~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(5)

今回は、前回「世界貨幣」の続きです。

 

 Ⅲ:貨幣から資本へ 

 

 商品世界の社会契約によって、一つの商品が一般的等価物として浮上してくる。それは歴史的な経緯として金や銀などの貴金属に固定され、貨幣形態を完成させる。

 こうして誕生した貨幣は、商品交換にまつわるそれまでの困難を取り除くこととなる。しかしこのことは貨幣を持つ者と、商品しか持たない者の間に著しい非対称性をもたらす。『商品は売れるかどうかわからないし、しかも売れないならば価値がない。しかるに、貨幣を持つ者はいつでも商品と交換できる。すなわち、直接交換可能性の権利がある。貨幣をもつことは、いつでもどこでもいかなるものとも直接的に交換しうるという「社会的質権」をもつことなのである。』(P140)

 貨幣と商品の非対称性は、それを所有する人々の関係に投影される。貨幣を持つ者は、自分の好きな商品を買う(貨幣と交換する)ことが可能だが、商品を持つ者はそうはいかない。議論を先取りするならば、産業社会において「労働力」という商品しか持たない者が貨幣所有者に支配されるのは、この非対称性が原因なのである!。

 貨幣がこのような「」をもつこと、その「」を蓄積しようとすること、それが資本の起源であると柄谷は言う。

『だが、いったん貨幣が成立すると、ある転倒が生じる。貨幣がもはやたんなる商品交換の手段ではなく、商品といつでも交換できる「力」である以上、貨幣を求め蓄積しようとする欲望とそのための活動が生じるのだ。それが資本の起源なのだ。』(P141)

 この蓄積の仕方には2種類ある、「守銭奴」と「資本家」である。前者は質権を蓄積するために、使用価値を断念し、ひたすら貨幣を退蔵する。あたかも貨幣を神と崇める宗教信者のごとくに。一方、後者は前者よりも合理的である。彼は手にした貨幣を退蔵することなく再び流通過程へと投入する、つまり商品を買ってそれを売るというリスクをあえて犯す〈M(貨幣)→C(商品)→M'(貨幣)〉。M→C(買うこと)は簡単だが、C→M'(売ること)は難しい。商品が売れることの困難さを、マルクスは「命がけの飛躍」と形容している。

 この命がけの行為のリスクを和らげるのが「信用」である。実際売れていなくても、将来売れるだろうということを先取りして、後に決済する仕組みを考えたのだ。この信用制度が資本運動の回転を加速し永続化するである。

 「信用」という概念は取引当事者の共同性の観念に支えられている。それは贈与が返礼を強制するように、互酬の原理が信用の起源にあり、国家がその不履行を罰することにより信用はより強固なものとなる。このように信用には、交換様式A、Bが深く関わっているのである。

 貨幣と信用によって、商品交換は空間と時間を越えるようになる。空間の拡大は商人の活躍を可能にし、商人資本を生みだす。時間の拡大は高利貸し資本を生み出す。将来儲かることが確実ならば、金を借りてでも投資するからだ。そこに利子生み資本(M→M')が発生する。

 

 ⅳ:資本と国家

 

 商人があげる利益は「安く買って高く売る」ことによって得られる。しかしこれは不当な利得ではないと柄谷は言う。商人たちは現地(インド、中国)の価値体系内の適正な価格で仕入れ、ヨーロッパの価値体系内の適正な価格で売る。各々の価値体系内では、ちゃんと等価交換されていると。ただ遠隔地ゆえ、航海の危険や売れないリスクが価格に上乗せされているだけであり、それらは決してアンフェアーでなく正当な報酬であると述べている。

 ここで再び国家の役割が重視される。実際、遠隔地交易ができるのは軍事力をもつ国家しかない。「国家の軍事力なしには遠隔地交易はありえない。むろん、商団自体が武装すれば可能であるが、その場合、それはすでに小国家である。」(p148)

 また国家は交易による利益を独占するために、私的な交易を禁止したり、税を取り立てて管理下におこうとする。そればかりか、私的な交易や投資によって利益を上げる商人や金貸しは蔑視され、「不正義」という道徳的な非難を浴びるようになる。

