く。そしてベトナムで彼はまた、死にかける。自爆テロでふっ飛ばされながら、妻ヨンジャへの手紙の中身を回想する、

『・・・僕は思うんだ、つらい時代に生まれ、この苦しみを味わったのが子供たちじゃなく僕たちで本当に良かったと…。ヨンジャ、こう考えてみないか、あの悲惨な朝鮮戦争を僕らの子供が体験したら?ドイツのあの地獄のような作業場で僕らの子が働いたら?ベトナム、この戦場に子供たちが出稼ぎに来たとしたら…?何も起こらないことがもちろん一番いいだろう、でも、その苦痛を味わったのが子供たちでなく僕たちで本当によかったと思う。』

  歴史というのは残酷なものだとつくづく思う。すこしの時間差で、天国と地獄の違いだ。それは、韓国も日本も同じだろう。僕らが生まれ育った時代は、高度成長期にバブル経済だった、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だった。その少し前は、安保運動だったし、その前は戦後の物のない時代、そして戦争の時代。たまたまその時代に生まれなかっただけなのに、えらい違いだ。愕然とする。自分が、戦時中に生まれたなら、果たしてドクスのように考えられたか? 思考実験だけではよくわからないが、実際に戦争を体験したいとは全く思わない。それに最近の「場合によっては戦争もするぞ」的な空気は警戒感を持ってる。のど元過ぎれば熱さ忘れる、とはよくいったものだ。戦争体験者が少なくなると、途端に勇ましい輩が跋扈する。歴史が繰り返されるわけだとヘンに納得する。どれだけの犠牲の上に今の日本があるのか、もう一度、先人たちの生き方(そして死に様)に思いを致すべきだと思う。

 映画は戦後韓国の(政治ではなく)風俗をなぞる。離散家族の公開捜査で生き別れた妹のマクスンが見つかる。これでドクスの一つの重荷がとれたわけだ、しかし父親の行方は知れないままだ。

 終わりの、死んだドクスの母親の法事の場面は印象的だ。子供や孫たちは居間で宴会気分で飲み食い、そして歌ってる。ひとり自分の部屋へ引っ込んだ今や老人となったドクスが父親の写真に語りかける、

 「父さん、約束は果たしたよ。マクスンも見つけた。十分頑張っただろう。でも…本当に、つらかった・・・」子供が親の犠牲になるのは当然であった過去と、親が子供のために犠牲になるのが当たり前になった現在と、そのはざまで価値観のしわ寄せを一身にひき受けた世代が、高度成長期に働き手であった世代なのだ。

 ベランダから外へ出たカメラが、ドクスの部屋と子供・孫たちの居間を一緒に写す。

そこには、現在と過去が同時に映し出されている。〈貧しかった昔〉と〈豊かな今〉が。それは明らかに矛盾である。逆に言えば、矛盾を解消するために時間・歴史が存在してるようにさえ思える。しかし、人間の記憶には、それら矛盾するものが同時に存在できるのも、また事実なのだ。

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(12・結)

 まとめと感想

 

 「世界史の構造」について書き始めたのが、4月の中頃。

8月ギリギリの前回でやっと終わって約4ヶ月・・・

最初のほうはもう忘れかけてる・・・・・ ので、ここで他のことは忘れてもこのことは忘れないでください!という論点を、備忘録として記しておくことにします。

 

①:国家と資本を一体としてとらえなければならない!!

 これは言い換えると、政治と経済を同時に視野に入れて思考せよ、ということです。伝統的マルクス主義者は、国家を軽く見ていた、それを経済の従属物のように捉えていた。ゆえに社会主義国家はナショナリズムの陥穽に捕まることになった。この事と関連して、

②:生産過程ではなく流通過程で闘え!!

 これもまた、マルクス主義者の失敗の反省から導かれた結論である。従来の労働者の資本との闘争が、生産過程すなわち労働組合運動に偏っていたことへの反省。むしろ流通過程、消費者=生産者協同組合で闘え、という示唆。労働は強制できても、消費は強制できない。

③:国は内側から見れば、「政府」に見えるが、外部から見れば「国家」に見える

 市民革命後の国民国家は内側から見れば、個々人の社会契約によって作られた「政府」のように見える。しかし、その政府も外部から見れば、侵略もするし、戦争もする立派な「国家」なのである。ゆえにボトムアップ式のゆるやかな民主主義を唱える者は、国を単純に内側からしか見ていない。外から見ればそれは何をするのか分からない危険な存在者なのだ。この外側から見るということは、世界共和国の実現にとっても大事な視点である!

④:「自由」と「平等」なら、「自由」を優先せよ!!

 平等を優先すると、再分配機能を高めなければならなくなり、そのことは必然的に国家を強化してしまう。また優先される「自由」は、己だけのものであってはならない。自分が自由であることが、他者を手段とすることで達成されてはならない。自由は相互性(互酬性)を持たなければならない。

⑤:株式会社を協同組合化せよ!!

