~戯語感覚~

文学、思想、そしてあるいはその他諸々

『22世紀の民主主義』成田悠輔著を読んだ

 

 

いま話題の、というか、ただいま絶賛炎上中○□メガネでお茶の間を賑わしているイェール大学助教(授)の成田悠輔氏の『22世紀の民主主義』を読みました。

 


高齢者自決発言で良識ある市民や素晴らしい見識と高潔な倫理もお持ちの学者やインテリさんたちからもほぼほぼ総スカンくらっているにも関わらず、テレビでは重宝されているので、自民党や経済界の回し者の称号を拝される成田氏。

 


その成田氏の今のところ唯一の単著と言うべき『22世紀の民主主義』についてちょっとだけまとめてみました。なぜ彼はあのような暴言を吐いてしまったのか?その理由の一旦が垣間見れるかもしれません。

 


この本の構造は、主に次の4パートから成っている。

①故障・・・民主主義の現状分析・つまり民主主義劣化の分析

②闘争・・・第一処方箋、既存の民主主義を根気よく改良する

③逃走・・・第二処方箋、改良を諦め民主主義からの逃走する

④構想・・・第三処方箋、新しい民主主義・つまり無意識民主主義の提唱とその中身

 


ではまず、《故障》から

資本主義は個人の能力差を増幅し、格差を複利的に拡大させる。富める者は一層富み、貧する者は一層貧する。これを阻止・中和するのが民主主義。この二つがセットになってこそ、20世紀の先進国は成長可能になった。が、そのバランスが21世紀に崩れ始める。

暴れ馬・資本主義をなだめる民主主義という手綱・・・その躁鬱的拮抗が普通選挙普及以後のここ数十年の民主社会の模式図だった。 しかし、躁鬱のバランスが崩れてただの躁だけになりかけている。資本主義が加速する一方、民主主義が重症に見えるからだ。p.44

実際、民主主義は後退している。今世紀に入ってから非民主化専制化する方向に政治制度を変える国が増え、専制国・非民主国に住む人の方が多数派になってきている。この傾向はこの5~10年さらに加速している。

21世紀になって民主主義が経済にも悪影響を及ぼしているように見えだす。民主的な国ほど経済成長しなくなってきている。民主国家ほど経済成長する筋書きが当てはまるのは20世紀までで、この筋書きは21世紀の入り口で消えてしまった。貧しい専制国が豊かな民主国家を猛追し出した。

政治制度と経済成長の関係が根本的に変質したことになる。この意味で、民主主義の失われた20年は、20世紀には見られなかった、21世紀特有の現象である。p.50

民主主義的な国家ほど、経済成長しなくなり、コロナ禍で死亡者が増える。これは民主国家が世論に流され適切な対策を適切なタイミングでとれない、それを妨害しているのは何も分かっていない有権者たちのせいだ、という衆愚論があるが、それも実は説明になってはいない。

では、21世紀の最初の21年間の一体何が、民主国家を失速させたのだろうか? インターネットやSNSの浸透に伴って民主主義の「劣化」が起きた。閉鎖的で近視眼的になった民主国家では資本投資や輸出入などの未来と他者に開かれた経済の主電源が弱ったという構造だ。p.61

ここ20~30年の情報・コミュニケーション技術革命で、「民主主義」の中で起きる情報流通や議論・コミュニケーションが大きく変わった。政治がウェブとSNSを通じて人々の声により早く、強く反応しやすくなった。そのことで、人々を扇動し、分断するような傾向が強まった…

民主主義の劣化は印象論ではなくデータで裏付けられる。「多種多様な民主主義V-dem」プロジェクトのデータから次のような傾向が判明する。 

①政党や政治家によるポピュリスト的言動  

②政党や政治家によるヘイトスピーチ 

③政治的イデオロギーの分断(二極化) 

保護主義的政策による貿易の自由の制限

①~④のような民主主義への脅威の高まりが、もともと民主主義的な国で特に高まっている。また劣化は民主主義のみならず、経済政策にも連動していて、民主主義国家ほど貿易の成長が鈍化し、投資も伸び悩んでいる。

いくら理念が普遍的だとはいえ、今日私たちが民主主義と呼ぶものの運用は、数百年前の人々が構想した仕様に基づいている。中世の生活と技術の環境に合わせてつくられたものだ… そんなのらりくらりで誤配だらけ、人も情報も流れない世界で民主主義は作られた。p.80