 一方、古代ギリシアには国家・官僚による交易や市場の管理がなく、市場によって価格が調節されていた。官僚ではなく市場に価格決定をまかせていたことがギリシアに民主制をもたらした、とポランニーは考えた。しかしその民主制は部分的なものであって、支配的なものではなかった。ギリシアには戦士=農民というエートスが強くあって、商業は外国人や寄留外国人が担っていた。ギリシア人自体は商工業を軽蔑していたからである。

 

 まとめ

 

1:商品交換は国家によって支えられるが、同時に、商品交換が生み出した「貨幣の力」によって国家を支える。

2:「主権者」と「貨幣」は同じような社会契約的プロセスによって確立された。

3:貨幣と商品には非対称性があり、その非対称性は所有者の社会的関係に直接影響する。

4:貨幣と信用によって、商品交換は時間的・空間的に拡大される。 

 

           次回(普遍宗教)につづく

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(4)

 

 前回は、交換様式Bが支配的だった国家の起源及びその力の分析をやったが、今回はいよいよ交換様式Cに触れる。交換様式Cは現在の資本主義社会が基づくもので、その分析は現代社会について大いに示唆を与えるものとなる。

 

 ① 世界貨幣  

 

 Ⅰ:貨幣と国家

 第一回目にも書いて注意を促したが、交換様式A,B,Cは時系列と見做してはならない。それらは同時に、並存しうるのである。商品交換(交換様式C)は太古の昔から存在していたが、それは贈与(交換様式A)に付随する形であったため、見過ごされて存在しないように思われてきた。また、交換様式Bに基づく国家の形成は、「所有権」という商品交換の前提を確立させる。国家の権力・法の下で、私的所有が認められ保護され、それによって初めて「商品」の交換が可能になるのだ。それまでは「献上品・上納品」や「現物交換」はあっても「商品」は存在しなかった。あともう一つ「信用」も国家の後ろ盾があって成立すると柄谷は言う。

「商品交換は共同体や国家によって支えられて存在する。」(P124)

このように交換様式A,B,C,は互いに連動しているのである。

 交換様式Cは、国家によって存在が可能となったわけであるが、しかし同時に国家を存続させるのに欠くことのできないものとなる。それが「貨幣の力」である。貨幣の力によって国家は、人を恐怖ではなく、自発的な契約によって従属させることができるようになるのだ。

 

 Ⅱ:貨幣形態の起源

 次に柄谷は、上記のような力を持つ「貨幣」がいかにして誕生したかを問う。まず、彼は労働価値説を批判する「各商品にあらかじめ価値は内在していない。それは売買(貨幣との交換)がなされたのちに、はじめて存在するといえるのだ。生産物は売れなければ、いかにその生産のために労働が費やされていても、価値をもたないし、のみならず、使用価値さえもたない。つまり、たんに廃棄される。」(P127) 

 では商品はどうやって価値を持つのか?それは他の商品と等置されるとき、他の商品群との関係の中に置かれるときはじめて価値をもつのだという。この考え方はマルクス「価値形態論」に由来しており、処女作『マルクスその可能性の中心』からずっと引き継いだものである。

 具体的に説明しよう。

 亜麻布20エレ=上着1着 

 亜麻布の価値は、上着の使用価値で表現されている。ここで亜麻布は、相対的価値形態であり、上着は等価形態であるといわれる。相対的価値形態は、その価値を一方的に表現され、等価形態は、逆に価値を表現する、と解される。

この等式(単純な価値形態)は、更に一般化・社会化されて

 亜麻布20エレ=上着1着

        =茶10ポンド

        =コーヒー40ポンド

等々と拡大される(拡大された価値形態)。

 そしてここで、突如として転倒が起こる(一般的価値形態)。

 上着1着         

 茶10ポンド                =亜麻布20エレ

 コーヒー40ポンド

 単に右辺と左辺をひっくり返しただけに見えるが、実は重大な変化が起こっているのだ。つまり、相対的価値形態が等価形態へと変化しているのである!上着、茶、コーヒーなどの商品が自ら表現することを諦めて、亜麻布へとその表現能力を譲渡する、これが原初的な貨幣形態の形である。あとは、この亜麻布が金や銀と言った貴金属に置き換われば貨幣形態が完成される。