 これは、チョー具体的な提案である。協同組合は産業資本制の競争下では生き残れない事を見越した提案。流通過程での闘いの一環ともいえる。

⑥:世界政府ではなく諸国家連邦を!!

 世界政府とは、結局覇権国家のことである。覇権国家の軍事力の下での平和は、永遠平和とは言えない。

⑦:国連の改革と各国での対抗運動を同時並行せよ!!

 国連トランスナショナルな部分を、軍事、経済の部分に拡大させること、それと共に各国内部で、協同組合、地域通貨などの非資本主義的な経済圏を創ること。この2つが揃わなければ、世界共和国、諸国家連邦は実現できない。

 

 まあ、他にもいろいろあると思うが、とりあえず私が大事だと思った論点を列挙してみた。

 

 この本を読みながらいろいろ考えさせられた。

政府と国家の区別はなるほどと思った。我々は「政府」を批判したり、政権交代させることもできるので、それを何か「自分たちのもの」という感覚で接している。いや、そういう感覚すらないかもしれない。しかし、外国との諍いが起こったらどうだろう?例えば尖閣諸島で中国との間に、いざこざが発生したら?我々はその時、自分たちの政府が「国家」として立ち現われるのを目の当たりにするだろう。「国家」はもはや国民の意志とは乖離した、独立した存在者となっている。それは相手も同じことである。国家は国家と対峙する。そのとき、ナショナリズムの何たるかを知ることになる。

 それから、読みながら、坂口恭平が同じことを書いてたなと思っていた。『独立国家の作り方』で彼は「態度経済」について次のように述べている「そうやって経済について考えて行った結果、見えてきたのは、経済自体にもレイヤーが存在することである。そして、今、僕たちが信じこんでしまっている貨幣経済というものは、それらの経済の一つにすぎないということだ。…」(P103) ここで坂口がいうレイヤー(層)は、柄谷の交換様式A,B、C、Dのことに近い。各交換様式は、同時並行的に存在する。ただそのなかのどの様式が支配的になっているかでその時代が特徴づけられる。現在は、坂口が言うように貨幣経済が、つまり交換様式Cがドミナントになっているのだ。しかし、同時に交換様式AもBも存在してるのである。かれが唱える「態度経済」は、交換様式Aではないか?それを現在の資本制下で復活させようとするならば、ひょっとすると交換様式Dかもしれない。彼がヒントを得た、ホームレスとは、いったん共同体から離れた人々であるから、ますます交換様式Dの条件に合致してくる。

 現在の経済体制の下にも複数の経済が共存している、それは間違いない。ヒントはいくらでもあるだろう、シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」、ノイラートの「実物経済」、地域通貨LETS」「Q」、自主管理労組、参与型経済などなど、勿論、Bライフもその中に入れられるべき可能性の一つにはちがいない。

 

 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(11)

 世界共和国へ

 

 (ⅰ)資本と国家への対抗運動

 これまでの資本との闘争には二つの欠陥があったと、柄谷は指摘する。

 

 ① 資本を国家によって抑えようとしたが、それはむしろ国家を強化するだけであった。

 ➁ 闘争の場が、生産過程に偏っていた。

 

 ①はそのまま20世紀の社会主義国が辿った足跡を見れば一目瞭然だろう。少数の例外を除いて、社会主義国は堅牢な国家主義によって武装してしまった。

 ②について、19世紀の社会主義運動はオーウェンプルードンのように、むしろ流通過程を重視したものであった。それが1871年のパリコミューンの敗北以来、生産過程中心の社会主義運動に転化していってしまった。しかし生産過程にもとづく運動(労働組合)はどうしても困難に直面してしまう。労働組合運動が、苛烈な政治闘争の末合法化されると、それは単なる賃金や労働条件闘争という経済的なものに限定されるようになる。その時点で「賃労働そのものの廃棄」という革命運動は忘れ去られてしまう。これに対して、レーニンは「外部注入論」などで対抗しようとしたが、そもそもの「階級闘争」という概念が、交換様式Cが優勢な産業資本社会では機能しなくなっているので、通用しないのだ。では、どうすればいいのか?

 それは資本と労働者の接点を見ればわかる。その接点は柄谷によると3つある。

 ① 労働者が、労働力を(資本に)売る場面

 ➁(労働者が)雇用されて労働する時

 ③ 労働者が自ら生産したものを、消費者として買う時

 これまでは➁の場面で対抗運動を展開してきたが、その地点では、外国資本との競争によって会社が倒産しないようにするために、労働者と資本は同じ立場に立ちやすくなってしまう。ゆえに異なる場面で運動を展開しなければならない。そこが、③の場面である。

『労働者は個々の生産過程では隷属するとしても、消費者としてはそうではない。流通過程においては、逆に、資本は消費者としての労働者に対して「隷属関係」におかれる。とすれば、労働者が資本に対抗するとき、それが困難であるような場所ではなく、資本に対して労働者が優位にあるような場所でおこなえばよい。』(P438)