問題は、情報通信環境が一変したことそのものではない。本当に問題なのは、情報通信環境が激変したにもかかわらず、選挙の設計と運用がほとんど変化できていないことだ。

生活や価値が分岐するにつれ政策論点も微細化して多様化しているのに、いまだに投票の対象はなぜか政治家・政党でしかない。個々の政策論点に細かな声を発せられない。

こうした環境下では、政治家は単純明快で極端なキャラを作るしかなくなっていく。キャラの両極としての偽善的リベラリズムと、露悪的ポピュリズムのジェットコースターで世界の政治が気絶状態である。 そして民主主義が気を失っている間に、手綱を失った資本主義が加速していく。p.84

 


《闘争》

闘争は、民主主義の現状と愚直に向かい合い、その問題と闘って呪いを解こうとする営み。どのような調整や改善が求められるか? ①有権者の脳内同期や極論化を作る(ソーシャル)メディアに介入して除染する。 ②有権者が政治家を選ぶ選挙のルールを未来と外部・他者に向かうように修正する。③選ばれた政治家が未来と外部・他者に向かって政策を行うインセンティブを作る。 更に日本のケースでは高齢者支配によるシルバー民主主義という銀鍍金が施されている。これにも対処が必要。

では、どうすれば銀メッキのかかった民主主義の呪いと闘えるのだろうか?政治家の目を余生わずかな高齢者を中心とした世論から長期的成果へと誘導したい。特定の政治家の信念や良心に頼るだけではダメだ。たとえ信念や良心の欠けた政治家でも問題を解消できるような仕組みや制度を考えたい。

その為に3つをいじる。 

①《政治家》をいじる。政治家に長期的視点を持つように、成果に応じて報酬や年金、再選保証などのインセンティブを与える。 

②《メディア》をいじる。情報成分規制やコミュニケーション税などの導入。これは表現の自由への介入にもなりうる。

一番いじり甲斐のあるのが、

 ③《選挙》をいじる。政治家に定年制や年齢上限を設ける。その他、液体民主主義、分人民主主義、二次投票など。もっと手軽に投票のUIを変えることなど。しかし一番重要なのは、選挙の再発明ではなく《選挙で何かを決めなければならない》という固定観念を忘れることである。

 


そして、《逃走》へ

凡人専制の民主主義に見切りをつけて既存の国家から離脱し、公海・海底・宇宙・メタバースに新国家を作り、タックス・ヘイブンならぬデモクラシー・ヘイブンとする。そこは民主主義の制約を受けない資本主義が政治まで拡張された国家になる。

 


次に、《構想》

この本の肝は第4章にある。ここで無意識民主主義が提唱される。 「選挙なしの民主主義は可能だし、実は望ましい。」p.120 選挙なしの民主主義の形として提案したいのは「無意識民主主義」だ。センサー民主主義やデータ民主主義、そしてアルゴリズム民主主義と言ってもいい。

これまで民意データを汲み取る手段は選挙しかなかったがそれが拡張される。インターネット監視カメラ、安眠度合心拍数腋汗量、ドーパミンセロトニンオキシトシンの分泌量など人々の意識無意識のあらゆるデータを収集する。集めたデータから各論点イシューについての意思決定を導き出す。

意思決定を導出するのは自動化機械化された意思決定アルゴリズムである。それは不眠不休で働き、多数の論点を同時並行的に処理できる。人間が関与するのは何かおかしなことが発生した場合に異議を唱え拒否する時だけである。

成田は、民主主義とはデータの変換である、と明言する。そして選挙とはデータ処理装置でありしかもそれは驚くほど雑なデータ処理装置なのである。 にもかかわらず何故それは民主主義の中核に鎮座しているのだろうか? 数百年前のデータ処理能力で可能だったのが選挙くらいの物だったからだ、という。

選挙は雑過ぎるとは、今の選挙は、その一番はじめの投票用紙で表明された意見だけを汲み取っている。民意の表情を左斜め上45度から撮っているようなもの。それとは全然違うもっとグダグダで油断した情報もまた民意の別の現れである。

無意識民主主義も直接見えない民意Xを様々なセンサーから読み取ってその平均や、アンサンブルを取る。データには歪みがあるがそれは様々なチャンネルを融合して平均を取ることでキャンセルすることができる。又平均化アンサンブル化されるアルゴリズム群は無意識民主主義に多様性をもたらす。