 拡大された価値形態から一般的価値形態の移行を、柄谷は「商品世界の”社会契約”」と呼んでいる。つまり、「商品たちが、自分が貨幣であろうとする欲望あるいは権利を放棄し、それをいくつかの商品に譲渡した。それゆえ、一般的な等価形態や貨幣形態におかれた商品にのみ、購買する権利が与えられたのである。」(P131)

 この論法は、諸都市国家の契約によって、広域国家が誕生するするという前回の話と同じ構造を持っている。実際柄谷は、

マルクスが『資本論』で貨幣生成に関して述べてたことと、ホッブスが『リヴァイアサン』で主権者の出現について述べていたこととの類似は明らかである。」と書いている。ここで注意しておかなくてはいけないのは、「主権者」や「貨幣」そのものより、それが占める「場所」の方が重要であるということである。

 「場所」というより「項」と言った方が分かりやすいかもしれない。つまりF(x)の(x)のように、そこへ代入が可能な変項なのだ。「主権者」は、そこに「」を代入すれば「絶対王政」になり、「貴族」を代入すれば「貴族制」となり、「人民」を代入すれば「民主制」にもなりうる。それに気づいたのがホッブスで、彼は決して絶対王政の擁護者ではなかったと柄谷は言っている。

 これを貨幣で考えると、一般的等価形態という場所が重要で、どの商品(素材)が貨幣になるかは偶発的なことであることになる。しかし、これは論理的にいえば偶然であって、史実としてみればある種の金属が貨幣となる傾向は確かに存在する。その理由は、金や銀といった貴金属が共同体の外部でも通用する商品であるからである、だからこそ、他の共同体・国家の商品群の関係の中に組み込まれて価値尺度となれるのだ、と柄谷は説明する。

 貨幣を考える場合、対外貨幣から考えるべきなのだ。それが「世界貨幣」と言われるゆえんである。 

         (この項次回につづく)

 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(3)

 予定では2部、3部で一回づつ書くつもりでしたが内容が転倒に次ぐ転倒(ただ自分が何も知らないだけかもしれない)で、その「転倒」に躓かないようにゆっくり書くことにしました。

 

 ① 国家の起源 

 

 交換様式Aが支配的な氏族社会では、互酬による強力な平等主義によって、王や国家のような超越的な存在は抑制されていた。ならば国家はどのように誕生したのか?

 前回も紹介したように柄谷は新石器革命(農業革命ともいう)を否定し、定住革命を採った。定住の後に農業が始められたのだとした。ではその農業は何処で始まったのか?旧来それは当然農村で開始されたと思われてきたが、ここでも従来の見方を転倒させ、柄谷は(ジェーン・ジェイコブズにならって)都市で農業は始まったという。都市には人と知識と技術が集まるからだ。近代の産業革命が、国家の重商主義的な指針で主導されたように、古代の農業もまた国家の主導でなされた。つまり農業が開始された都市とは、原・国家なのである。古代の大規模な灌漑農業は、国家のような組織を抜きには考えられない。国家が形成されたのち農業が開始された、逆ではない。ここでいう農業とは、単に作物を大量に得る技術のことだけではない。むしろ、自然を支配するよりも人を組織し、支配するテクノロジーのことなのだ。

 人間を支配するテクノロジーとは、具体的に言えば「官僚制」「宗教」のことである。官僚制は、王と臣下の互酬性が否定された時に成立する。「官僚制は、人間を人格的な関係あるいは互酬的な関係から解放する。」(p90) また支配される人々が強制的に使役されているのではなく、あたかも自発的な労働であるかのように思わせるように、宗教が利用されるという。そもそも狩猟採集社会の人間は短時間しか労働しない。そのような人間に長時間労働させるにはディシプリンが必要になる。それを担うのがアニミズムではない「宗教」なのであるである。外面的には官僚制が、内面的には宗教が人をコントロールするのである。(このほかに「法」や「思想」も動員される。)

 

 

 ② 互酬から支配・再分配へ 

     交換様式Aから交換様式Bへ

 

 氏族社会では交換様式Aが支配的であった、では国家が誕生したとき交換様式はどのように変化するのか?