『働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力はないからだ。流通過程におけるプロレタリアの闘争とは、いわばボイコットである。そして、そのような非暴力で合法的な闘争に対しては、資本は対抗できないのである。』(P440)

  流通過程における資本への対抗は、商品を買わないことと、労働力商品を売らないことである。しかし、この2つのボイコットが可能になるためには、消費者=生産者協同組合や地域通貨・信用システムなどの非資本制的な経済圏を作っておかなければならないことを、柄谷は付け加えることを忘れてはいない。

 

 柄谷は、資本は必ず国家と一緒に考えられねばならない、と本書で執拗に繰り返している。であるならば、資本への対抗運動は同時に国家への対抗運動でなければならない。

 資本主義経済は海外との交易で成ったている。一国における、資本主義の放棄は他国に影響をもたらすのは明らかである。資本=国家の揚棄は必ず外国の干渉や制裁を受けずにはいない。であるから、社会主義革命は一国革命ではなく、「世界同時革命」でなければならなかったのだ。では、その世界同時革命は可能なのか?過去を振り返ってみよう。第一インターナショナルは、マルクス派とバクーニン派の対立で破綻した。第二インターナショナルは、一次世界大戦勃発による各国支部のナショナリズムへの傾倒によって瓦解した。第三インターナショナルは、ソ連共産党の傀儡であり、各国の共産党労働組合ソ連のそれらに従属したに過ぎない。第四インターナショナルは単に無力である。毛沢東による第三世界の革命も、イスラム圏、中国、インドなどの多数の広域国家に分解されただけに終わった。

トランスナショナルな運動は、いかに緊密に連携していても、国家間の対立によって分断されてしまうことになる』(P446)

 しかし、柄谷は、「世界同時革命」のヴィジョンを決してあきらめない。そこで、担ぎ出されたのが、カントである!

 

 (ⅱ)永遠平和と世界共和国

 

 カントは一国内だけで「完全な意味での公民的組織」を設定するするとき、諸外国の干渉を受けざるを得ないと考えた。それを避けるために「諸国家連邦」を構想した。しかし、カントは外国の干渉を避けるためだけに、それを考えたわけではなかった。「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳律が実現された社会を、カントは「目的の国」と呼んだ。それは一国だけでは考えられない。何故なら、自国における完全な公民組織の実現が、他国を単に手段として扱う(収奪)ことによって成立することであってはならないからである。

『ゆえに、「目的の国」が実現されるとき、それは必然的に「世界共和国」でなければならない。』(P449) 

 そうでなければ、革命は、ナポレオン戦争のように世界戦争を引き起こすだけになってしまうだろう。

 このようなカントの「諸国家連邦」の構想を、ヘーゲルは、諸国家連邦では、国際法に対する違反を咎めるすべがない理想論だと批判した。ヘーゲルでは、諸国家を束ねる覇権国家がなければそれは不可能だということになる。しかし、カントは決して単なるナイーブな「理想家」ではないと柄谷は言う。むしろカントにはヘーゲルのリアリズム以上の残酷な「リアリズム」があると。

 カントは、覇権国家なしにどうやって諸国家連合を可能ならしめるのか?

それは人間の持つ「反社会的社会性によってであると。「反社会的的社会性」とは、すなわち戦争をしでかす人間の能力のことである。国家間戦争による膨大な死者・損害を目の当たりにすることによって、人間は国家を越えた組織を創り出そうとするようになったというのだ。確かに実際の歴史を見ればそうである。一次世界大戦後に国際連盟ができ、二次大戦後には国際連合が形成された。それは人間の理性が生んだというよりも、確かに人間の反社会的社会性が齎したものだといえる。

 

 (ⅲ)世界システムとしての諸国家連邦

 

 国連は人類の大変な犠牲の上に成立したシステムであり、たとえ不完全でも、それを活用しない手はないと柄谷は言う。

 現在の国連は、①軍事に関する領域、②経済に関する領域,③医療・文化・環境等に関する領域の3つの部分からなっている。

 柄谷は、①と②を、③のようなネーションをこえたシステムにするべきだと提案する。国連を新たな世界システムにするためには、各国における国家と資本への対抗運動が不可欠である。各国の変化のみが国連を変えるのである。と同時に、逆のことがいえる。国連の改革こそが、各国の対抗運動の連合を可能にする、と。』(P464)

世界同時革命は通常、各国の対抗運動を一斉におこなう蜂起のイメージで語られる。しかし、それはありえないし、ある必要もない。国連を軸にするかぎり、各国におけるどんな対抗運動も、知らぬ間に他と結びつき、漸進的な世界同時的な革命運動として存在することになる。』(P469)

  各国での対抗運動がなければ、国連が無視され、世界戦争が起こる。しかしその世界戦争は、カントによれば、また次のより高度な諸国家連邦を創ることになる。

 諸国家連邦がその第一歩となる「世界共和国」の実現は、容易ではない。しかし、人間が存在する限り、人間と人間の交換関係は存続する。交換様式A,B,C,が存在する限り、交換様式Dもまた執拗に存在するのだ。