一般意思が練り込まれた非構造データを食べて意思決定するのが無意識民主主義アルゴリズム。このアルゴリズムのデザインもデータによって行われる。成田は民意データから目的・価値判断を見つけ出そうとする。つまり無意識民主主義=エビデンスベースの価値判断+エビデンスベースの政策立案となる。

政策論点は無数にあり、それぞれの論点に対する有権者や政治家の思いや知識は濃淡様々。それを全部まとめて数年に一度の選挙で特定の政治家や政党に託すという過度に単純化された人間依存な発想を止める。常時自動並行実行で置き換える。選択や情報処理を単純化するための政党政治家は不必要となる。

無意識民主主義(UD)では多数派と少数派のラベルは薄れる。論点や時点ごとに絶えずアルゴリズムと選択が流転していくUDでは多数派と少数派は次の瞬間ひっくり返ってしまう陽炎でしかない。「選挙で決めれば多数派が勝つに決まってる」とすれば、UDでは全ての人が局面毎に多数派であり少数派でもある。

ブラックボックス化した選挙前の民意推察によってよく分からない政策パッケージがどこからともなく降ってくるような現状に対して、UDは民意を読みながら政策パッケージをまとめ上げる前の段階をもっと可視化・明示化できる。その副産物として政党や政治家のような中間団体を削減できる。p.202

結果、生身の人間としての政治家は不要になる。 成田曰く政治家の役割とは、 ①政策を行政機構を使って実行する「調整者・実行者としての政治家」 ②政治・立法の顔になって熱狂や非難を引き受け世論のガス抜きをする「アイドル・マスコット・サンドバッグとしての政治家」

①としての政治家はアルゴリズムやソフトウェアによって代替され、②としての政治家はネコやゴキブリ、vtuberなどの仮想人に置き換えられていく。 ネコやアルゴリズムに責任が取れるのか?という疑問に対してはそもそも人間の政治家は責任取れているのか?と成田は反論している。

 


最後に我が《感想》

 


最近のトレンドとして脱中心化(decentralization)がある。暗号通貨や地域通貨は国家の通貨発行権に対する挑戦である。しかし最も由々しき中心が未だ存在する。それは《人間》そのものである。脱人間こそ究極の脱中心化である。成田悠輔のUDはまさに脱人間化された政治・民主主義のモデルだと言える。

 


ツイッターにあげたツイートを、読みにくいので、

ブログに再構成しました。これだけでもつかれた。

 

 

 

 

2021年さようなら、2022年こんにちは

デジャブのようなタイトルで申し訳ない。

まだ、体調が万全でない。

令和という年号は、私と相性悪いようだ。

いっそ改元してくれないか、コロナという災悪もあったし…

 

というわけで、昨年掲げた抱負は来年も有効のままだ。

やるとすれば、当然アナーキストである。

アジアの、そしてロシアのアナーキスト

 

加えるにサイバー空間におけるアナーキズム運動、つまり暗号叛逆(Crypto Rebels) 

も調べてみたいと思っております!!!

 

ja.wikipedia.org

 

2020年さよなら、2021年こんにちは。

2020年今年、最初にして最後のブログ更新。

令和に元号が変わってから、ずっと体調が良くない。

で、更新も停滞してしまった。

段々、回復してきてるが、まだ長時間パソコン使う元気がない。

というわけで、手短に(元気になるであろう)来年の抱負を書いておこうと思う。

ずっと気になってるのは、アナーキストについてである。とくにアジアのアナーキスト達。

ここで重要なのは、気になってるのは「アナーキスト」であって「アナーキズム」ではない、ということだ。どんな思想も最終的に人間によって担わなければならないわけで、そうなるとどんな人間がそれを担うのかが決定的に肝要となる。

金山が『アリランの歌』で、「驚くほど素敵な友人」と書き、柳田国男の良き随伴者だった橋浦泰雄が「たいへんきれいな人におおかったですね、欲がなく、相手のことを尊重し、自分だけが偉いようには思わない」と語ったアナーキストたち。