 柄谷は、国家は都市として始まると言った。いわゆる都市国家というものである。ティグリス=ユーフラテス河沿いに繁栄した古代シュメールの都市国家を思い浮かべればいい。都市国家間にも交易があり、戦争がある。しかしそれらはもはや氏族社会のような互酬性に回収されないものを持つようになる。

 都市国家は絶えざる戦争の危機にみまわれる。それはホッブスが想定した自然状態「万人の万人に対する闘争」に似ていると柄谷はいう。ホッブスの自然状態は個人間を想定したものであったが、それと類似なものが共同体間に対しても成り立つと考える。つまり、個々人の持つ自然権をただ一人の主権者に委ね契約をかわすように、個々の都市国家が一つの都市国家に支配を委ねるようになると。勿論それは「恐怖に強要された契約」である。ホッブスは恐怖によって強要された契約も有効であるとみなした。ここで柄谷は「契約」とは「交換」であるとする。つまり、服従を与えるかわりに生命・安全を得るという交換関係をホッブスは見つけたのだと。都市国家間の〈契約〉によって広域国家が出来れば、あとは略奪ではなく納税という形で継続的に略奪できるようになる。また征服者は、略奪だけでなくそれを大規模な灌漑や神殿建築などの公共事業によって、再分配するようになる。

 

 

③ アジア的専制国家

 

 エジプトやアッシリアなどの古代の専制国家は、ギリシャ都市国家ローマ帝国に比べて原始的だと見做されてきたがこれも間違っていると柄谷は指摘する。ギリシャ・ローマには市民の間に互酬原理が強く残存しており、集権的な官僚制度をを作ることができなかった。ローマが帝国に成れたのは、アジア的専制国家のシステムを模倣したからであるとしている。

 アジアの専制国家は、支配者が中間者たる貴族たちを制圧し、自ら祭祀をつかさどった。つまり互酬関係を断ち切って新たな交換関係をスタートさせたのである。これはヨーロッパでは絶対主義体制が確立するまではなされなかったことなである。

 

 まとめ 

 

1:国家は都市として誕生した。そこでは人を支配するテクノロジーが生まれた。

2:諸都市国家は、一種の社会契約(という交換関係)を経て広域国家を形成した。

3:アジア的専制国家は、支配の原始的な形態でなくすでに完成された形態である。

 

         次回につづく 

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(2)

(2)ミニ世界システム 

 

 ミニ世界システムとは氏族社会のことで、この用語はチェースダン(Christopher Chase-Dunn)の世界システム論に由来している。ウォーラーステインは、国家形成以前の世界をシステムと見做さなかったが、チェースダンはそれも世界システムの一つに分類した。

 氏族社会は、柄谷にとって重要である。それは交換様式Dに基づく世界共和国が、資本主義社会の中で、交換様式Aを想像的に回復させることによって可能になるからだ。

 「…氏族社会はたんなる”未開”ではなく、われわれに或る未来の可能性を開示するものとなる。」

  

 ① 《定住革命》

 

 柄谷は農業・牧畜が始まって後に、人々が定住をし、生産力の向上とともに階級が生まれ、国家が誕生したという従来の見方(『新石器革命』)を否定する。農業・牧畜は定住に先立たれねばならないと考える。農業は採集の拡大であり、牧畜は狩猟の延長にあるとする。人類の社会に大きなインパクトを与えたのは「定住」なのであると。柄谷はこれを西田正規にならって《定住革命》と呼ぶ。 

 では何故、人は定住するようになったのか?この点を考える際に、人というものはそもそも条件に恵まれれば定住するものだという偏見を取り除かなければならない、と柄谷は注意する。「定住」はそれ以前に問題にならなかった不都合に直面させるからだ。例えば、集団内・外の対人的な葛藤や対立を深刻化させる。又、死者と共に生きることを強制するようになる。これらは漂泊生活ならば移動すれば済む問題であったが、定住するとそうはいかなくなる。このような困難にみまわれるにもかかわらず定住の道を選んだのは「気候変動」のためだと柄谷は言う。氷河期後の温暖化で大型獣が姿を消し、森林化によって植生が変化して採れる植物の季節変動が大きくなって採集生活に支障をきたすようになった。それで彼らは「漁業」に目をむけるようになった。漁具が大きく持ち運びできず彼らは河の近くに定住するようになった、それが古代文明が河のほとりで誕生した理由であると。その後農業は定住した河の後背地で始められたと柄谷は考えている。

 急に「気候変動」などと実証的な説明を始めるから面食らうが、〈漂泊→農業→定住〉よりも〈漂泊→定住→農業〉の方がしっくりくる。人に定住志向があるというのは現在の私たちの暮らしぶりを絶対的な基準にした憶断かもしれない。

  

 

 ② 贈与と呪術

 

 氏族集団はけっして孤立的で自足的な存在ではない。氏族は自分たちで調達できない有用品などを、他の氏族から得たいと思っている。この場合、方法は二種類ある、交易と戦争である。

 交易は氏族間の関係が良い場合に起きる。この良好な関係をもたらすのが贈与である。「クラ交易」のように”ヴァイグア”贈与が既存していた部族連合の紐帯を再確認、再活性化するようなケースもあるし、「沈黙交易」のように未知の部族間で起こるケースもある。

 関係が良好でない場合は戦争・略奪となる。しかし柄谷は、戦争も互酬の一形態だと考えている。この段階の戦争は相手を従属させるのが目的ではなく,自らの「威信」のために為されるので止めどなく行われる。相手を殲滅さえさせる。それは、この戦争を禁止するような上位の集団が存在しないために起こるのだと。

 「…互酬は、そのポジティブな性質(友好)によって国家の形成を妨げるだけではない。むしろ、ネガティブな性質(戦争)によって、国家の形成を妨げる。それは、権力の集中、上位レベルの形成を妨げる。…」(P59)

 クラ交易の紐帯活性化のように、贈与は力を生み出す。ではその「力」の淵源は一体なんなのか?

マルセル・モースは「ハウ」のような宗教的観念で説明したが、それはむしろ逆だと柄谷は言う。

互酬(相互の贈与)を呪術によって説明するのではなく、呪術を互酬によって説明すべきであると。

「呪術とは、自然ないし人を、贈与(供儀)によって支配し操作しようとすることである。」(p79)

 呪術師は、自然の持っている「アニマ」を贈与によって脱霊化し、単なる〈それ〉(もの)へと変えてしまう。その意味で呪術師こそ最初の科学者なのだ。

 

 

 まとめ

1:農業から定住が始まったのではなく、定住から農業が始まった。

2:互酬は、交換の力によって、王や国家のような超越的審級の存立を阻止する。

3:呪術師は、自然を脱霊化した最初の科学者である。 

  

 注:引用は単行本の『世界史の構造』からです。

                                               次回につづく

柄谷行人『世界史の構造』を読んだ ー(1)

 

『世界史の構造』はこれまでの柄谷行人の著作の中で、私にとって一番読み易かった。若い頃、すなわち文芸評論家と称していた時分の柄谷の文章は韜晦めいて非常に分かりにくかった。その理由は柄谷が、自分の考えを直接書くのではなく、テクストに語らせようとしていたことにある。 それに対して『世界史の構造』は、《哲学者》として自分の思想を直接的(テクストに縛られず)に、明晰に、かつ体系的に書かれてあるので、比較的厚い本であるにもかかわらず、理解しやすかった。

 

  

 この本の内容を一文でまとめるならば、現代社会は、資本=ネーション=国家が一体となった精緻なシステムによって支配されているので、それを超えるためには世界共和国を実現しなければならない。」というものになるだろう。これだけでは何か凡庸で、月並みな、往時の革命志願者の戯言と見えるだろう。確かにそうだと私も思う所があるが、その結論へと至るプロセスがなかなかスリリングでおもしろいのである。ただ感想を書くだけではもったいない細部を持った本なので、何回かに分けて内容を紹介していきたいと思う。

 