現在のアナーキストの古参の一人が、アナーキストは組織論が弱い、もっと強靭な全国規模の組織を作り上げるべきだ、というような主旨のことをツイッターに書いていたが、アナーキズムの本質を理解してないんじゃないか?と思った。強い組織?強い組織を作ってそれでどうするのか?その強い組織で、権力を奪取して独裁するつもりなのか?強い組織が権力を持つとどんなことが起こるのかは、NSDAPでもКПССでも中共でも見ればすぐわかる。それなのに、アナーキスト自身がそんなのに憧れてどうする!!この似非アナーキストめ!それならまだあのギロチン社のしょぼい復讐劇の方が清々しいわ。

 

朴烈と金子文子には、ただ単に強権と対決する、それ以上のものを感じる。

何といっても、この二人にはユーモアのセンスを感じてしまう、青筋立てて反権力を声高に叫ぶ運動家よりもっと心揺さぶられる。思想なんてものはこんな素敵な人間によって担われてこそ、永遠の力を持ち続けられるのではないか?

 

というわけで、2021年は主にアジアのアナーキストを調べてみたいと思っております。

 

 

二つの言葉  ~映画『金子文子と朴烈』観た~

 

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今から93年前の1926年の2月26日

一人の女性が、市ヶ谷刑務所の独房で次の文章を書き上げた(長いので最後の部分だけ引用する)。

 

「・・・私は朴を知って居る。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める。そして外の仲間に対しては云はふ。私は此の事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。──と。」

 

いわゆる「二十六日夜半」と題されたこの文章を書いたのは、金子文子である。

次の日の27日、大逆罪を問う大審院法廷で文子はこの手記を読み上げたと言われる。

彼女の傍らには、不逞社の同志であり、文子が「私の求めているものをあなたの中に見出した」という朴烈がいた。

 

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映画『金子文子と朴烈』より

この文子の言葉と、もう一つ対になる言葉がある。

映画『金子文子と朴烈』でも扱われているが、

1923年9月1日に発生した関東大震災で起こった惨劇朝鮮人虐殺事件」で使われた言葉「十五円五十銭」である。

この言葉は、語頭を濁音で発音しない朝鮮語の特徴を悪用した日本人と朝鮮人(当時、不逞鮮人といわれた)を区別する意図で使われたのであろう。

当時、朴烈や金子文子と同じアナーキストだった壷井繁治が「十五円五十銭」という詩を書いている(これも長いので一部を抜粋)、

 

一九二三年九月一日
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

・・・・・

この火事がまだおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ
-横浜方面から鮮人が群をなして押しよせてくる!
-目黒競馬場附近に三、四百もの「不逞鮮人」があつまって
  何か不穏な気勢をあげている!
-鮮人が家々の井戸に毒物を投げこんでいるから、飲み水に気をつけろ!
社会主義者が暴動を起そうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった
僕が友だちの安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕は壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは戒厳令であった
銃剣をもって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から
音羽へ通ずる橋の手前に設けられた戒厳屯所を通りすぎると
-こらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚ろいて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が
-貴様! 鮮人だろう?
と詰めよってきた
僕はその時、長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体であった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
-いいえ、日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

・・・・

突然、僕の隣りにしゃがんでいる印袢天の男を指して怒鳴った
-十五円五十銭いってみろ!
指されたその男は
兵隊の訊問があまりに奇妙で、突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
-ジュウゴエンゴジッセン
-よし!
剣付鉄砲のたちさった後で
僕は隣りの男の顔を横目で見ながら
-ジュウゴエンゴジッセン
ジュウゴエンゴジッセン
と、何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
「チュウコエンコチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ

あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ土となっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に

君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知っている
「ザブトン」という日本語を
「サフトン」としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺ろされた朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば
君たちに代って語る者に語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代りに
奪いかえした
親譲りの
純粋の朝鮮語

 

もう一度書く、ここに二つの言葉がある。

すなわち、「朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。」という言葉、

もう一つ、「十五円五十銭」という言葉。

前者は異質なものをあらゆる欠点と誤謬を越えて受入れようとするが、

後者は自分と異なるものを少しの寛容さも無しに排除しようとするものである。

 

あれから、約百年の時間が流れた。

しかし現在、まさにこのいま、私たち日本人はこの二つの言葉のどちらを選ぼうとしているのだろうか?

また百年前に戻ってしまうのか?