 (1)交換様式論 

 柄谷は社会構成体の変遷を、支配的な交換様式の交代劇としてとらえている。なぜ交換様式なのか? マルクス史的唯物論は世界史を「生産力」と「生産諸関係」の矛盾とその止揚とみなした。すなわち「生産」の観点から歴史を解釈したのである。この観点を柄谷は問題視した。「生産」から見る限り原始的な社会構成体の現象、「共同寄託」や「互酬」を説明できないと。それらは生産以前の現象であって、それを事後的に「家庭的生産様式」などといって説明しようとするのは、資本制社会の概念を無理やり原始の時代に投射するものだと批判した。また「生産力」と「生産諸関係」という観点は、「下部構造」による「上部構造」の決定という図式を伴う。経済という土台が、政治、法、思想などの上部構造を拘束しているという例の公式である。この図式も、国家(という上部構造)が、単なる受動的な存在だと思わせてしまうので明瞭に誤りだと指摘している。(もちろん柄谷は、マルクスの誤謬を指弾するだけではなく、資本主義経済の仕組みを暴くためにいったん国家を括弧にいれただけだと擁護することも忘れてはいない。)国家は社会主義共産主義革命が達成されれば自動的に解消するような受動的な存在者でなく、それ自身の働きを持つ能動的な主体であると柄谷は考えているのだ。

 以上の理由によって、「生産」概念よりも「交換」による方が分析に適しているのだとする。交換は、原始時代も通用するし、それは「政治」や「道徳」までも説明可能だと。

 「交換」は「力」を生成する。例えば「贈与」である。贈与は贈られた方に、「返礼」の圧力を生み出す。卑近な例では、メールをもらうと返信しなければと思ってしまう。これは交換が力と関係してるからである。交換が生み出す力にはいくつかの種類がある。それは「掟」「国家の法」「貨幣の力」「神の法」の4種類である。それぞれは交換の種類に対応している。以下わかりやすくするために表にしておく。

交換様式A

   互酬

    掟

 氏族社会

交換様式B

  略奪と再分配

   国家の法

 世界=帝国

交換様式C

  商品交換

   貨幣の力

 世界=経済

交換様式D

    X

   神の法

 世界共和国

 

 (表中Xは商品交換が支配的な社会で互酬を想像的に回復させたものである。)

 世界=帝国とはアジア的専制国家、古典古代国家、封建国家をひっくるめたもの。

 世界=経済は資本主義的国家のことである。

 この表を見るときに注意しなければならないことが3点ある。

1:これは時系列的に見られてはならない。Aが古くCが新しいと見てはならない。

2:地理的な限定を無視しなければならない。アジア専制国家と言えば、例えばペルシャ帝国、漢などを思い浮かべるかもしれないが、それはアメリカ大陸にもロシアにもアフリカにさえもあった。

3:交換様式Dはいまだかつて実現化されたことがない様式である。よって世界共和国なるものも存在したことがない。

 

 それから一番大事な注意点だが、これらの交換様式は互いを排除しない。複数の交換様式が同時に並存する。しかし支配的な交換様式がその時代を最も特徴づけるのである。

 近代社会において「互酬」は「ネーション(国民)」が、「略奪と再分配」は「国家」が、「商品交換」は「資本」が担っている。よって《資本=ネーション=国家》の三位一体を分析しなければならないと、柄谷は主張するのである。 

                                          

                                                                                次回につづく

よく聴くK-ROCK

 日韓ワールドカップ前くらいから、韓国の音楽を聴くようになった。

おそらく最初に聴いたポップスはオムジョンファ(漢字で書くと『厳正化』!)の「リモコンとマニキュア」だったような気がする。変わった曲名なので覚えてる。当時韓国で流行ってたんだと思う。現在、オムジョンファは俳優さんとしても大活躍中だ。

 

 

 ワールドカップ共催ということで、韓国関係のTV番組も多かったように記憶してる。その辺の事情は今とはだいぶ違ってる。音楽番組で『韓ナリ』っていうのがUHF(死語!)で放送していてよく視ていた。その番組で韓国のポピュラー音楽を初めて知ったわけだ。アイドル中心だったが、たまにロック系のバンドも紹介されていた。

よくPV流されていたのが紫雨林(ジャウリム)』『ローラーコースター』『ファニーパウダー』だった。

 

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 関係ないですがちょうどその頃「PSY」がデビューしてました。扱いとしては、「踊れるデブ」みたいな感じだったような・・・

 それから『ソテジ』もよく流されてましたね。その頃はもう「ソテジワアイドゥル」じゃなくてソロでした。ソテジのPVとか視てると日本のサブカルとか好きなんだろうなと感じざるをえません。

 

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このソテジ主宰のレーベルに加入してブレイクしたのが『nell(ネル)』です。

 

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ボーカル、「キム・ジョンワン」の優しく、透明感のある歌声がいいですね。

だんだん現在に近づいてきます(笑)。

さて、一時期あまり韓国音楽を聴かない時期がありましたが(KARAや少女時代とかの人気が逆に関心を失わせた)、最近また聴くようになりました。それもPOST-ROCKというジャンル(?)です。世界的に流行ってるんで日本でもそうですし、勿論韓国でもそうです。

その中で一番最初に見つけたのが『Dear cloud』です。

きっかけは「パクチユン」の第七集アルバムに、Dear cloudのギター「ヨンリン」が参加していたからです。パクチユンは以前のアイドルから脱皮して、シンガーソングライター路線になるのかとこの時は思いました(が、最近また昔に戻ってるような…)。この曲はヨンリンが作曲しています。

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ちなみに後ろでレスポール弾いてる人がヨンリンです。

 

youtu.be

「Dear cloud」を見つけたことによって、再び韓国音楽を聴くようになったのです! ありがとうーDear cloud!!!

 

 次は『ironic HUE(アイロニックヒュー)』です。このバンドは、ユーチューブで見つけました。ギターがピンクフロイドのギルモアに似てるなと感じ好きになりました。後で知ったのですがギターの一人は女性です。

 

youtu.be

ベースの「チョ・インス」さんとは何回かツイッターでやり取りしたことがあります。

とてもいい人です。

さて長くなってきたので最後に、『비둘기우유(ピドゥルギウユ)』で終わりましょう。変わった名前は「鳩乳」と言う意味で、幻覚を起こす薬の名前からきてるそうです。ボーカル・ギターが昨春に「ハン・イエソル」さんに変わりました。まだ初々しいです。

youtu.be

 

『Dear cloud』『ironic HUE』『비둘기우유』についてはまたいつか詳しく書きたいと思います。とりあえず、紹介までに。

 

 

 

好きなギタリスト 〈アコギバージョン〉

1ヶ月ぶりです。

今日は音楽について書きます。

私は特にアコースティックギターの音が好きなのですが、

その原因を作ったのが、誰あろう、さだまさしです。

子供の頃、ちょうどニューミュージックが流行っており、

アリス、松山千春さだまさし中島みゆきユーミンetc

などが人気者だった。

これらの中でも私は、断然「さだまさし派」でした。

歌詞が良かったのも勿論ですが、まっさん(さだ氏の愛称)のギターの音が

明らかに他のミュージシャンと異なって聴こえたのです。

どう違うのか??

一言で申せば、「音が立っている」

もう少し補足すれば「音が垂直に立っている」。

さださんの強いピッキング、ミディアムゲージの弦、

それからテリー中本さんの作るギターが相まってあのような音が生まれるんだと思います。

また、大観衆相手にギター1本でステージに立つ姿も、

孤高』

と形容したくなるなるほどカッコ良かったです。

ただしレコード買う時は、洋楽のレコードを上に重ねて買ってましたが(スンマソン笑)

 

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あと、何人か好きなギタリストを紹介しましょう。

まずは「マイケル・ヘッジス」です。

彼はウインダムヒルレーベルでレコードが出てましたから結構有名だと思います。

アコギのソロを弾くということに関しては、彼を境に、「ヘッジス以前・以後」に分け

られると言われるほど影響力があった人でした。

過去形で言ったのは、もうすでに故人となっているからです。

今から19年前に、43歳の若さで事故で亡くなりました。

記事で見た時は信じられませんでした。

太く短い一生だったと思いますし、それが何か彼らしいとも思えます。

友人・知人の話では、「他人に厳しく、自分にも厳しい人」だったそうです。

音にもその感じが出てます。

ギタリストとしてすばらしですが、それ以上に作曲能力の高さで評価されています。

 

youtu.be

   

最近よく聴いているギターリストとしては、

クレイグ・ダンドレア

 

youtu.be

 

女性ギタリスト

カーキ・キング」とか聴いてます。

 

youtu.be

 

彼女は、アコギにギターシンセ付けたり、

プロジェクションマッピングしたりと

いろいろ前衛的なことに挑戦しています。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

今回はアコギヴァージョンでしたが、

次、機会があればエレキヴァージョンも書くつもりです。