昨今の日本の世論をみていると少し不安になる。

今の日本人は昔の日本人よりマシになっていると信じたいのだけれど・・・

このタイミングで『金子文子と朴烈』という映画が日本で公開されたというのは思いがけず大きな意味を持つのではないかと思う。

少なくても、金子文子という人間がいたということ、彼女が大事な言葉を残してくれたという事をぼくら日本人に思い起こさせてくれたという意味でも。

 

(平成最後の)来年の抱負など・・・

 

 

いよいよ年末である。

このブログ始めて3回目の年越しである。

ということは、過去2回「来年の抱負」などと称して、記事を書いてきたことになる。

だが、しかし!!!

これまで、その《抱負》なるものを実現させたことが一度もない!!!

これは誠に由々しき事態である。

よって、今年は抱負を語るのは止めようと思う(常識的な対応!)

大言壮語はご法度である。

言い訳が許されるのなら、右肩が痛くて、キーボード長時間敲けない、という事情もある・・・

 

で、とりあえず、右肩治して、勉強できる体勢整えなきゃいけませんね。

そのあと、やりたいことは、あります、あります、沢山あります!

ずっと気になってるのが、金子文子です。

彼女の生き方、考え方、スゴイです、衝撃的でした!

この衝撃力の強さは、フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユ以来です。

金子文子を通して、朴烈などのアナーキストを観るということをしてみたいです。

アナーキストマルキストと違って、組織より個人の信念を重要視します。

その所が、自分の興味をひきつけます。

また、アナーキストの国際協力というのにも関心があります。

韓国映画『暗殺』には、朝鮮独立を手助けする日本人アナーキストが登場します。

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『暗殺』京城アネモネカフェの日本人バーテンダー「木村」はアナーキスト

朝鮮独立運動に日本人、中国人が参加していたという事実が現在のアジアの状況に別の光を与えるような気がします。

まあ、とにかく、金子文子『何が私をこうさせたか』を正月に読むつもりです。

 

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  では、では、来年もよろしくお願いします。

好きなお笑い② ~お笑い今昔物語~

中学に入ると、AM深夜放送にはまった。

夜10時くらいからヤンタンを聴き、深夜1時からはオールナイトニッポンを聴いた。

ぼくが聴いていた頃のレギュラー陣はMBSヤングタウン月曜日が明石家さんま長江健次、火曜日チャゲ&飛鳥、水曜原田伸郎&北野まこと、木曜日が笑福亭鶴光角淳一金曜谷村新司ばんばひろふみ、そして土曜日が笑福亭鶴瓶、途中から日曜日も放送しだして西川のりおが担当してました。一番聞いていたのが月曜日だった。何度かコーナーにはがき出したが採用されず。はがき職人にはなれませんでした(笑)

オールナイトニッポンでよく聴いてたのは月曜の中島みゆき途中からデーモン小暮&サージェントルーク篁、水曜のタモリ(ナイターコーナー)木曜のたけしと高田文夫、土曜の笑福亭鶴光。最も聴いてたのは何と言っても「たけしのオールナイトニッポン」!好きだったのは「中年エレジーコーナー」。これには3回くらいネタ投稿した。当時道上ゆきえ・小泉節子という2大はがき職人が君臨してましたね。フロッグマン(潜水夫の人形)欲しかったな~。〈だよ~んギャグ〉が流行ってた頃だ。かつて笑いものにしていた「中年」に自分が達してしまい、今考えると無慈悲なネタだったなと・・・(笑)

 

日曜日には、べかこ(桂べかこ・現桂南光)・鏡(ラジオ大阪アナ)の〈べかミラ大作戦〉この番組では「言い得て妙見山」というギャグが一世を風靡しました。そして鶴瓶新野新放送作家)の〈ぬかるみの世界〉さだまさし〈気まぐれ夜汽車〉をはしごして聴いてた。ぬかるみの世界は新野先生《くっくっく》が耳について離れません。また「おじん」「おばん」「びめこ」「ぶめこ」などぬかるみ用語が生みだされてましたね。たまにゲストと喧嘩になったりなかなかドキュメンタリー的要素もありました。「ぬー大」のバッジ欲しかったなぁ(笑)あと早稲田大学の英文科卒のはずの新野先生筆記体のエルを知らなくて「がんちゃん、これエル?エルなん??」と訊いていたのが今でも記憶に残っています。

youtu.be

 

 

平日の平均睡眠時間は3~4時間だった。

あんまり寝なかったから身長伸びなかったのかしら・・・

 でもこの時期ラジオ聴きまくったおかげで、言語脳が刺激されて、文学・哲学に興味持つようになったのかもしれな。